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ファンタジーが始まる  作者: カカ
10/11

【芽生え】 5


 私の名前を知っているヒトはいない。唯一知っていた【魔女】も死んでしまった。


 名を忘れたわけでももちろんない、そんな時間一瞬たりとも無い。ただ、それを口にするのはどんなに仲良くなったとしても、避けて通って来ていた。


 【深緑の魔女】で事足りるじゃないか。聞き慣れない名前を聞いてどうする。きっとまた、物珍し気な目で私を見るのだろう。

 たかが名前と呆れられるかもしれないけど、本名は私をかたちづくる心臓の中心にある21グラムだ。この世界で晒すはずなどない。だってこれは数少ない地球から持ちだせた、唯一と言っていい【私】なのだ。


(言う訳がない)


 私の事を知らなくていい。その代わり、線引きした範囲内には絶対に入って来ないで欲しい。そう思い黙りこくるも


「…………」


 注がれる視線がふたつに増えている。一方は気遣わし気な態度だけれど何も言わないから、彼も私の答えを知りたいのかも知れない。

 騎士様なら、呪いを認めて下さったルドルフ様ならお伝え出来るかもしれない。

 けれど。


「どうして黙っている。言え」


(何が嫌って、ただの知的好奇心で聞いているわけじゃないっぽいのが)


 相手は舌舐めずりをして、楽しそうに私を眺めている。

 こちらが態度で拒否しているのにも関わらず、困惑さえ嬉しそうに喉を鳴らす様が、気持ち悪い通り越してもはや恐ろしい。

 短い時間で察するに、彼は関心のないものは視界にも入れない代わりに、興味を持ったものには満足するまでとことん追及する人だ。


(興味を持たれてるっていうより)


 茨が背筋を這うような悪寒に、瞼が引くつく。


 まるで【そういう意味】で私を見ているみたいじゃないか。


 砂利を踏む音が近づき目前で止まった。魔力を心臓に注ぎ込んでいるため視線を下へ落とせないし、眼前の男は口端を鎌で裂いたような笑みを浮かべている。

 軍人だろうがヒトだ、人ならざる【深緑の魔女】に勝てるはずない。実際、魔法にきっちりかかっているし、主導権も握っているはずなのに。


 歴戦練磨であろう現役軍人と温室育ちな【深緑の魔女】。


 私は今、怯えている。


(【そういう意味】)


 きっとパンドラの箱を開けてしまった人は、こんな気持ちだったのだろう。

 こおりのだったはずの瞳が、らんらんと輝いている。蛇がチロチロと嬉しそうに舌を出す。


 ヘマ踏んだと気付くにはあまりにも遅すぎた。

 蛇に睨まれた蛙は、体を硬化するしか出来ない。


 魔力を注ぐのを止めて目を閉じる。一瞬視界が白く染まり、頭をぎゅっと絞られたような痛みにたたらを踏んだ。



「綾芽と申します」

「アヤメ」



 囁き声は前から、それとも隣からか。噛みしめゆっくりと咀嚼するような声がした。


 たった三文字の羅列は心臓を抉ってから空気に溶けて、その穴を体中の血液が埋めようと、ごうごうと勢いよく流れてゆく。上がる心拍数に対して、指先は氷みたいに冷たくなってゆく。


「アヤメ、か……聞き慣れん。姓は」

「ありません」


 咄嗟の嘘に左胸の皮膚がヒクヒクと痙攣している。どこまでも素直な呪いに嫌気がさす。

 このままだとまた茨が出てしまう。

 落とした視線の先には、太く筋張った腕があった。すぐ隣にある白い掌は陶器のようで、きっと触れたら暖かいのだろう。

 昔の、【綾芽】だったころの感触を思い起こそうと目を閉じても、思い出せない。

 ただ指だけが、凍っていく。


「全てが見慣れない。アヤメは、見ない顔だ。漆黒に濡れた髪は自前か?そのミルク色の肌は?服で隠しているが華奢だ。やろうと思えば右腕ひとつで隠してしまえるではないか。……陰気なようで気丈な性格は生来か?いやはや、どうして」


