【茨】 2
綺麗?なにが?
口をぽかんと開けたまま言葉を探すも、見つからない。
お互いの視線が混じり合ったまま時が過ぎていく。
「…………」
後ろに何か見えるのかと振り返っても、見慣れた薬瓶たちが並んでいるだけだ。
「……………」
(えっと)
「…………、あの」
「うん」
(『うん』じゃない)
何故か騎士様は嬉しそうにしている。そして咄嗟に視線を外してもその場に座り込んでも、私の動きをじっと見ている。
見られている。
たまらず口が開いた。
「なんで、私を見て」
「綺麗だなと思ったから」
だからその理由を聞いているんだ!
思わず歪めた顔に何かを悟ったのか、相手は慌てて腰を上げる。
「気が付かなかったんだ。その、ついさっき君の顔をみたんだ。今までは、そういう余裕が無くて」
『媚薬だ!』
大声で言い放った騎士様の顔を思い出す。確かにその通りだったかもしれない。彼は明らかにいっぱいいっぱいだった。
(だって顔真っ赤だったもの)
それにしたって今日初めて私を視認したとは、逆にいままで何を見ていたんだろう。多少は仲良くなれたと思っていただけに、ショックを隠し切れない。俯いたまま白いスラックスを眺めた先には、陶器のような掌がぎゅっと握り込まれていて、
「不快にさせていたらすまない。でも魔女さんは、他の人と違ったから」
「真夜中みたいな髪に黄色い肌なんて私だけですものね」
両手で暴れる茨を握りしめて笑えば、喉元からひりついたうめき声が漏れた。
(私を見ないで)
「だから違う」
(何が違うって言うのよ。この見た目が変なんでしょ?こんな全身モノトーンな女、どこを探してもいないでしょうしね)
「君の言う通りだけど、そうじゃないんだ。そんな顔をさせたかったんじゃない。……っ、あぁもう、なんて言うか」
恐らく私たちの会話はすれ違っている。口下手なのだろう、それもわかっている。彼は私の問いを理解しているのかいないのか、支離滅裂なので言いたい事が分からない。
騎士様は必死に何かを伝えようとしているが、容姿の話をこれ以上されるのなら出て行って貰わなくてはならない。図星を突かれること以上に辛い事なんてない、もう騎士様を傷つけたくないし、両手も限界だ。
鎮火しつつあった黒いものが、また勢いを取り戻す。それは心臓に近づくと燃え、どす黒い煙を出して視界を覆っていく。
「君だけが違う」
私の心にドロドロとした汚い感情が溜まっていく。触れた瞬間爆発する恐ろしいものが、グツグツと泡を立て始める。
此処に来てからずっと蓋をしていたものが、加速度的に積もってゆく。
【魔女】に要らない感情が、外に出ようと手を伸ばしている。
「僕が思うのは、魔女さんだけなんだ」
あんなに手酷くしたのに、相手は掌を開きこちらへ伸ばしてくる。私の頬へ向かって来る。
触れた先は暖かいのかな、と思ってしまった。
(やめて)
おどろおどろしい緑色の異物が見えないのか、叶わない夢を見てどうする。
腹の底から湧いたものは息を止めても歯を食いしばっても止まらない。激流を抑えられないまま、ついに口から零れてしまう。
「そうなんです私は皆さんと違うんです、だから魔女なんですよ。魔女、はい、私は、ええ。騎士様お願いです、この話はやめませんか。ご希望に沿ったものは必ず用意いたします。それで今日はご勘弁願えませんか」
「いや、だから話を聞いてくれ」
「話を聞かないのはそっちでしょう!」
ギリギリで保たれていた理性が弾け、ついに蓋が開いてしまった。
息を吸った瞬間、ぐわ、と視界が赤く染まる。
「この見た目が気になりますか?ええ、私だって気になって気になって、何処までも馴染めない自分が!他と違う自分が! 嫌でたまりません! それなのに綺麗ってなんですか、嫌味ですか?!」
腹の底からプツッと薄い膜が割れる。周りの空気を吸い込んで怒鳴れば相手はようやく腰を引き、何か言いたげに口をモゴモゴと動かすが、意を汲む余裕なんてない。
「皆さんと同じ肌、髪色、瞳にしようと思った時もありました。でも似合わないんです。私の体はそういう風に出来ておりません。造形から、全部変えれば良いのでしょうか。そんな……そんな酷い話がありますか!?」
わんわんと叫び怒るさまは子どもそのものだ。恥ずかしい、そう頭の隅にいるもう一人の自分が言う。でもどうしたら私は元に戻るのだろう?
(元に戻る?)
茨の呪いが解ける日なんて来るのだろうか?
