序章
4月17日はやっくりと俺との15年目の結婚記念日だった。今まで俺はこの日を特別な日として意識したことがない。15年目の今年だけは、気恥しいが花でも渡してみようかとおぼろげながら思っていたが、この小説にやっと筆を入れようと思い立ったこの日はもう4月23日、6日も過ぎてしまってはもはや恰好が付かない。またもや記念日を通り越してしまった。
やっくりからも最初の1・2年は、「大由紀ちゃん、今日は何の日か覚えとる~」の一言くらいはあったが、もう十数年何のアクションもない。まあこのいい加減さが俺ら夫婦が24年も仲良くやってこれた一因かもしれない。
世間では夫婦の片方が結婚記念日を完全に失念していたために、夫婦喧嘩の修羅場になってしまったということも有り得るのに。
“やっくり”という呼び方は俺が勝手に付けたいい加減な嫁のニックネームだ。俺は通常に何々ちゃんと呼ぶのが苦手だ。だから自分の息子も真面に名前で呼んだことがない。息子への俺のいい加減な呼び方は“ちゃん”だ。
俺は結婚してくれたやっくりに対して感謝の念に堪えない。もしかしたら俺は一生結婚できず、世間を恨み世間に背を向けて生きていかねばならなかった存在かもしれないから。
俺は今やっとのこと、やっくりとお互い、空気や水のような存在になれたと確信している。たとえ夫婦喧嘩で罵声を浴びせ合っても、蟠りはすぐ雲散霧消してしまえる。両親が聞いたら殺し合いをしているような剣幕で大声で怒鳴り合っても、すぐに元の鞘に収まってしまえる。
俺ら夫婦は世間一般の夫婦とちょっと違う。互いに障害者だ。俺と同じく足が悪い親友の田尻は、俺より先に結婚したが、嫁は健常者だ。
俺は今まで片手で足りないほど無惨に女に振られてきた。そのたびに益々愛に飢えた。そして、自分を慰めるように自己完結させてきた。
「障害者じゃ仕方ねぇよな!世間じゃ障害者がかわいい健常者と結婚しとる例もあるし気長に待つか」というふうに。
やっくりは重度の聴覚障害者だ。交際するに際して俺は全く気にならなかった。何でって、俺は跛を引いて歩く、外見から分かる障害者だったから。俺の方こそ、やっくりに嫌われないか心配だった。もし嫌われなかったら、紹介して貰った瞬間から結婚するつもりでいた。
すべての辛い出来事はいつか時が解決してくれて笑い話になる。 今は笑って話せることも当時は深刻だった。 結婚当初の三年間、俺は思い悩んで肺腑を砕いた。本気でやっくりを捨てようと思った。 こんな奴とは一生を過ごせない、ごめんだ、と。
俺は極端だ。 一度縁あって出会ってしまったものなら、一緒の墓に入るまで添い遂げないと相手に対して罪を犯したような気持ちになる。
世の中には結婚するカップル以上に離婚するカップルが居る。どうして簡単に運命の人と別れることができるのか俺は考える。 自分の容姿に自信のある健常者は、離婚して相手と縁が切れてしまっても、また違う相手を探せる自信があるからではないのかと。
障害者の俺にはそんな自信はない。やっくりと別れてしまったら、死ぬまで独りで惨めで辛い人生を送らねばならないと覚悟している。
その思いはやっくりも一緒のようだった。
――私は一人で生きられない。大由紀ちゃんと別れたら、また実家で籠の鳥になって、お母さんの言うことを黙って聞いて養って貰わないと生きていけない。お母さんが亡くなったら史明くんの世話になって…。
これは辛かったその三年間の、互いに相手が思い遣れるようになるまでの物語。