庭と花と散歩事情 前編
完結から大分経ったところでまた何だという突然の更新なのですが、データを整理していると一年前に書きかけていた話を見つけ、どうやら完成させられそうだったので。
今度は城の庭で、今度はビアンカが。
前編、中編、後編で終わります。ちゃんとデューベルハイトも出てきますのでご安心を。
ある日のこと、図書館で吸血鬼に会った。
ある日のことと言っても、そもそも城にはビアンカ以外は吸血鬼しかいないようであるから、見かけるとすれば吸血鬼か狼。図書館には他に利用者がいるため、会うこと自体は不思議でも何でもない。
けれど……その吸血鬼は、なぜか、小脇に植木鉢を抱えていた。
本棚と本棚の間から出た途端ばったりと出会ったもので、現在ビアンカは静止してしまっていた。
少し先に行っていた狼が戻ってきて、ビアンカに身を擦りつける。
ふわふわを感じながら、ばっちり目の合ってしまった吸血鬼を前に、ビアンカはどうすればいいのかとっさには判断できず……。
「人間……」
男性の吸血鬼は、響きの良い低音で呟き、首を傾げた。
「ああ──お妃様でいらっしゃいますな」
ほどなくして、納得がいったように何度も頷き、微笑んだ。
顔にいくつも刻まれた皺が深くなる。
「お初にお目にかかります、お妃様。私、デズモンド・ロデスと申します」
挨拶とともに胸に手を当て、優雅にお辞儀をされ、ビアンカはぽかんとする。
「デズモンド、さま」
「お妃様に『様』をつけられるのはとても恐れ多い」
とりあえず、聞こえてきた名前を繰り返してみると、そう言われてしまったのだけれど。
フリッツにも、彼が王族だと知らなかったときからつけているし……。
ビアンカは曖昧に頷いておいた。
「わたしは、ビアンカと申します」
「お妃様のお名前は、ビアンカ様と仰られるのですね。いやはや、ご結婚されたとは聞けど、お名前の方は耳に届いて来なかったものですから」
ほうほう、と頷き微笑んでいた吸血鬼は、ふと「お妃様といえば」と言う。
「お庭にお出になられているとは耳に挟んでおりますが、どうでしょうか、庭は。私は庭師なのです」
なんと、あの広い庭を整えている吸血鬼だったのか。
言われてみると納得だ。服装は汚れてもよいような簡素な服で、植木鉢を抱えているのは庭師だから。
…………いや、なぜに図書館に植木鉢を?
「今は庭師ですが、元は、前の陛下のお側に仕えていらっしゃった方なんですよ」
庭の感想をどう述べようかとか、未だに図書館に馴染まない植木鉢に気をとられていたら、側に控えていたアリスが、こそっと情報を追加した。
そして、追加情報は、考えていたことが吹き飛ぶような事項だった。
前の王の側近?
つまり、フリッツのような地位に当たり、まず庭に関わる役職でも、身分でもない……はずでは。
だが、付け加えられた身分情報と、目の前の吸血鬼の格好がどうにも結び付かない。何しろ、服はところどころ土と思われる色がついている。
「そのような方がなぜ庭師に……」
「代替わりの際、クビになってしまいまして」
「え」
「冗談です」
冗談。
嘘かどうかなんて、ビアンカに分かるはずがないから、自然に嘘を混ぜられると心臓に悪い。
さらっととんでもないことを言って、さらっと撤回した吸血鬼は、やはり変わらない笑顔を讃えていた。
その笑い方は、決して嘲笑うものではなく、軽快なものだった。
「二代前の陛下の折から仕えておりましたため、そろそろ世代交代の頃合いかと思い、引退させて頂きました。余生をのんびり過ごしているところです」
吸血鬼の寿命がどれほどかは知らない。二代前からとは、どれほど、この吸血鬼は生きているのだろうか。
今まで見てきた中で、一番歳をとっているように見えたのは、間違いではないようだ。
前の王の弟で、現王の叔父である「ドレイン公」よりも、もっと。
人間で言う老人の域に入る外見だ。
一体何歳なのか。ちょっと聞いてみたくなる。
「ところでお妃様、お花はお好きでしょうか」
「はい、好きです」
「それなら一つ、お目にかけたいものがあるのですが、庭にお出になりませんか?」
誘いに、ビアンカは何だろうと思いながら、アリスを見てみる。
「陛下に、お話を通してきます」
「む? そうか、お妃様を連れ出すには、陛下に言わねばならないか」
「はい。すぐにお伝えしてきますので……失礼ですが」
「お妃様は任せなさい」
アリスは、ビアンカに目配せしてから、本を持って図書館から出ていった。
……と、なると、ビアンカはさっき出会ったばかりの吸血鬼と二人である。狼もいるけれど。
あっという間にアリスがいなくなって、その事実に気がついたビアンカは極度の緊張に襲われる。
ど、どうすれば。
アリスがすんなり離れたということは、危険性のない人物だということだろうけれど。
出会ってから、全くビアンカに対する嫌悪感なども感じない。
では残る問題はというと、慣れないこの吸血鬼に、どう対応するかという話──
「お妃様」
「は、はい」
まごついた返事をすると、デズモンドと名乗っていた吸血鬼は笑った。
「どうか、こんな年老いた吸血鬼に緊張なされませんよう」
「……すみません……」
「いえいえ、お謝りになることではございません。それより、お妃様はよく図書館にいらっしゃるのですか?」
「はい」
「本を読むことがお好き?」
「はい」
昔から、やることが限られていたための流れで、本を読むことが多かったとはいえ、好きなのだとは思う。
待ち時間のための世間話か、返答を聞いたデズモンドは少し首を傾げて、また口を開く。
「お妃様は、この辺りの夜の時間が長い理由をご存知ですか?」
──ブルディオグ帝国があるこの地は、夜の時間が長い
ビアンカの常識であった朝と昼の時間が、そのまま夜の時間になっているようなのだ。
当初はとても驚いて、今も時おり不思議だとは思う事実。
その、夜の時間が長い『理由』?
