【深緑の魔女】 2
青年は、昼下がりの柔らかい光を浴びて立っていた。
太くたっぷりとした銀糸の髪は風に揺れる度に色を変え、さらさらと音が聞こえてきそうだ。対して瞳は夕暮れから夜に差しかかかる、赤紫色をしていた。シュッと筆を滑らせたかのような鼻筋と薄く形の良い唇にすこしたれ気味の目はアンバランスで、不思議と美形特有の威圧感は無い。
素直に美しいひとだな、と思った。例えるならば一見雪原に佇む狼みたいな気高さを感じるけれど、むしろひんやりとした雪の中に灯るあかりみたいな印象を受けた。
(騎士様なのに)
彼には私が思う軍人特有の横柄さというか、選民意識が感じられなかった。だからつい、その美しさに言葉も忘れて見入ってしまったのだ。
不躾な態度に、相手の目がキッとすがめられる。
「何をボケッとしている」
「! し、失礼しました。本日は、薬の入用でしょうか」
うむ、と頷く姿に慌てて道を開けて店内に案内すると、すれ違いざまに太陽の匂いがした。
森の中心にひっそりと構える此処は、医師のように専門知識で診察をするわけでも、へその上に塩漬けした木の実をのせるような民間療法を伝えるところでもない。更に言うなら、禁断の術で白を黒に変えたりもしない。それはできるけれど、したくないからやらない。
結果、言葉通りただ薬を出す所になっている。ただしすべての薬瓶には【魔力】が込められている、高額で非合法な代物だ。
魔女という存在こそ認められているものの、ここまで距離の近い女は居なかったらしい。街の人達からはよく、こんな気安く庶民派な【魔女】なんて居ないぞ、と笑われている。
私はそんな関係を、これからも続けていきたいと思っている。
騎士様は我が物顔で辺りを見回し何かを物色している様子だ。壁全面に渡る薬瓶がもの珍しいのかもしれない。でも、商品ではあるけれど知的好奇心で作り上げたおもちゃ(野生動物の気持ちがわかる薬とか、話が出来る薬とか諸々)が大半なので、嗜好を覗き見られている気がしてちょっと恥ずかしい。元々来客など滅多にないし、居ても商品の手渡し程度の時間なので、なんでもあけっぴろげに置いているのだ。右下の棚にある巨乳薬には気が付かないでくれよと念じ、そんなにジロジロ見ないで欲しい、などと商売人としてあるまじき思いを込めつつ様子を伺っていると、
(……あれ?)
騎士様はおもむろにテーブル上を凝視して、なぜかもの言いたげにこちらを見つめた。彼が発見したのは卵色をした、自作のバタークッキーだろう。
妙な沈黙が落ちる。
(なんか変なもの置いてるなとか思っているのかな)
お菓子作りは数少ない私の趣味である。正確に言えば、日本人だった頃に作ったものの再現が好きだ。
この世界の菓子は果物や木の実を干したものが多い。上白糖なんてものはないし、甘味を引き出すものは花の蜜だ。小麦粉は製粉技術の関係か高額で、嗜好品に使用する人は少ない。更に生ものを保存する手段も多くない。端的に言えば、香り高い高級バターをふんだんに使用した贅沢かつ珍妙な菓子なんて、ここには存在しないのだ。
(存在しない)
自分の肌が見えて、それ以上考えるのをやめ、相手に視線を合わせる。
「ご希望のものはございましたか」
「あ、い、いや」
顔にはっきりと「気になっています」と書きつつ、彼は視線をこちらに戻す。と、直ぐに視線を外される。
単なる癖なのかそれとも私が気に入らないのか、眉間の皺を更に深くして、しかめ面のままレジ台に手を置いた。
手の隙間から、紙幣の端が見えた。
「…………」
「…………」
気まずい沈黙が辺りを包みこむ。
「……、ご希望の品を仰って頂ければ、直ぐに探します」
