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藤田先輩と別れた後、俺たちは映研の作品を上映している視聴覚室へと向かった。入学してから一度も入ったことがないので教室がどこか知らなかったが、明に視聴覚室もこの階にあると教えてもらったのですぐに辿り着けた。
視聴覚室の前では映研部員だと思われる女性が受付をしており、笑顔で俺たちを出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ、大人の方はおひとり様100円、お子様の方は50円となります」
「大人一人、それとメイド一人です」
「メイドのお客様は特別に入場料100円となります」
受付の人が笑顔で答えた。ノリのいい人だ、山下に爪の垢を煎じて飲ませてほしい。別に入場料が安くなってるわけではないが。
俺が入場料を払い、続いて明も大人と同額の入場料を払うと番号の書かれた券をもらった。
「この番号はどういう意味なんだろう」
「38だな」
「書いてる数字が読めないんじゃなくて何で番号の書かれた券を配っているんだろうという意味だよ」
もちろんそんなことは分かっている。ちょっとふざけてみたかっただけだ。
「すみません、この番号はどういう意味なんでしょうか」
俺は俺たちに券を渡した受付の人に番号の意味を聞いた。
「37です」
俺と同じボケを被せてきた。やはりこの人、やりおる。
「すみません、冗談です。これは座席番号となっております。席が自由だと混乱を招く場合がございますので」
「なるほど」と俺は相槌を打った。うちの映研はここの学園祭の出し物の中でも特に人気である。なので自由席にしてしまうと席の取り合いが発生してしまうかもしれない、というか実際過去にあったのだろう。なのであらかじめ映研で座る場所を指定しているというわけだ。
受付の人にお礼を言ったあと、券を持った俺たちは視聴覚室に入り、自分たちの席を探した。机の上と椅子の後ろに番号が書かれた紙が目立つように貼ってあるので席はすぐに見つけることができた。モニターから結構離れた位置だが会場はたかが視聴覚室なので映画館などと比べると遥かに狭い。なのでどの席でも普通に見る分には問題はないはずだ。
「映画、楽しみだね」
「ああ、お手並み拝見とさせてもらおうじゃないか」
「何様なんだい君は」
そんな会話をしながら5分ほど待っていると映画が始まった。それと同時に俺たちは二人とも黙り込み、視聴覚室のモニターが映す物語に神経を集中させることにした。
「面白かったな」
「うん、感動した」
視聴覚室を出た俺たちは廊下を歩きながら、映画について話していた。俺たちと一緒に視聴覚室を出た他の観客達も、みんな自分と一緒に入った連れと、映画の感想を語り合っている。
「……あれは」
しかし感想を言い合いながら歩いていると、明は突然話を打ち切り、廊下の隅へと視線を向けた。明の視線の先を見てみても人混みしか見えない。と思ったらその陰で小さな女の子がぽつんと一人立っているのがわかった。その女の子の周りに保護者らしき人は見えない。
「……迷子か」
「多分ね。ちょっと話しかけてみよう」
そう言うが早いか明は女の子の方へと向かって行ったので、俺も明を追いかけるようにしてついて行った。
明は女の子の目の前でやってくると、腰を屈めて女の子と目線の高さを合わせてから話しかける。
「ねえ、君はお母さんとお父さんと一緒に来たのかな?」
明が女の子に優しく話しかけた。俺にはそんな風に話しかけてくれないのに。
「お母さんと来たけど……いない」
女の子がそう言うと俺と明は顔を見合わせ、互いにこの子が迷子であると確信する。さて、こう言う時はどうするべきか。
「お母さんとはぐれちゃったんだね、いつからいなくなったの?」
「お母さんとトイレに入ったけど、ゆいだけ先に出て待ってて……そしたら人がドバーって来ちゃったから」
どうやら母親とトイレに入ったが、自分だけ先に出て廊下で母親が出るのを待っていると、視聴覚室から出て来た大量の人混みに流されてしまったと言うことだろう。それと何気に自分の名前も言ったな、ゆいちゃんか。
「とりあえず職員室に行った方がいいか?いや、呼び出しをするなら直接放送室に行ってもいいか」
ここで話していても人混みのせいでまたすぐにはぐれてしまいかねない。俺は女の子のお母さんを呼び出すために移動を提案した。
「そうだね、ここから近いのは放送室の方かな」
明も俺の提案に乗り、放送室を目指すことにする。
「えっと、ゆいちゃんだよね?お母さんすぐに見つけてあげるから一緒に来て欲しいな」
そう言って明はゆいちゃんに手を差し伸べた。するとゆいちゃんは小さな手で明の手をキュッと握る。
「よし、それじゃあ行こうね、ゆいちゃん」
明は手を握ってくれたゆいちゃんに笑顔を見せた。
「うん、ありがとうお姉ちゃん」
その笑顔はすぐに引きつった。
「ええと、石田ゆいちゃんのお母さん、石田沙織さんを呼べばいいのですよね」
「ええ、お願いします」
俺と明、それとゆいちゃんと三人で放送室についた俺たちは、放送部員の人にゆいちゃんのお母さんを呼び出してもらうように頼んだ。ゆいちゃんのフルネームとお母さんの名前は放送室に向かう途中でゆいちゃんから聞き出している。
