11-真実
世界は一つ。神様も一つ。宇宙も一つ。
その宇宙に散在する惑星はいまだ未知なる存在のまま。
ただ命だけが一人に二つ、与えられていた。
パラレルワールド。
地球の中心。踏みしめる大地の下。地核よりも上。
同じ世界が広がっている。
同じ人間、同じ顔、同じ性格。
だがそこでは常識が一つ異なっていた。
「コチラとは違う、アチラ側の人間は、魔法が使える」
…………ハア?
「チグサ、あからさまに嫌な顔すんな」
どうやら顔に出ていたらしい、慌てて取り繕う。
「いや、いいえ、あの」
正直、意味が分かんなかった。
実際、オージ先輩がしてくれた説明は実に簡単だったのだ。愚かなあたしでも分かる、一人に二つの命が与えられているという理屈。
分かる。でも、分からない。
「…それって、もうひとりのあたしがいるってことですか?」
「まあ、確かにいたな」
いた? なにそれ、過去系?
尋ねる前に、オージ先輩は続けた。
「もちろん、一緒にいることはないし、お互い会うこともない。同じ人間でもアチラ側の人間はコチラ側の自分を知らないし、コチラ側の人間はアチラ側の人間を知らない。まさか、自分が魔法を使ったり、使えなかったりなんて知るはずもないんだ」
同じ自分が二人…。魔法の世界アチラ側と、あたしがいる普通の世界コチラ側。確かに信じがたい…。けど、信じる約束をしたし、確かにオージ先輩たちを最初に見たとき、アッチとコッチとかそんなこと言ってた気がする。
「そんなこと、全然知らなかった…」
「だから言っただろ? お互いに知らないんだよ。そもそも行き来できるもんでもねーし」
そうなると、不思議なのがオージ先輩とユーゼン先輩だ。
「じゃあ、二人とも、こっちにもうひとりの自分がいるってことですか?」
「残念ながら、それは違うんだ」
…ややこしいな。あたしは向こうにいて、二人はこっちにいない? ちんぷんかんぷん。
「俺たちは、トクベツなんだ。言うなれば、このセカイの管理者。お前勘違いしてるみたいだけど、どっちかっつーと、俺はコチラ側寄りだ。オージはアチラ側だからな。二人でセカイの均衡を保ってるんだ」
二人でセカイの銀行を保ってる?
「日銀総裁?」
「真面目に聞けっ」
あいたっ。ユーゼン先輩に頭はたかれた。
「ボクたちは、命が一つずつしかない唯一の存在なんだ。アチラもコチラも世界は繋がってる。魔法があるかないかだけで、あとは同じだ。そのひとの住む場所も、家族も結婚相手も、死ぬときも、言うなれば人生全てだ。だからそれが狂えば、ズレが生じてしまう。セカイすら分かたれて、生存できなくなる。だからボクたちはそれを管理するものなんだ。唯一、セカイに干渉しないものとして」
オージ先輩は、気を取り直してもう一度かみ砕いて説明してくれた。あたしも真面目に聞いてるはずなんだけど、どうしてもどこか余所の世界の話のような気がしてしまう。ただ、魔法の存在、それがあたしに信じることを後押ししてくれている。
話は壮大だ。だとしたら目の前にいる二人はもっと壮大な存在だ。
「じゃあ、二人は…神様なんですか?」
「違うよ」
笑って言う、オージ先輩は確かにあたしたち人間と同じように見える。それだけで、少しホッとする。オージ先輩と、ユーゼン先輩は確かに不思議な存在だ。でも、オージ先輩は俗に言うアチラ世界でユーゼン先輩は俗に言うコチラの世界で生きているだけの、ちょっと特別な人間なだけなのかもしれない。
「…セカイのことはなんとなく分かりました。まだ、難しいこともあるけど、信じます。もう一人のあたしがいるってことも」
「そう思ってくれることはいいんだけど、…チグサ」
「な、なんですか?」
何か間違っていただろうか? 少しトーンの下がった声で呼ばれて、腰が真っ直ぐ伸びる。
「アチラ側のキミは、もう死んじゃってるんだ」
…え?
