作品がたった一人の読者に向けてのメッセージである可能性
不特定多数の読者から共感を得る必要は無い。
たった一人の人物だけが、秘めたる気持ちを分かってくれたら、それで良い。
たぶん、そんな暖かくてちょっと哀しい心情で綴られた、優しい「お話」が混じっているのですよ、
新着の短編小説を読んでいると、時々そんな事を考えてしまう。
素人の投稿小説サイトなのだもの。
そんな作品が有ったって良い。
いや、絶対に「有るはず」だ。―――なんて事を、想像してしまうのです。
誰が誰に充てて書いたのか、全く分からないように
念入りに言葉を選び 表現に工夫を凝らし
ただ ひっそりと
『あなたが好きです。』 ―――口に出しては言えないけれど。
けれど、その事実にさえ幾重にも、偽装と隠蔽をほどこして。
通りすがりの一見さんには、理解不能で二度と読む事の無い単語の羅列に過ぎなくても。
―――あのひとが、一度だけでも読んでくれたなら。
―――あのひとならば、もしかしたら気付いてくれるかも。
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推理小説のジャンルには「叙述トリック」を用いた一連の作品群があります。
例えば「読者が犯人」という様な作品ですね。
トリックを詳述する事は、ルール違反というかエチケット違反だから出来ないけれど、上記のような作品は、『なろう』を舞台にした叙述トリックと言えるのかも知れません。
すなわち「犯人は読者。」 「被害者は作者。」
その被害たるや、某アニメの有名なセリフを借りるのであれば「心を盗んだ。」でありましょうか。
伝えたい内容が、その一点であるならば、たぶん
「ポイントは要らないのです。
評価も要らないのです。
知らない人からの感想も要らないのです。
ただ、私の気持ちよ、あの人に届け。」
と言う事に成るのかも知れません。
恋愛もしくは何かの「想い」が成就するという事は、関係者一同が悲喜劇の新局面を迎える「とば口」でもある訳だから、無責任に「がんばれ!」なんて言ってはいけないのかも、と考えつつも
「気持ち、伝わるといいね。」
とは思ってしまいます。
けれど、その事を感想欄に書き込むのは、部外者である私の行為としては野暮という事になるのでしょう。
だから多分、作品の完成度やストーリーの出来栄えとは別の次元で、生の感情を含んだ作品が飛び交っているのを読む事が出来るのが、小説投稿サイト鑑賞の醍醐味の一つである、との考え方もあるのかなと思います。
君の作品が、誰に向けて書かれたものかは知らないけれど、君の想いが届くと良いね。