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仕事に夢中になっている間にどんどん時間は過ぎてゆき、気が付けば夕方と、学園祭が終わる時間に近づいていた。この時間帯にもなると喫茶店を利用する客は少なくなるので、このメイド喫茶の客足も今は落ち着いてきている。
「なのに何でこのタイミングで来たんですか。藤田先輩」
「本当は昼に入りたかったんだけど、そん時にここ来たら無茶苦茶混んでんだもん」
藤田先輩は夕方になって約束通りにうちに来てくれた。人が少なくなってきたので、俺も休憩を取り、今は注文したコーヒーを飲みながら2人で談笑している。
「つーかお出迎えって水野くんがやってくれるんじゃねーのかよ。俺が来た時ごついメイドだったぞ。めちゃビビったわ」
明がお出迎えを始めてから、ずーっと明が一人で担当し続けたわけではない。客の中には筋骨隆々のメイドが接客してくれるのが面白いという話を聞いて、ここに来る客も割といたので、そのニーズに応えるべく明は時々他のメイドに出迎え役を替わっていた。そしてたまたま野郎のメイドが出迎え役をしていたタイミングで藤田先輩はここに来てしまったのだった。
「というか先輩こそメイドビビらせてたじゃないですか」
メイクを落とすタイミングがなかったのか先輩はゾンビ姿のままで来店してきた。そのため出迎えたメイドの方もビビっていた。「しゃあああぁぁぁせっ、うおっ!?」てな感じで。
「ふう、やっと楽になってきたね」
俺と先輩のいるテーブルに同じく休憩中の明がやってきた。ひっきりなしに客が出入りするもんで『お帰りなさいませご主人様』と『いってらっしゃいませご主人様』を言う機械となっていたのでやつれ気味だ。
「お疲れさん、水野くん」
ゾンビ姿の先輩が明をねぎらう。
「藤田先輩こそお疲れ様です」
笑顔で明も応えた。客を出迎えるときも最初は緊張で笑顔にぎこちなさがあったが、今はだいぶ自然な笑顔ができるようになっている。
「魔性のメイドめ、その笑顔で何人の男女を誑かしてきたんだ」
「誑かされてんのは主にお前だろ」
「そもそも僕にそんな意図はない」
無自覚だからこそ魔性と言っているんだ。罪なメイドめ。
「ってかもう何回も言ったんだからもっかい俺にもあのセリフ言ってくれよ。頼むよお願いしますどうかご慈悲を」
「お前友達にそんなこと言って恥ずかしくないの?」
藤田先輩にまで冷たい目で見られ始めてしまったが、それよりもう一度明のご主人様になることの方が優先だ。俺のメイドに対する情熱はそんなもんじゃ冷めやしない。
「お帰りくださいませご主人様ってかい?」
「残念だったな明、その言葉は通はむしろ喜ぶ」
「通って何の通なんだ……」
そりゃ訓練されたご主人様のことに決まっているだろう。俺のような通からすればご褒美をもらったようなものである。
「つーかもっかい言ってくれっていうことはすでに一度水野くんは真司に言ったってことなのか?」
俺の発言から明がうっかり俺をお出迎えしてしまったということに藤田先輩は気づく。そのことを指摘すると明の顔が赤くなった。また可愛い。
「ええ、その……真司をお客さんと間違えてしまって」
「ああ、なるほど」
ばつが悪そうに明が藤田先輩に説明をした。別にそんな顔をしなくてもいいだろうに。俺がご主人様となるのがそんなに気にくわないのか。
「だったらお前がご主人様になれよ!」
「なりたくないし何がだったらなのか全然分からない」
明の顔は元の顔色に戻ってしまっていた。
『ただいまをもちまして、東高校学園祭は終了となります。本日お越し下さった方々、学生の皆さん、ありがとうございます。外部のお客様はお気をつけてお帰り下さいませ。学生の方は、これから片付けに入ってください』
俺と明と藤田先輩が話し続けていると、学園祭の終了を知らせる放送が流れた。
「ん、終わりか。じゃあ俺は帰るわ、じゃあな」
「はい、さようなら」
「お疲れ様です」
藤田先輩はゆっくりと荷物を持って立ち上がり、レジの方に向かって歩いていった。結局藤田先輩は学園祭が終わるまでゾンビのメイクをしたままだった。おかげで明は一度も素顔を見ていない。同時にまだ少し教室に残っていた他のお客さん達も立ち上がり、出ていった。それを俺と明、その他教室にいる2年6組の生徒達みんなで見送り、俺たちの学園祭は終わりを迎えた。
教室に客がいなくなると、いつにも増して賑やかだった教室が静かになる。大変ながらも楽しい時間が過ぎ去り、俺たちは少しセンチメンタルな気持ちになっていた。
「……よし!じゃあ片付け始めよっか!」
