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「最近ニコチン、コーラス部の出し物頑張ってるみたいだよねえ」



 廊下の窓から顔を出して一人、「愛のコール」を口ずさんでいたら、突然声が掛かった。歌うのをやめて目を向けると、そこにいたのは壱子。



「び、っくりした」

「だいじょぶ、谷崎さんじゃないよお」



 あたしの「びっくり」の原因に気付いているのか、ひょうひょうと壱子は言ってのけた。分かってくれてるのは嬉しいけど、それで何もしてくれないのが壱子だもんなあ。

 あたしはもう一度外に目を向ける。



「壱子は練習しなくていいの?」

「いーの。あたし、ろくろ首役なの! 首をどう長く見せるか、コレに全ては掛かってるからあ。気を抜けないの」

「ああ、そっか。お化け屋敷だもんね」

「そうだよ。……だいたいパート決めは明後日でしょお? ニコチンの方が準備早いんだってば」



 そうかなあ、そうかもしれないなあ。でもだって、好きな曲だもん、少しでも多く練習したいし。それに教室にいたところであたしがすることなんて何もないわけで。

 ……歌うことで紛れてたけど、思い出してちょっとため息ついた。


 ――あ。



「千草さん、ちょっとよろしくて?」



 ……よろしくないんですが、谷崎さん。

 助けを求めて壱子を見たら、頑張って! ってガッツポーズ。そうだね、キミに期待したあたしがバカだった模様。





 最初に谷崎さんたちから取り囲まれて一週間たったけど、それがまさかこんなことになろうとは。そう、あたし、チグサも予想は出来なかった。

 どうせ授業中の準備時間だって何もすることないし、どうせ何言ってもあたしには不当な要求をされるだけだし、と関わることをやめていたはずなのに、今度はそれが裏目に出ちゃったらしい。

 なんだってこんなことに。


 そう、放課後の体育館裏。おきまりのシチュエーション、間違っても告白ではない事態に、あたしは陥っていたのです。



「聞いてるの、千草さん」



 聞いてませんよ、だってそんな大勢で取り囲まなくってもいいじゃない、というよりもなぜに外に出たの? さっきまで教室にいたじゃん、なんでいちいちお嬢様っぽく誘っちゃったの。



「もう一度言うわ。明日までに二人の先輩をあたしたちの前に連れてきて。そうじゃなかったら、一生千草さんとは絶交するから」

「だ、だからなんで連れてくるの? 自分たちで行っても大丈夫だと思うけど」

「そんな恥ずかしいことできるわけないじゃない!」



 えー……。なにその理屈? どうしてそこで恥じらいが出て来ちゃうのか、チグサ分かんない。でも谷崎さん一行はあくまで大まじめらしく。あたしが頷くのを真剣に待っている。

 あたしは一度視線を宙にさまよわせて、最後は地面に降り立った。

 ――そんなに、どうして。

 これは、谷崎さんたちに向けた言葉と同時に、自分へも向けた言葉。



「やっぱり、できない」



 本音は、先輩二人と谷崎さんたちの橋渡しをしたくない、だってプライバシーの問題だから。そう、だからあたしは動きたくない。人付き合いなんてものは当人どうしてすべきものであって、その間にあたしが入るなんておかしいもの。面倒だって気持ちも確かにあるし、二人に迷惑を掛けたりしたら嫌だし。


 睨むようにこっちを見るたくさんの目。

 ……あたしは、こんなに取り囲まれてまでそれを純粋に守り続ける必要はあるのだろうか。絶交という言葉に怖じ気づいているわけではないけれど。事を円満に進めるくらいの柔軟性は多少なりとも持ち合わせている気でいたのに。つまりここに先輩を連れてくるだけであたしの煩わしいこの状況も解消されるのは、分かっている。

 ――こんなの、まるで。



「こら、なにやってんだ」



 心の奥底に到達しかけたところで、ハッと我に返った。背後で声がしたと同時に頭に小さな痛み。あたしの正面にいた谷崎さんは確かにこちらを向いているが、目線はあたしに向かっていない。小さく声をあげるのも聞いた。ちょっとバツが悪そうにしている他の女の子たちも数歩下がってあたしの背後を見ているようだ。