「ちょ、ちょっと待ってください。な、何の冗談デスカ?」
「冗談じゃねーよ」
そりゃそうだ、そんな冗談タチ悪すぎる。
すでに衝撃だった命二つ説ですらイッパイイッパイなのに、さらなる衝撃にあたしの頭はいろんな意味で爆発寸前だ。堪えるように、両手の拳を握りしめる。
「で、でも、あたし死んでるって、でもあの、人生一緒なんでしょ? 死ぬときも一緒ってさっき言ったじゃないですか! なんでむこーのあたし抜け駆けしてるんですかっ?」
それが本当なら、なんて自分勝手なあたしだ。いや、それもこれも、あたしだけど。
一体この年で死ぬなんて、病弱にも程があるっ。せっかく毎日健康的に暮らしてたのに何があったら、そうもあっさりぽっくりいけるん――。
「…あ、れ…」
あたし、死んでる?
家が火事になって、ナイフで刺されて、トラックに轢かれて…。なんだか、見たことある、感じたことのあるような結末。
「あなたは死んだのね…」魔法使いの言葉。
「あ、あたし、死んじゃったんだ!」
机に置いたはずのカップが、バランス悪く倒れた。
「って、うわあっ、こぼっ…」
机に広がるココアが、その領域を超えてあたしの膝までしたたおりおちる。ああ、スカートが茶色く染まっていって。
それが、まるで血みたいに。
「なにやってんの、ほらタオルで拭いて」
「…あ、あれは夢じゃなかったの? あたし、本当に死んでいたんだ…」
タオルを受け取ながら、ようやく納得する。リアルな夢だと思ったら、もう一人のあたしの結末だったなんて。タオルでココアを拭ってみても、綺麗に色が落ちることはなかった。あたしはあたしの半身がすっぽり抜けてしまったような寂しさを、今になってようやく感じた。
「だからだ」
そう言葉を紡いだのはユーゼン先輩。下を向いていたあたしは作業を止めて、そちらを見る。ユーゼン先輩の瞳は、言葉以上に語っている。
「だから、お前も殺さなきゃいけなかったんだ」
あたしが欲しかった答えは、もうそこまで近づいてきていた。
「言っただろ、さっき。アチラとコチラのバランスが崩れれば、セカイは存在できないって。アッチのお前だけが死んでしまった理由は分からない。でも、現にコチラ側のお前は生きてここにいる。だから、このままだとそれぞれのセカイの未来が変わってしまうんだ。今じゃない、長い目で見ると、だ」
「で、でもあたし一人くらいじゃ…」
どうにかあたしがいる、この状況を正当化したくて、縋るように言葉を向けるも、オージ先輩が静かに首を振るだけだった。
「ほんの些細なことでも未来は変わっていく。小さく、でもそれはしだいに大きくなっていく。それは、キミが結婚する相手の運命も変えてしまうし、生まれる子孫も変わっていく。キミが生む経済効果も変わるし、やがてはお金の流れも変えてしまう。つまり、バタフライ効果っていうんだけど」
だ、駄目だ。もうあたしの頭では理解できないことになってきている…。
「チグサ。難しい理論は説明すればまだ山ほどある、けれど理解するのはただ一つのことだろ? お前は命を一つなくしちまってるんだ」
理解はあたしの範疇を超えている。信じてきたものだって、覆されてしまった。命はただ唯一のものだと思っていたのに、あたしはもうなくしてしまっていて。あたしはここにいるのに、もう一人のあたしはもういなくて…。
二つの完全な命は、一つを失って不完全なものとなった。不完全な命は、未来も、セカイまでをも脅かしている。
――もうはんぶんこのあたしも死ねば、なにもかもうまくいく?
「そ、そうか…、あはは、ようやく分かりました。あたしが狙われたことも、オージ先輩たちがあたしを殺さなくちゃいけないことも」
一度真実が分かれば、意外にもすんなり受け入れることができた。死ななきゃいけない事実は、さほどあたしを傷つけたりはしなかったようだ。ただ、先輩たちだって好んであたしを殺そうとしているわけじゃないということが、あたしを安心させる。
悲しいことだけど。でもそれ全てが真実なら。
意を決して口を開こうとしたところを、オージ先輩が遮った。
「チグサ、勘違いしないで。ユーゼンもあんまり脅すなよ。…大丈夫、心配しなくてもいいよ。ボクたちはキミを殺すつもりはないから」
「え…?」
思ってもみなかった救いの言葉に、またココアをこぼしてしまった。




