【深緑の魔女】 1
「魔女はいるか」
その声は玄関から聞こえた。
持っていた小瓶を作業場兼レジ台に置き、立ち上がる。手で軽く服の皺を伸ばして、はい、と返事をした。
張りのあるテノールは耳を心地よく通り過ぎたけれど、端々が刺々しい。
きっと警戒されているのだろう。
(まあ、そうだよね)
華やかな城下町から外れた此処――【魔女の家】は、深緑が生い茂る森のど真ん中にある。昼はともかく日が暮れると人気のなさも相まって、神秘的で、どこか不気味な世界へと変貌する。
こんな辺鄙な所に住んでいるのは野生動物と、【深緑の魔女】だけだ。
魔女は人ならざる異物。
私の事だ。
袖をまくり、腕を見る。自分にとっては見慣れた、でもこの世界では一人しかいない黄色みがかった肌。ほぼ全人口が青みを帯びた白色の中で、私の肌は鮮明で目立つ。だから何時もこの白い長袖ブラウスを着て、上から真っ黒なローブを被っている。私を知る街の人やご贔屓さんから何か言われた訳ではない。ただそうしないと、常に余所者だと主張しているようで嫌なのだ。
私は日本人だ。だから、この国の人ではない。
「よそもの」
数年前にとんでもない奇跡(または誤算)が起きて、私は異世界へ飛ばされ、本物の【深緑の魔女】――先代に拾われた。その後紆余曲折を経て一緒に暮らすようになって、ここで生きる術や、【魔女】としてのノウハウを教え込まれた。
非現実的なおとぎ話を素直に聞き、実戦していくまで葛藤はあった。けれどこれは夢ではない、私は二度と地球に還れないと知ってからは、すんなり現実だと受け入れていけた、と思う。
ここがどこだなんてもうどうでもいい。とにかく生きなくては。
そう奮起する私を彼女はまるで親族のように、孫のように、ひな鳥をふかふかの綿の上に乗せるかの様に育ててくれた。
だから、私はひとりではなかった。泣いた日はあったけれど、零れた涙は次の日には乾いていた。
でも、暫くして【魔女】は居なくなった。私はひとりになり、【深緑の魔女】になった。
それから彼女の店を引き継いで、今に至る。
私は孤独であることと引き換えに、恐ろしくも強大な力を手に入れた。ひとりで生きて行けるだけの術は、全て貰っている。
でも、もう嘘みたいな本当の話を冗談と笑ってくれる人は、居ない。
さて、こんな所に来るのは余程の物好きか、酔っ払いか迷い子くらいのものだ。どこの世界でも【魔女】は畏怖の対象らしい。
(といっても、ここの人達は迫害するどころか、後ろ指をさすこともないけど)
出来る限りフレンドリーに接している功績か、当初は遠巻きに見られるだけだったけれど、現在は世間話が出来るまでの友好関係は築けている。
魔女秘伝の薬を販売しはじめてからは、彼等は私を薬師だと思っている節がある。まあそれはいい。それで話しかけてくれるなら嬉しい。
今回も【魔女】の力を頼りに来てくれた人なのだろうか。
(薬の出番)
ぐるりと辺りを見回す。
部屋の壁伝いに古びた棚が所狭しと並び、至る所に薬瓶がびっしりと敷き詰められている。中身は全て手作りの薬で、全て効能も異なる。使えばどんな病気にも対応できるし、怪我だって一瞬で完治する。そんな魔法が、ここにはある。
【深緑の魔女】は何だってできるのだ。
ずくずく、と左胸が痛みだすのを感じ、眉間に皺を寄せる。
ブラウスに隠した肌にあるのは、魔女の証。私がヒトではなくなった証だ。
そこまで考えて、扉を激しく叩く音に意識が戻る。
「魔女!いるのだろう!」
「は、はい!只今御開けします!」
俺様かつ敬語を使わないところからして、相手は十中八九貴族だ。流石の魔女でも権力には弱い。だってヘマしたら最悪魔女狩りに会うかもしれない。やっと仲良くなったのに、悪印象を持たれて良からぬ噂を立てられたら堪らない。生きていけなくなる。私はあくまでも平和主義なので、要らぬ諍いは可能な限り起こしたくないのだ。
(あまり怒っていませんように)
扉へ小走りで向かいつつ唾を飲み込む。年代物の扉は節々がさび付いているから、開閉をするときに軋んだ音がする。いつか直さなければ、と思いつつゆっくり扉を開けると、
「…………きしさま」
青と白を基調とした軍服に身を包んだ、青年が立っていた。