【芽生え】 2
そこに居たのは泣く子も黙る、軍服に身を包んだ騎士団一行だった。
声を上げたのは、その中でも一際目立つひょろりとした男性だろう。
少し癖毛なプラチナブロンドに碧眼、切れ長の一重が印象的な、細みながらも筋肉質な体躯。素人目にも一般人だとは思えない、恐ろしいまでに無駄のない姿。
彼は非常に端麗な人だった。
十年前なら、きっとその冷ややかな視線も相まって、女性陣の視線を独り占めしていただろう。
……でも、その瞳に慈愛の色は露程もない。鋭利な氷で出来た剣が抜き身で立っているようだ。
均整の取れた美しい見目が、滲み出る負のオーラで相殺されている。
じろり、と濁った目がこちらを見る。鈍くぎらついた空気は触れただけでスパッと切れ、私のなけなしの負けん気まで一緒に切り捨てる。隠しもしない威圧感に数歩後ずさると、じゃり、と砂を踏む音がして、相手の口が開いた。
「いつまでそんなものを出している」
「えっ?……あっ」
そんなもの――茨を刺され慌てて謝罪をするも、男は鼻を鳴らすだけだ。
(まずい)
緑色の異形は勢いこそ鈍くなったものの、未だ出たままだ。先を掴んでみても、深呼吸をしても消える様子はない。先日あった出来事で≪安心すればおさまる≫ことは学んだ。でも、その先がない。まだ自制するすべは見つかっていない。
(出来ない)
例えば自分もろとも家へテレポーテーションすればきっと茨も消えるだろう。でも今それは絶対にやってはいけない。
先程から団長は私を観察している。正確には≪自分達にとって≫脅威にならないか、従うものなのかを見ている。彼のお眼鏡にかなわなければ、待つのは冷たい檻かもしれない。べろりと舌で背筋を舐められるような、生理的な嫌悪感。
だから一声かけただけで、黙っているのだ。
そして、力関係を見定めている。
歴戦練磨であろう現役軍人と温室育ちな【深緑の魔女】。
そんなもの、火をみるより明らかだった。
「出来ないのか?」
肯定なんてしようものなら私の平穏は終わる。そう直感が言っている。
(できない)
「私の言った事が聞こえないのか、それともわざと」
「いえ!」
周りの視線が私に集まり、ヘドロとなってへばり付いていく。きっと誰もが思っているだろう、「早くそれを消してくれ」と。団長の威圧に誰も逆らえないまま、私の心拍数だけが上がっていく。
茨は消えない。
「馬鹿にしているのか」
「違います、これは」
「魔女に叶えられぬものはない。だから魔女である。そうだろう」
(言われなくても分かってる!)
落ち着け、自らの首をしめてどうする。焦るな、深く考えるな、ただ無心で深呼吸をしよう。
冷や汗が出るのも歯が鳴るのも緊張であって、恐怖じゃない。私は魔女だから彼なんて怖くない。
お願いだから、怯えるな。
「申し訳ございません、お、お時間を」
「くどい」
取り付く島もない。団長の右手が携えた剣へ伸びる。彼の機嫌を損ねたら生きていけないのに、威圧されても茨は消えない。どうすればいい。この状況を打破する手なんてあるのだろうか。
(そんなこと出来るの)
ぼとぼとと、こころに墨が落ちていく。あの汚くて嫌ないろが、私を覆い始める。黒いものが血液に触れたら全身を駆け巡って、またあの時みたいに暴走してしまう。二度とあんな失態は起こすまいと誓ったのに、身体は言う事を聞かない。
咄嗟に辺りを見回すも皆知らぬ顔だ。ただ魔女が独り、滑稽に慌てふためいている。
(わたしを助けてくれるひとなんて いない)
だって先代は居なくなってしまった。
誰もいないのだ。
ごとり、と重く黒いこころが地へと落ちる。
(逃げよう)
考えたくない。全部怖い、団長も茨も魔女も、とりまくもの全部。そんなに一気に言われたってできない。
(出来ない!)
