【芽生え】 3
男の視線が集まり、私の肌に触れる。鋭利な刃物がちか、ちかと光を反射させながら下から上へ撫でていく。
まるで蛇に睨まれた蛙だ。
(びびるな。昔もこんな経験あっただろう)
高圧的で苦手な上司と対峙する。社会人であれば誰しも体験するはずだし、私だって御多分にもれず通って来た道だ。
「それは良かったです。何かあれば団長様もぜひ当店を」
「結構だ。出所の分からないものを進んで飲むような酔狂は無いのでね」
「そっすか」
(あっ)
ぽろっと出た本音は勿論今更取り消せるものでもなく。ぐっと息を詰めるこちらに対し、相手は口元をそのままに眉を上げて珍し気な顔する。隣から、あ、とか、う、と声にならない音が漏れた。
「……失礼しました」
団長はにや、と笑みの種類を変える。何故かそこに怒りの感情は見えず、変わりに珍妙なものを見るような、いつ喉笛を噛みちぎってやろうかと舌なめずりをする蛇みたいな、嫌らしい笑みを浮かべていた。
はっきりと彼の興味がこちらへ移ったのを感じる。
また、彼は私を観察している。
全くもって気味の悪い方だ。
「とにかく私の茨は消えましたし、そちらで逃げようとしている貴族の方々も靴は綺麗になりました。騎士団の皆さまが間に入って下さったおかげです、ありがとうございます。はい、これでこのお話はおわりです」
一刻も早くこの場から離れたい。彼の視線から外れたい。
頭をフル回転させながらどうにか団長にお帰り願おうとするも、彼は話を遮ったりはしないかわりに頷きも相槌もせず、聞いているのかわからない顔で私を眺めている。
いくら≪不良貴族と魔女のいざこざ≫の話をしても、ちっとも関心をひけない。ある意味主役であろう貴族なんてこれっぽっちも見ていないのだからたまらない。
「――以上が経緯になります」
油断すれば食われそうな緊張感はそのままに、一旦話に区切りをつけることにした。
大丈夫、騎士様が隣にいるのだから、私のこころは乱れない。
いつのまにか喉はからからに乾いていた。
「なるほど。で、貴殿らの意見は?」
私の演説を一通り眺めた男は無機質な声で、ぞんざいに男たちへ会話を振る。
「アンタ、こいつを拘束してくれ!俺等に盾突こうとした不届きものだ!」
興味なさげな雰囲気を察しているのかいないのか、彼等は遠く離れた場から大声を張り上げる。
「未遂ですしねぇ、靴も新品ではないですか」
「そういう問題ではない! 公衆の面前で恥をかかされたんだぞ、俺達への侮辱に他ならない」
「そうなのか?」
団長は鋭い視線を周りに、固唾をのんで見守っていた見物人たちに走らせる。何十人もいる中からは息遣いしか聞こえず、誰かが息を大きく吸って、他の誰かに止められていた。
野次馬達を睨みつける彼等を尻目に、団長は口元だけで笑みを作る。
「証明するものも、人も居ない。我らの使命は法のもと公正かつ平等に対処することでしてね。魔女は気まぐれで軽薄だが、かといって事実関係があやふやなまま拘束できる安易な立場でもない。ばけものとはいえ、これの存在は国で認められている」
「…………」
モノ扱いなのがひっかかるけれど、かばってくれているのは確かだ。
ゴロゴロと苛立ちを咥内で持て余していると、貴族の一人と目が合った。
指を刺される。
「しかしこいつは!」
「毎日飽きもせず熱心に住民の声を聞く貴殿らの勤勉さには敬服します。が」
団長の声はどこまでも冷えている。敬意のかけらも無い慇懃無礼な嫌味に、辺りの温度が下がっていく。
「これ以上活動を続けられるなら、私どももしかるべきところに報告をしなくてはなりません。華々しい経歴に箔が付きますな。……よろしいですか?」
私の国でいう【公安職】のひとつが騎士団だ。だからきっと『しかるべきところ』は部門を統べる役所だ。