【魔女】の終わりなんてあるのだろうか。
「この毒々しい茨を生やす黒い女が、美しいと本気でお思いですか。これ、呪いなんです。人に触れないんです。姿形全てが異なるものは怖いでしょう、気持ち悪いでしょう。あなた方にとって私は【そういう存在】だ。知っています、ちゃんと弁えています。だから全部隠して生きていたのに貴方が、私に触れようとするから」
ちょっとコンプレックスに触れられたくらいで八つ当たりするなんて、最低だ。それでも茨はどこまでも私の気持ちに敏感で、言ってはならないこころを晒すたびに、相手の腕を伝いゆっくりと締めあげていこうとする。
暴走を止めるだけの気力はもう無く、とにかくその場を離れようと足を右に踏み出した。
と、身体が前へ傾く。そして、頬に温かい感触。
赤い視界が夕焼け色に染まる。この景色には、見覚えがあった。
「綺麗だ」
だから隠さないで。
腕に茨を巻きつけられた騎士様は、ぽつりとつぶやいた。
「まだいうんですか」
「何回だって言う。君は綺麗な人なんだ」
烈火のごとく燃え上がった炎は肌に触れ合ったところから、ろうそくが溶けていくように消えてゆく。
とっくに忘れていたひとの体温に、喉の奥がきゅっとしまった。
「僕の話をさせて欲しい」
聞くだけなら、と頷けば相手は苦笑して、一歩前に出た。
「僕は女性が苦手だ。元々緊張しいだし言葉足らずで、気の利いた事も言えない。はじめは皆話かけて来てくれる。でも僕と話すと離れていくんだ、見掛け倒しな奴だって言って。女性は特にその傾向が強かった。そのうちどんどん会話が怖くなって、人と目を合わせられなくなっていった。……話しかけられても困るし、期待に添えないから」
彼は一度舌で自身の唇を濡らして続ける。
「でも魔女さんは違う。言葉を知らない僕にも笑いかけてくれる。媚薬なんてものを頼んでも、何も言わないでくれる。目も合わさない不躾な男にも、優しい。何回か会ったら、会話が出来るようになった。身内と話すみたいに、気楽に。僕にとっては、初めての事だったんだ。だから嬉しくて、僕は今日やっと、君の顔を視れた」
頬に添えられている指が、僅かに震えている。それだけで心情を吐露しているのだと察せた。
「窓から差し込んだ光で、僕には君の周りがきらめいているように見えた。深い光沢のある髪は表情に合わせて揺れて、きらきらして瞬きするのが勿体なかった。きっと触れたら滑らかで、心地良いんだろうなって思った」
無条件に甘い言葉が、蓋の空いた汚い心に染みていく。
「君の瞳は夜の星空だ。見つめると、気持ちが凪いでいく」
熱い。顔も体もこころも火照っているのがわかる。視界の端で茨がチリチリと燃え、灰になっていく。
「君は僕の拙い話にも耳を傾けて笑ってくれる。ずっと楽しそうにしてくれる姿はとても眩しくて、宝石みたいに見えた」
「ほうせき」
突飛で華美な例えなのに、全く笑えない。逆に涙が零れそうで、ぎゅっと口元を引き絞った。この左胸を甘く締め付ける、切ない気持ちは何なのだろう。
遠い昔の思い出だったものが、また芽生え始めている。
「そういうものの価値、正直僕はよく分からなかったんだけど、今は綺麗だと思っている。ずっと見ていたいって大切にする理由が、分かった」
彼の言う【宝石】の実態は、そこら辺に転がっている石だ。魔女になったからといって外見に変わりはない凡人。
なのに。
「君だけが違う」
騎士様は思ったことをそのまま口に出している。だから言葉以上の意味はきっとない。口説き文句でも賛辞でもなく、事実を言っているだけなのだろう。
先ほどと同じ言葉を言われたのに感じ方が違うのは、私が変わったからだ。
「……伝わったかな」
ただ純粋に、私と過ごすのが楽しいと言ってくれている。【深緑の魔女】としてではない、【私】を見てくれている。
「はい。私も騎士様とお話しするの、大好きです」
そう思いを返せばそっぽを向かれる。黙って見つめていると見る間に顔が赤くなり、俯いてしまった。
彼らしいシャイな態度に、笑みが零れる。
「怒ったり痛い事して、ごめんなさい。やっぱり傷、治させて頂けませんか。あと茨の件は、もっと真剣に解呪方法を探します。それまでは、御迷惑をかけるかもしれませんが善処しますので、あの、よかったらまたお話」
「なら僕も呪いを解く方法を探す」
当たり前のように言い切ったから、直ぐに反応できなかった。
数拍遅れてやって来る感情は、震える程の幸福感。此処に着て、初めて此処が好きだと思った。
「ありがとうございます。とてもうれしい、です」
やっとの思いでそれだけ言うと、騎士様は顔を綻ばせ頷く。それだけで充分だった。
(騎士様)
しあわせに満ちた心臓の隅に湧いた感情の名前は、まだぼやけていてわからないけれど。
気が付けば茨は消えていた。