 世界に独りであろう容姿。

 黄色い肌。

 目上・男性に対して物怖じしない(様に見える)気の強さ。

 すべて地球から持ち出したものだ、ここにはない。


「悪くない」


 そう満足げに言われても返事のしようがない。こちらはただ息を殺して時が経つのを待つだけだ。


 褒められている、というより珍しいのだろうと思う。

 めまいさえ起こしそうな生理的不快感の原因は、値踏みし一挙一動漏らさず観察する視線だ。恐る恐る視線を合わせても、粘ついたそれが我慢できず、瞼を閉じてしまう。


「魔女はヒトを好くのか」


 その一言に、どれだけの悪意が込められているのか。

 魔女がどれだけ心を切り刻まれるのか、男は分かって言っている。


 ビク、とこめかみに青筋が浮かび、はっきりと歪められた顔を見たはずなのに、敵意さえも愉悦だと男は頷いた。「酷い事を言ったかな?」と笑った。


 ここで例えまた緑の化け物が出ても、蔦がしなる音を聞いても、男の表情は変わらないだろう。


 『素直になって』なんて馬鹿な魔法をかけるんじゃなかった。目の前の男は一癖も二癖もあると分かっていたはずなのに。こんな事になるのなら素直にテレポーテーションすればよかった。まだ私自身に興味を持っていなかった段階なら、不敬だとしても黙認してくれたかもしれない。実際、不良遺族に対しては無関心だった。と、考えたところでかぶりを振る。


(いや、どうだろう)


 どのみち男に目を付けられたような気がする。だって、


「……ルドルフ、なんだその顔は」


 彼は騎士様を敵視している。隙あれば足を引っ張ろうとしている対象が擁護するものを、みすみす見逃すほど、男は優しくない。

 隣から大きく息を吸う音が聞こえた。


「彼女に失礼です。謝罪を」


 氷の瞳をした男は鼻で笑い、顎でしゃくり続きを促す。馬鹿にした態度に、騎士様の纏う空気が硬化していく。


「魔女さんは皆に優しいし、市民も彼女を大切にしています。自分も、す、好きです」

「それは女ではないからだろう?お前は男としかろくに話せないではないか。あぁ、そうか。アヤメは化け物だから」

「違います!そんなこと思ったことも」

「では見慣れぬ服を着て超常的な力を使うこいつが、ヒトだと?」


 ひく、騎士様の口元が引きつった。


 返事はない。隣に視線をやれば、肩が小刻みに震えていた。


 騎士様はどこまでも素直な方だから、それだけで、充分すぎる程心中を察することが出来た。

 腹の底から湧いた笑いをかみ砕き、意識的に呼吸をする。


(ここで泣き喚いても、何も変わらない)


 そっと背中に手を置くと、相手は弾かれたかのようにこちらを見た。「助けて下さって、ありがとうございます」そう目が合った所で微笑かければ、見る間に顔が苦悶に歪んでしまう。おろおろと視線をさ迷わせる相手に分かっていると続けると、


「ち、ち違う、魔女さんはそうじゃない」

「分かっています、ですので」

 人間ではないけれど優しいと、そう言いたいのですよね。 

 そう目で合図をするが、相手はなぜか首を横に振り、息を吸って


「アヤメ」


 団長の声に、意識を戻される。


「お前は先ほど、俺を操ろうとしたな?」

「はい」


 今更取り繕ったって仕方がない。正直に答えれば団長は、ふふ、と低く笑い舌に喜色をのせて続ける。


「具体的には?魔法をかけられても不思議と嫌ではなかった。むしろ、思った通りに口が動いた。非常に面白い体験だった、俺は全く不快じゃなかった。あれは本当に面白い。答えろ」


 なにが【誰も傷つかない魔法】だ。絶対に触ってはならない男の、絶対に動かしてはならない歯車を動かしてしまったじゃないか。

 油断すれば笑い始める歯を宥めつつ、口を開く。


「【素直になって欲しい】と」

「素直!」


 堪らないといった様子で、男は笑い声を上げる。そして怯え息さえ出来ずにいる私に向かって、足を踏み出した。

 男の後ろから粘度のある黒い淀みがわくのが見えた。と、左胸から繊維がちぎれたような音がする。


(出る)


 ひどい立ちくらみが起きるのと同時に、視界が反転し


「団長様!」


 遠くで誰かの声が聞こえたのを最後に、視界が真っ黒に染まった。



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