騎士団側からの間接的拒否を前に、おのずと男達の足は後ろへと下がってゆく。
和解と言えば聞こえはいいが、こんなもの穏やかでゆるやかな脅しだ。
騎士団長に反論できる人など、此処に居ない。
彼等は団長から目を逸らすことさえ許されない。ゆるゆるとした緩慢さで首を縦に振る顔は、白い。
事態はあっけなく収束に向かう。その手腕は鮮やかで、狡猾だ。
(やり慣れている)
それにしたって彼等にここまで強く出られるのは凄い。
確かに非は向こう側にあるが、腐っても彼等は貴族なのだ。騎士団に貴族出身が多いのは事実だけれど、爵位を継いでいる人はほとんどいないはずだ。更に言うなら人ではない魔女をここまでかばってくれるなんて、ありがたいが、旨味なんて何もないはずだ。
この人が善意で私を庇うだろうか。
騎士様とのやり取りを思い出す。
ちょっと信じられない。素直に喜べない。
未だ騎士様の緊張も解けていない。
団長の猛毒に当てられた彼等は、悪態を吐きつつその場に背を向ける。彼らが園外に出るのをきっかけに周りの見物人たちも緊張をゆるめて、ひとり、またひとりと輪から外れていく。
ようやく訪れた平穏の中、私たちだけがその場を動かず、無言の攻防を繰り広げている。
ちらりと横目で男達の様子を伺えば既にかなり遠くに後姿があって、ついため息がもれた。
逃げ足が速くて羨ましい。
団長はその場を動こうとしない。後ろについている団員も、騎士様も彼の動向を伺っている。
私を見ている。
面倒な人に眼を付けられたかもしれない。相手の胸辺りに視線をやれば、いくつもの勲章があった。
当然のことながら、何も言わず去る事なんて出来る状況じゃない。気を抜けば歪む顔を見られたくなくて、腰を折った。
「団長様、御迷惑をおかけしました」
一度深呼吸をしてから顔を上げると、男はさっきの無表情からまたニヤニヤとした笑みに変えて、こちらを眺め「いや」と言う。
針のむしろとはこのことだ。
騎士様が私を隠すように半歩前へ踏み出すも、粘ついた視線からは逃れられない。
彼が緊張を解かないという事は、油断ならない相手だと言う事に他ならない。
まだ【終わっていない】。
左胸の茨はまだ、あざ笑うかのように波打っている。
「……。私も、そろそろ森へ帰ります」
「自分は彼女を送ります」
「いらん」
すげなく返された言葉に、隣の気配がわずかに揺らぐ。
「お前はつくづく要らぬことばかりするな。今日もろくな功績も上げない愚鈍なお前を思って補佐としてつれてやっているのに、悪漢ひとり捕える事も出来ずただ後ろを歩くだけではないか」
続けて「そこをどけ」と吐き捨てられても、彼は真っ向から受け止めるだけだ。
「もともと自分は非番で、それに捕らえるのは最終手段」
「いい訳は結構だと常々言っているが、それも忘れたのか?口だけは一人前だから困る。目上に対する躾もろくに習っていないのか」
隣から伝わるのはあけすけなまでの苦手意識と、怯え。
険悪というよりは、団長側が一方的に感情をぶつけているように見える。
(にしても部下に対して愚鈍、は言い過ぎだと思う)
団長の後ろに控える騎士団員の様子を伺えば、みな一様にしょっぱい顔をしつつも口を開かない。先ほどまで自分が住民から受けていたそのままの視線が、彼に降り注いでいる。
騎士様はどうして、ここまでの敵意を向けられているのだろう。
「それで?いざ事が起きれば隊を離れ、よりのもよって魔女へと向かう。勝手に自己判断をして命令を無視し、あやつらが逃げるのを、指をくわえて見ているだけ。それが次期団長候補のすることか?」
騎士様の方がびく、と跳ねた。
「次期は、その、周りが勝手に」
「そうだともこの俺が許すはずがない!」
「騎士様、恐れ入りますが家までお送り頂けますか」
思わず声をかけると、全員の視線が一気にこちらへ集まった。