「あのねーゆいはねー、い、し、だ、ゆ、いってちゃんとお名前書けるんだよー」
「へえーそうなんだ、ゆいちゃんは偉いねー」
「えへへー」
お母さんの名前などを聞き出している間にゆいちゃんはだいぶ打ち解けて、今は明と仲睦まじく話している。
ちなみに明はゆいちゃんに女と誤解されたままだ。本当は男だと明かしてしまうと『どうして男の子なのにこんな格好してるの?』なんて質問が来るのはわかりきっている。男が女の格好をしていることを説明するのはゆいちゃんの教育上よくないと考えたのだろう、明はゆいちゃんの前ではお姉ちゃんとして振舞っている。こうして見るとまるで姉妹のようだ。
「俺もい、い、づ、か、し、ん、じって書けるぞ」
「うん知ってる」
流されてしまった。俺も明お姉ちゃんに褒められたいのに。
「それとねー、ゆいは折り紙上手なんだよー、鶴だって綺麗に折れるんだから」
「へえ、鶴なんてなかなか難しいでしょ、ゆいちゃんは凄いね」
「…………」
「何で無言になる……鶴折れないんだね、君は」
幼稚園の頃にみんなで折り紙で遊んだりなんかしていたが、どうしても綺麗に折れなかったんだよな鶴は。まあ、あくまで幼稚園の頃の話だが。
「あっそうだ、紙飛行機は折れるぞ」
「紙飛行機なんて簡単じゃないか」
「いや俺が折ったやつはよく飛ぶんだ。組で4番目ぐらいに飛んだ」
「ああそう……」
反応薄いな、せっかく自慢話したのに。当時の俺は『紙からジャンボジェットを生み出す男』なんて言われて、ゆり組の紙飛行機四天王に名を連ねていたものだ。四天王の中では最弱だったけど。
「ゆいも紙ヒコーキ得意ー。紙ヒコーキ大会でうさぎ組で1番になったんだよ」
「…………」
「結局負けてるじゃないか……」
恐るべし石田ゆいちゃん、どうやらこの子とはいいライバルになれそうだ。
「ねえ、お兄ちゃんってお姉ちゃんの彼氏?」
放送部員に呼び出しをしてもらい、お母さんが来るのを放送室の入り口で待ちながら駄弁り続けていると、ゆいちゃんが不意にそんな質問をした。明は吹き出した。
「うん、俺がこの子のかれ」
「違う違う違う、ぼ……私とお兄ちゃんは友達なんだ。恋人じゃなくてと、も、だ、ち」
明が念を押すように主張して来た。しかしゆいちゃんは明のことを女の子だと思っているのだからそう思うのもやむを得まい。というかゆいちゃんに限らず、俺とメイド姿の明が並んで歩いているのを見てカップルだと思った人は大勢いるのではないだろうか。
明が必死に否定するとゆいちゃんは「ふーん」とつまらなさそうに答えた。俺と明が恋人同士ではなかったということにガッカリしたらしい。ゆいちゃんくらいの歳でも女の子はこういう話題には興味があるようだ。
「じゃあいつ結婚するの?」
ゆいちゃんの言葉に明が再び吹き出した。どうやら明の友達という言葉を今は『まだ』友達という関係であると解釈したらしい。
「お兄ちゃん、こういうのは男の子の方からグイグイ行かないとダメなんだよ」
ゆいちゃんからアドバイスをもらった。ありがたいお言葉だ。
「ゆいちゃんの言う通りだな、ここは俺が男らしく明を……」
「いやいやいや何をするをつもりなんだ君は!?ゆいちゃん!僕と明は全然そういう関係じゃないから!」
顔を真っ赤にしながら明は近づいて来る俺から距離を取ろうとする。冗談だよ、1割ぐらい。
「あの、すみません。ここで私の娘のゆいが預かっていると聞いたのですが……」
呼び出しの放送から5分ぐらいして放送室に1人の女性がやって来た。その人の顔は、ここで俺たちと一緒に話している女の子の面影があった。
「お母さん!!」
俺の後ろからゆいちゃんがひょっこりと顔を出し、女性の方へと駆けて行った。その姿を見て女性は泣きそうな顔になりながら愛娘を抱きしめた。
「ゆい!どこ行ってたの!怪我はない?」
「大丈夫!お姉ちゃんとお兄ちゃんと一緒だったから」
そう言ってゆいちゃんは俺たちの方を指差した。するとゆいちゃんのお母さんは慌てて俺たちに頭を下げてお礼を言う。
「あなたたちがうちのゆいの面倒を見てくださったのですね。ご迷惑をおかけしましてすみません」
「いえいえ、迷惑だなんてそんな」
ゆいちゃんのお母さんが何度も頭を下げるのを俺たちは「全然大丈夫ですよ」「ゆいちゃんは良い子でいてくれましたよ」なんて返し続け、この謝罪と謙遜はしばらく繰り返された。
「本当にありがとうございました」
「いえお役に立てたようで良かったです」
お母さんの謝罪のラッシュが終わり、俺たちとゆいちゃんはここで別れることとなった。ゆいちゃんはお母さんの隣でしっかりと手を握っている。
「それじゃあ私たちはそろそろ……ほら、ゆい、お兄ちゃんとお姉ちゃんにちゃんとお礼言いなさい」
「ありがとうお兄ちゃん!お姉ちゃん!バイバーイ」
「バイバイ」
そう言って俺たちは笑顔で手を振り、ゆいちゃん親子と別れた。ただ明の顔は少し引きつっていた。最後まで性別を誤解されたままだったな。ゆいちゃんのお母さんまで勘違いしてたし。
「そんなに男に見えないかな僕は」
「見えるか見えないかで言えば見えない」
俺がそう返すと、明は諦めるかのように深い溜息をついた。