そう誘導してみても相手の口は貝になったままだ。心なしか、下唇も突き出ているような気もする。
(なんだか怒っていると言うより)
言い淀んでいるように見える。
そんなに言いづらい品物なのだろうか。
ちなみに私にとって気分の悪いものは(毒物とか心を盗み見る系のものとか)全てお断りしているのだけれど。
(でも、そんなものを欲しがるようにはみえない)
彼は日の当たる所で生きている人間だ。匂いでわかる。
(私も昔はそうだったんだけど)
遠くで思いつつ、相手から言ってくれるのを待つことにした。
先程から一貫して目が合わないので不機嫌なのは察せられるけれど、なぜか恐ろしさは感じない。
こんな方、初めてだ。
「騎士様」
軽く声をかけただけで目もきつく細まる。美形の睨みはさすがに恐ろしくて意識せず背筋が伸びた。
お互い黙りこくったまま、時だけが過ぎていく。
私は待ちの姿勢で変わらないけれど、相手の眉間はどんどん深くなっていく。
まさか、雰囲気で要望を察せよというのだろうか。
(いやだよ)
魔女だからできなくはない。でも私は自分のやりたいときにしか魔法を使う気はないし、積極的に人の心を覗き見るような趣味もない。
(【魔法】)
左胸に虫がうぞうぞと這いずる不快感。そっと布越しに手を触れたら、呼吸に合わせて皮膚が波打っているのが分かった。心の揺れ動きに敏感な私の左胸には、ある呪いが埋め込まれている。
私はこの呪いのせいで、行動に制限が掛かっている。
何の力もなかったヒトが変化したその元凶は、薔薇の入れ墨となって私を縛っている。
誰かに接近すればするほど皮膚が引き攣る。暗にこれ以上は駄目だと警告する。
万が一その警告を無視し、相手に≪触れた≫場合は、罰が待っている。
気持ち悪い。この感覚は、何時まで経っても慣れない。
思考の端に【深緑の魔女】を映しつつ居ると
「あ」
視線が合った途端、相手の顔にボっと火がともった。色白の肌は瞬く間に薄桃色に変わり、おもわず桜を連想してしまう。
軋んだ音を立てる心を押しつぶし、黙ったままな相手を見上げる。騎士様は視線をうろちょろと左右にさ迷わせながら、息を吸い、吐いた。
不敬だから絶対に言わないけれど、金魚の息継ぎみたいでちょっと面白い。
(もしかしたら、意外と正直な方なのかもしれない)
市内で遠めに拝見する彼等騎士団はいつでもポーカーフェイス、市民の声にはアルカイックスマイル。慇懃無礼な方も少なくない。でも、彼は違うようだ。アルカイックスマイルはこんな真っ赤になりつつ狼狽えるような顔ではない。
(お金を増やして欲しいとか、爵位を上げたいだとか第三者に影響がある要件もお断りしているんだけど。やるとしてもそれ相応の≪見返り≫は頂くし。でも、この方はそんな事言わなさそう。モテたいとか?いや、それはない)
雪中に灯るあかりのような人だ、逆に引く手あまたに違いない。
(それにしては随分と初心っていうか、余裕がないようだけど)
まさか訳アリなのか?
と、考えていたところでようやく真一文字だった唇が口を開く。
すこしつっけんどんで赤面症な騎士様は、何を望むのだろう。湧いた興味に動かされるまま身を乗り出したら彼は少しだけ顎を引き、数回深呼吸をしてから、改めて私に向き直った。
そして
「媚薬を作って欲しい」
「…………」
この場にあるものは、まさかの注文に言葉を失う私と、頭頂部から何かが噴火してしまいそうな騎士様、そして凍えるほど冷えたく白けた空気。
水を打った静寂が辺りを包む。
「ひ、ヒヤ、ヒヤク、でございますか?」
「媚薬だ!」
再度訪れた沈黙に答えたのは、遠くでのどかに鳴く鳥の声だった。