「谷崎さん、今の話だけど……」

「って、なんで華麗にスルーした今」

「あだっ」



 首が折れそうなほど頭が後ろに引き倒される。左右二つに結った髪の毛を同時に引っ張られたから生え際も痛い。

 否が応でも太陽を背に見えたその反対の顔は、やっぱり。ここは空気を読んで見て見ぬ振りをするでしょう、ってのが伝わるわけがないデリカシーのない男。



「こんにちは、半裸先輩」

「テメエ。助けに来た温情あるセンパイに向かってその言い分か」

「すすすいません調子に乗りました」



 怖っ。ユーゼン先輩の「テメエ」呼びは本気で怒ったときだと以前に学習済みだ。ユーゼン先輩もあたしがそれで怖がることを理解しているのか、最近では意図して使うことも多くなってしまった。変な弱点を握られてるな……。

 最近は登下校も別で、学校では滅多に会わない。ユーゼン先輩がどうしてこんなところにいるのか分からないけど、ともあれこのままではいろいろと事態が収束つかない。っていうかアンタが来たせいでますます……と言おうにも言えず心で思ったのみだが、谷崎さんたちには軽く愛想笑いを飛ばしておく。



「あのー……そういうわけで、ここは一旦お開きということで」

「……かっ」



 谷崎さんたちはまるで体中に針金が入ったかのように硬直したまま、目をこれでもかと言わんばかりにかっぴらいていて。なにこの集団。チグサ怖くて身震い。

 それで何をしでかすかと思いきや、谷崎さん、おもむろに両手を突き出して……。



「お前の友達ってキョンシーばかりか?」

「それまた酷い」



 ……言われてみればそうだけど。誰も額にお札なんて貼ってないです。

 けれどけれど、そのぎらぎらしたたくさんの目は一様にユーゼン先輩に張り付いている。言わずもがな、これってユーゼン先輩危険なんじゃないですか?

 思わずぎゅっと先輩の服の裾を握ったとき。



「神代センパイがいらっしゃったわああ!」



 甲高い叫び声と共に、谷崎さんら一行は砂煙を巻き上げながら怒濤の如く――走り去って行ってしまった。



「あっ、えっ!」



 すっかり襲ってくるとばかり思ってたあたしは、予想とは違う現実にただ困惑。あたりは砂埃と悲鳴の余韻を残して、まるで何も無かったといわんばかりの日常に戻ってしまっている。ユーゼン先輩も珍しく呆気にとられているようだ。



「行っちまったな」

「……なんで?」



 谷崎さんたち、先輩たちとお近づきになりたかったんでしょう? どうして今そのチャンスをおじゃんにしちゃったのか。

 ……恥ずかしがってたの、本気だったのかも。



「ともあれ、何も無くて良かったな」

「まあ。ですね、先輩のなけなしの一枚が取られたら、もうあたし黙ってませんでしたよ。きっと先輩をはり倒してました」

「だからなんで俺が悪いんだよ。……じゃなくて、チグサに何も無くて良かったって言ってんだ。俺の出る幕も無かったしな」



 先輩は背後から正面へとまわってきて、あたしの片方の結んだ髪の毛を引っ張った。引っ張ったといっても、軽く頭が動いた程度で、傍目にはあたしが小首を傾げているかのようになっているはずだ。



「……と、いうか。何があったか聞かないんですか?」



 髪を引っ張られながら、さも当然にあたしの身を案じてくれたことを疑問に思う。ユーゼン先輩ってば空気読まないからまずは興味本位であたしが取り囲まれてたこと、聞くと思うのに。

 けれどユーゼン先輩は、まあな、と言うだけでそれ以上は何も興味を持っていないようだった。……突然現れたことといい、なんか変だな。



「とにかく、これからは気を付けろよ? あんま、ほいほい付いていかないよーに」



 違和感を感じつつも頷くあたしをそのままに、目の前から去ろうとしたユーゼン先輩。

 ――途端、はらりと左肩だけがはだけて、先輩の胸板がまたさらに露わに。



「……」

「……」



 呆然としたまま、突っ立っているとあたしの右手が先輩のシャツの裾を掴んだままだったのが視界に入って、ようやく気付く。



「チグサ……そんなに俺の胸」

「分かりました、変態には気を付けます!」



 握っていた裾を投げ捨てた。





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