静粛を破るかのように野川さんが手を叩くと、感傷的になっていたクラスメイトたちが再び動き始める。片付けながら生徒達が学園祭の感想を笑いながら語り合う光景は、いつもの2年6組と同じ景色だった。
「楽しかったな明」
「そうだね、まあ金輪際この格好は勘弁してほしいけど」
俺たちも皆と一緒でお喋りをしながら片付けを始める。どうやら明は最後までその格好が気に入らなかったようだ。
ひょっとして目覚めたりしないかななんて期待していたのに。何にとは言わないが。
その後も手と一緒に口も動かし続けながら片付けは進んでいき、やることはほとんどなくなってしまった。そろそろ一息つけると思ったところで、俺は大事なことを思い出した。
「あ、そうだ忘れるところだった」
突然そう口にした俺に、明が「何が」と聞こうとしたが、俺はそれを待たないで教室の後ろのロッカーに向かい、自分の鞄からスマートフォンを取り出した。
「携帯がどうかしたのかい」
「シャッターチャンス!」
「うわっ!?」
俺は携帯を取り出すと同時にカメラを起動し、明に向けてシャッターを切った。フラッシュが焚かれ、それに驚いた明はのけぞってしまう。
「あ、ブレちゃった」
「いきなり撮るからじゃないか」
カメラにメイド姿の明を収めたのはいいもののブレてしまい、写っているのが誰だかわからなくなってしまった。
「ごめん、もう一度撮らせて」
「全く君は……」
そう言って明は溜息をついた。やっぱり嫌なようだ。明が着替える前になんとか一枚ゲットできないかと思って撮影してみたが作戦は失敗に終わってしまった。拒否されるのを承知でなんとかお願いしてみたが、怒らせてしまったのでもう望みは薄いだろう。
「わかった、今日ぐらいはいいよ」
「そこのところをどうにか……ってええ!?」
案の定断られるかと思ったが、意外にもOKが出た。思わず頼んだ俺が声を上げてしまった。
「頼んだのは君なのに何をそんなに驚いているんだ。こんな格好するのなんて今日が最初で最後だし少しくらいならいいよ」
本当に撮っていいらしい。明の写真は今日までにも何枚も撮ったが、今の姿は本人も言う通り本日限りの限定レアだろう。そのSSR級の価値がある明のメイド姿を本人公認で撮影できることに俺のテンションはうなぎのぼりになる。
「よし、じゃあまずは手でハートを作って上目遣いで俺の方を……」
「ポーズまで指定していいとは言っていない」
それはダメなのか。他にも猫の手とかスカートの裾をつまむとか色々注文しようと思っていたのに。
「じゃあ二人で一緒に撮ろうぜ」
「それならいいよ」
そう言って俺は明の横にくっつき、二人ともカメラに収まるように携帯を持つ右腕を伸ばす。
「ほら、笑顔笑顔、それくらいはいいだろ?」
「う、うん」
俺が明に笑顔を注文するとはにかみながら笑顔を作ってくれた。まだ少しぎこちなさが残っているものの、今日何度も笑顔を作らせられた甲斐あってか明にしては自然な笑顔だ。
「はいチーズ」
パシャりとシャッターを切って撮った写真を確認する。そこには当然ながら俺と明の笑顔のツーショットが写っていた。しかしこの明の格好では、知らない人が見ればどう見たって恋人同士にしか見えないだろう。
「いい写真だ、この調子でもっと撮ろう。具体的には俺の携帯の容量が尽きるまで」
「いや、流石にそこまでは……」
そう言いつつもなんだかんだで俺に付き合って何枚も写真を撮ってくれた。明に自分の分は撮らなくていいのかと聞くと着替えてから撮るそうだ。勿体無い、後で今撮った写真送ってやろう。
「あ、飯塚くんだけずるーい!私にも水野くん撮らせて!」
明と二人で撮影会をしていると不意に野川さんに声をかけられた。もともとこの学園祭でいくつも写真を撮るつもりだったのだろう、野川さんは携帯ではなくデジカメを持って構えていた。
「お客さん、一枚300円ですよ」
「うーん、もうちょっと負けて!」
「君が値段をつけるな。野川さんものらないで、普通に撮っていいから」
明が冷めた目で俺と野川さんにツッコんだ。野川さんは「あはは」と笑いながら明にカメラを向ける。
「よーし、明くん、まずは手でハート作って上目遣いでポーズとってみよっか」
「それはもう真司がやったよ野川さん……」
「あれ、ボケ被っちゃった?」
たまたま野川さんのボケと俺が先に明に言ったことが被り、野川さんは再び「あはは」と笑った。もっとも俺の方はボケたつもりなどなかったのだが。
「それにしても僕みたいな男のメイド姿撮って楽しいのかい?他にもいっぱい同じ格好してる子いるじゃないか、野川さんだって着てるし」
俺と野川さんが明に向けてパシャパシャやっていると明がそんなことを口にした。
「何言ってるんだ明!」
「何言ってるの水野くん!」
俺と野川さんが同時に叫ぶ。俺たちの剣幕に、明は呆気にとられていた。