駄目だと警告を鳴らす第六感を無視し、目を地に落として魔力を練り上げる。
策が見つからないなら逃げるしかない、怖いものから目を逸らさなければ。
「魔女」
うるさい、その名を呼ぶな、ここから私は消えるんだ。邪魔しないで。
「魔女!」
鼓動が早くなり、息も出来ずグラグラと視界が揺れる中、目を閉じる。
ひとりで何でもできる訳ない。でも魔女だから、私には力があるから
「魔女さん!」
必死に逃げようとしたのに、聞き覚えのある声が私を呼び止めた。一糸乱れぬ隊列から白い塊が飛び出てくる。
周囲の視線が私からそちらへ移る。声の主が【彼】だと分かった瞬間湧き出たものは、暗い森の中で見つけた木漏れ日のような、怖いほどの安堵。
銀髪の青年が、日のひかりを浴びて立っている。
心のどこかで期待して、諦めていた人が居る。
見られている。自分の見目が嫌で居たたまれないはずなのに、単純な茨は後退する。まるで役目を譲るかのように。
「ルドルフ」
誰かの声がした。
知らず肩が跳ねた。
それは、彼の名前なのだろうか。
どこまでも場違いな私は、たった四文字の知らぬ名に、震えている。
「ルドルフ!勝手な事をするな!」
鋭い声で制するも、騎士様は返事をする事なく、私へ向かって真っすぐに歩き出す。
あんなに早かった鼓動が落ち着きを取り戻し始め、沸騰し煮えていた脳が冷えていく。
緊張し強張っていた筋肉が、騎士様が近づくにつれ弛緩していく。
何をしても消えなかった茨の呪いが色を変え、辺りと同化していく。
「騎士様」
私は今、嬉しいと思っている。膠着状態の中、鼻先に剣先を当てられている状態にもかかわらず、呼吸を取り戻している。
(ルドルフ)
何を、素直に喜んでいるのだ。
恩人に感謝さえ言えずにいるのに。
『解呪方法を探す』なんて大口をたたいておいて、今日もまた助けてもらっている。魔女の名も廃る、酷い体たらくじゃないか。
それなのに私のこころはまた、上へ向かって手を伸ばし始めてしまう。
心臓の蓋はとっくに開いていて、吹き曝しだ。噴水のよう溢れ出る、さらさらとした感情は何だろう。
鼻の奥がしびれ目頭が熱くなるのは、涙が出そうだからか。
(涙)
魔女に要らない感情がまた目を覚ます。
彼が目の前に立つ。団長や周りの姿が見えなくなる。先ほどまでとは違う熱の塊がせりあがって来るのを感じる。彼は何も言わないかわりに、その瞳で私のこころを撫でていく。
(誰かに依存しても、結局離れて独りになる)
此処に来るときも、後もそうだっただろう。騎士様は優しいから心を砕いて下さる、でも私は異種で孤独で、呪われたものだ。
分かっているのに、いくら自分を律しても、ヒトだったときのかけらが泣き声を上げる。
【哀しい】【寂しい】と涙をこぼす。
「ルドルフ様」
誰にも聞こえない声で問えば、相手は少し目を見開いてから目を伏せ、耳を桜色に染めた。
誰かに期待しても苦しくなるだけだと、この数年で充分すぎるほど知っただろう。
でも、喜んでしまう。
見つけてくれてありがとうと、すがりたくなる。
「知り合いか」
団長は苛立ちを隠さない。それでも、騎士様はその場を動かない。
頬にあの日の熱が灯る。相手も目礼しわずかに口元を緩めた。と、後ろへ振り向く。
「はい。数回程会っております」
大きな岩がずるずると動くような音の羅列は、ただただ重いだけで感情は無い。初めて聞く声だった。
「何用で?」
団長がさらりと聞くと、騎士様は数秒黙ったのちに、所用ですと答えた。
騎士様は今まで見たことの無い、能面みたいな顔をしている。頬をピクリとも動かさず、ただ機械のように受け答えをしている。
こころ優しい彼が、常に私の半歩前に立っている。
「わざわざ【深緑の魔女】に、用ねぇ」
団長はそれに対し、小ばかにするかのように鼻で笑った。不躾な態度に目が細まりこめかみの筋がひく、と痙攣をおこす。
(馬鹿にされてる?)
魔女を訪ねて何が悪いんだ。
「本当に薬の受け取りだけなのか?」
わざわざ【魔女の薬】を(数回も)買い求めるなんて、言えない悩みでもあるのでは?
口外に毒をたっぷりと沁み込ませた揶揄を、騎士様は黙殺する。上司と部下、その関係では説明のつかない緊張感や険悪さは、水を弾き決して混じり合わない油を思い起こさせた。
上司の質問に騎士様はきっと答えられない。現実問題として言いづらい買い物をしているのは事実だからだ。彼は嘘を付けないし口も上手くないから、沈黙するしかないのだろう。よく見れば、額にうっすらと汗をかいているように見えた。
ハッとした。
(何をぼさっとしているんだ)
助けてもらった恩をここで返すべきじゃないか。
えい、と気持ちに勢いをつけて騎士様の隣へ飛び出せば、周りの視線が鋭利な刃物となって身体を突きさす。
深呼吸と共に腕を組む。
「それ以外の業務は行っておりません。……魔女の薬はお気に召しませんか」
不愉快です。
そう言えば、相手はおっと驚いた顔をして、
「いいや?」
目は座ったまま、口角だけを器用に吊り上げた。
予定以上に話が長くなりそうだったので、分割して投稿致します。
近日中に続きを投稿する予定です。
きりが悪い所で終わってしまい、申し訳ございません。