【芽生え】 4
「……なに?」
話を途中で遮られたら誰だっていやがるだろうから、凍える冷気を受けるのは想定の範囲内だった。
それなのに、団長は何故か【魔女】を見つめ笑っている。蛇が嬉しそうに足首に絡みついて、鱗に纏った油を身体に擦り付けゆるやかに縛っていく。
(だから、その顔は何なのよ)
「先に戻れ」
団長は後ろを見向きもせずに命令する。数秒の戸惑いの後に団員の一人が自分達だけかと聞けば、当然だと言わんばかりに鼻を鳴らした。
「見回りの途中だろう」
再度持ち場に戻れと言われたら、彼等は従うしかない。何人か心配そうにこちらを見ながら、それでも足並みを揃え園外へ消えていく。
対して騎士様は大きく息を吸いこんでから、短く吐きその場に立ち止まる。
そして何度目かの懇願は、冷笑によって無視された。
彼は団長に蛇蝎の如く嫌われている。
いびられている理由は分からないけれど、息するように毒を吐く相手に対抗する術は持っていないだろう。騎士様はとても正直で口下手な方だ、良く知っている。
上司と部下。
当然ながら、此処に助けられる人などいない。
(でも私はヒトじゃない)
男はゆったりとした足取りで歩み寄る。
「団長、自分は」
「魔女」
男は私だけをみてゴロゴロと喉を鳴らすように名を呼んだ。隣から小さなうめき声とともに距離を詰めてくる。
嫌な予感がする。
この人とはこれ以上、話をしてはいけないと五感が言っている。
騎士様を無視し私を視線で舐め回す男は、嫌味で横柄な性格が全くもって気に食わない。
こちらは不愉快とまで言ったのに頭から抜けているのか聞いていないのか、興味深げに眺められるのも、居心地が悪い。
「魔女、返事を」
催促する声はどこか嬉しそうだ。
嫌悪感を丸出しにしているにも関わらず、むしろ、そんな行動ひとつさえ、楽しんでいるように見えた。
(気分が悪い)
私は見世物じゃない。
ここで力を使わないでどうする。
苛立ちをそのままに鼻から息を吸って舌に魔力を溜める。
「【団長様】」
【力】のこもった言葉は矢になって相手へ向かう。
瞬時に異変を察したのか相手の片眉が跳ねあがる。でも、もう遅い。団長の心臓目がけて、突き刺されと念じながら言葉を続ける。
「【一人で帰るのは不安なのです。皆様に助けて頂きましたが、万一逆恨みをされているとも限りません】」
悪意に覆われた心と偏屈な脳に直接声を流し込んでいく。一瞬相手の瞳孔が開き、ゆっくりと収縮して瞳にどろりとしたもやがかかっていく。
「【どうか、ルドルフ様に同行して頂く許可を】」
実際について来て貰うかどうかは別問題だ。とにかくこちらから興味を逸らし、いやがらせをされている環境から短時間でも引き離すのが目的だ。
例えばここで思考を乗っ取り無理やり肯定させるのは簡単だけれど、万が一魔法が解けた時、彼は私に強い憎しみを抱くだろうし、何かかしら報復をするだろう。泣き寝入りをするタイプではない。かといって一生解けない強力な魔法を使うには、対象が多すぎる。散った住民の一部は意識だけ私たちに向けている人もいる。
人のこころを操作する難しさは、どこまで手を伸ばせばよいか分からないところにある。だから私はこころを操作する魔法が苦手だ。
巡る血液の一部と引き換えに、力を増やす。
記憶改変は此処に居る人間全員の思考を変えないとどこかで綻びが出てしまうし、そもそも私のエネルギーが足りないから、違う方向からアプローチをかける。
(困っているひとを助けるのも、お仕事でしょう)
狙いは対象の心の鎧を剥がす事。素直になって貰うのだ。
内容はどうであれ不良貴族を嗜めた点から想像するに、職務はきちんとこなす方なのだろう。
良心を擽れば、きっと余計な感情など失せるに違いない。
(失せて貰わなきゃ困る)
当人が抱く感情の一部を引き出して、心をそれ一杯にする。【深緑の魔女】の十八番芸だ。
これなら魔法が解けてしまっても、こちらに敵意が向く可能性が減る。
「【素直になって下さい、団長様】」
「素直」
「【私は魔女になりたてで、まだ力の全てを制御しきれていない未熟ものなのです。……お恥ずかしい限りですが、どうかご慈悲を】」
「慈悲」
復唱するさまは年不相応に真直ぐだ。だからこそ、矢がこころに刺さったと確信できる。
「魔女」
「はい」
「……ああ」
そのはずなのに。
今まで一度も失敗した事のない魔法なのに、今回だって確実に効いているのに、この胸のざわつきはなんだろう。
これを使えば誰も傷つかず、物事がうまく行くはずなのに。
(素直になって貰えば)
「魔女に、素直」
視線が上から下へ落ちていき、戻っていく。男がまたこちらへ一歩、一歩近づいて来る。
背筋を這い上がる悪寒を知らない振りして、固く重い鎧の結合部分の隙間をぬって、彼のこころに働きかける。
「【団長様、どうか】」
男からするりと何かが抜け落ち笑みが消える。
取り繕う鎧を溶かせたことを確認し一息を吐けば、相手が瞬きをして、息を吸った。
口角が三日月を描くように裂けていき、切れ長の瞳に喜色が浮かぶ。唾を飲み込んで、しおれていた花が息を吹き返すように、息を吐いた。
「素直に、」
「……っ」
視線は私をとらえたまま、離れることは無い。
魔法が効いているのは明らかだ。でも、何かが間違っている。
「魔女よ、名を名乗れ」
咄嗟に返事が出来なかった。