「いいか明、もっと自信を持て。今日この教室、いやこの学校、いやこの地球上で一番輝いていたのは間違いなくお前だ。俺が保証する」
「そんなことで自信を持ちたくはないし、その保証に何の意味もないと思うんだけど」
「飯塚君の言う通りだよ水野くん!今日いっぱいお客さんが来たのだって水野くんのおかげだし、私よりずっといいメイドさんだったよ!」
「う、うん、ありがとう?」
俺だけでなく野川さんにまで明がいかに可愛らしいメイドであるかを説かれた明は流石にたじろいでいた。それからも続けて俺たちが二人で明の可愛さについて熱く語っていると終いには明が「僕がおかしいのかな……」と小声で呟いた。だいぶ効果はあったようだ。
「まあ明が可愛いのは不変の真理として、せっかくだから野川さんも撮っておこう」
「いえーい、可愛く撮ってね!」
俺が携帯のカメラを向けると野川さんはすぐに両手でピースサインを作り、ポーズをとった。そして俺がその姿をカメラに収める。
「ついていけない……」
明は今日何度めになるかわからない溜息をついた。明よ、これが学園祭の高校生のノリと言うものだ。
「あ、写真撮ってるー」
「おい、三人だけでずりぃぞー」
教室の片付けが終わり、クラスメイト達がわらわらと写真を撮り合っている俺たちに群がって来た。全員携帯を取り出し、大規模な撮影会が始まった。特に明は人気で、多くの女子(それと一部男子)に写真を撮らせてと頼まれ、苦笑いを浮かべている。
そんなてんやわんやとした空気の教室で、不意に誰かが大きな声で言った。俺たちの担任だ。
「みんなで集合写真撮るぞ!」
その言葉に全員が賛同し、教卓に並んだ。まだもう少し学園祭の余韻に浸りたかったのか、誰一人として着替えておらず、みんな学園祭用に作成したオリジナルのTシャツか、メイド服を着たままだった。女子はともかく、明以外の男子は早く着替えてほしい。
全員が並ぶと、先生は用意していたカメラを持ち、俺たちの前に出てこちらにレンズを向けた。「もう少し詰めて」「前の人しゃがんで」「もっと笑顔で!」なんて指示を出しながら俺たち全員をファインダーに収めようとする。そして最後に一言、声をかけた。
「はい、チーズ!」
その言葉と同時にカメラがカシャっと音を立てた。俺たちは全員笑顔でカメラにピースサインを向ける。
こうして俺たち2年6組の学園祭は終わった。
「学園祭の時の明、可愛かったなあ」
「まだ言ってるのか君は」
学園祭が終わって早1週間が経つ。今の時間は昼休みで今日も俺は購買で買ったパンを、明は自作のお弁当を食べていた。
「あれからどうだ。もう一度着てみたいなんて思わなかったか?」
「思うわけないじゃないか。あの服は僕のじゃないし、二度とあんな服着ることなんて……」
「水野君お願い!」
俺たちが二人で食べながら話していると野川さんが割り込んできた。お願いという言葉に嫌な予感を感じたのか、明はすでに顔を強張らせていた。
「い、一体どうしたのかな。僕ができることなら協力するよ、できることなら」
何かを察しながらも明は笑顔で応えた。やたら「できることなら」と言う部分を強調していたが。一応話を聞く態勢になった明に、野川さんが言いにくそうに要件を伝えた。
「えーっとね、水野君、よかったらだけど……チアガール、になってもらえないかな?近いうちに体育祭があるから、それの応援団として参加してほしいなーって」
その言葉を明は固まったまま聞いていた。ある程度予想はしていたのだろうが、やはり聞きたくなかった話らしい。
「……どうしてそう言う話になったのかな」
「えっと、うちの体育祭だと5組の人たちと一緒に赤組になるよね。だから応援団も合同でやってるんだけど、5組の応援団の人たちが6組の可愛いメイドの子……水野君がチアガールやってるのみたいって言って、それで私が話だけでもしてみてって頼まれちゃって」
どうやら他所のクラスからの要望らしい。明のメイド姿は他の組でも有名になっていたようだ。流石は我がクラスの至宝、明だ。と言いたいところだが当の本人は再び固まってしまっている。
明としては5組の生徒から頼まれて頭を下げている野川さんを無下に扱いたくはないのだろう。それにここで野川さんに断りを入れたとしても、今度は5組の生徒達がここに押しかけてくるかもしれない。そうなったら最後、恐らく明では断りきれない。
俺は返事ができないまま、硬直を続ける親友の肩に手を置いた。
「明、どうか強く生きてくれ……まあ本当に嫌なら俺が断りに行くが」
「……はあ」
今年の東高校の体育祭の応援合戦では赤組の応援が大盛況となり、その中でもある一人のチアガールが可愛いと学校中で評判になったのだが、それはまた別のお話。
おしまい