思わぬ話に、ビアンカは瞬く。
「この辺りは夜が長いでしょう」
「はい」
「遠方の人間の方が来ると、驚くものだとか。どうやらこの国から離れるにつれ、夜は短くなり、朝と昼が長くなるようですから。お妃様のお国も遠くていらっしゃったのであれば、驚かれましたか」
「はい。……夜がこのように長いのは、今でも時おり不思議な心地です」
ビアンカは、正直に述べた。
「では、一つ、理由と申し上げましたが真実は定かではない伝承の類いの内容をお教えしたいと思います」
「伝承、ですか?」
「はい。子どもの頃には、寝物語として大人に読み聞かされることがありました。一種の伝説、童話の類いです。なぜ、夜が長い地と、短い地があるのか」
吸血鬼は穏やかに微笑み、語る。
「夜が長い土地、朝昼が長い土地と移り変わっていくのには理由があるとされています。朝より夜を好む吸血鬼です。原初、真祖と呼ばれる始まりの吸血鬼がそのようにしたのだと言われております」
昔々を辿っていき、きっとこの世に生まれた最初の人間がいるように、最初にこの世に生を受けた吸血鬼がいる。
その吸血鬼を、「真祖」と呼ぶのだという。全ての吸血鬼の始まりの吸血鬼。
吸血鬼は、人間が持たない不思議な力を持つが、始まりの吸血鬼は今の吸血鬼よりずっと強い力を持っていた。
その吸血鬼が、夜を好み、その力をもって、夜を長くしたと言う。
「今の吸血鬼には空を変えてしまうような力はありませんが、太古の吸血鬼は地を揺るがし、空を動かす力さえあったと言われています」
以上の内容が、吸血鬼の子どもには、真祖の吸血鬼が生を受けてからの物語にされ、語られているそうだ。
と、あらましを語り終えた吸血鬼が、傍らの本棚から一冊本を抜いてビアンカに差し出した。
「少々大人向けに直されたものですが」
本の表紙は、美しい夜空だった。
どうやら、今しがた語られた内容が物語となった本らしい。
もしかして、その本を見つけたから、そんな話題を出したのだろうか。
読んでみたいなと思って本を見つめていたら、「司書に届けるように言っておきましょう。これから外に出るには、お邪魔でしょうから」とデズモンドが言った。
……顔に出ていたのだろうか。
「この話を信じるか信じないかは、お妃様にお任せしておきます」
そう言われたけれど。
地の元々の仕組みは、太陽の光が長く届く方で、どこかで変えられたのだと言われて、ビアンカは納得していた。
夜の長いこの地に来た当初、摩訶不思議と思った。
元からこちらへ来るほど夜が長くなる世界の作りなのだと言われるより、そうさせられたと言われた方が、余程信じられるように感じたのだ。
何しろ、不思議な力を持つ吸血鬼たちだ。
対して、人間は少なくとも今、不思議な力の類いを欠片も持たない。そんな伝承もない。
デズモンドは、通りかかった司書を止め、本当に本を渡している。
いきなり二人になって、緊張に襲われていたビアンカは、デズモンドに対する緊張が和らいでいた。
とても、穏やかな吸血鬼だと感じたからだろう。表情、目、声、話し方、全てが穏やかで、刺々しいものは一切ない。
今向き直り、向けられた表情もやはり、柔らかく、穏やか。アリスや、フリッツ、侍女たちとはどこか異なるけれど、「大丈夫」だ、と感じるには十分だった。
「あの」
「はい、何でしょう」
「その植木鉢に生えているのは、お花、ですか?」
ずっと気になっていたところを聞いてしまった。
本当のところを言うと、なぜ図書館に植木鉢を?が本音であったが、言い方が見つからなかった。
問われた吸血鬼は、ああ、と小脇に抱える植木鉢を見やった。茶色の鉢からは、にょきりと茎が伸び、花が咲いていた。
「これは品種改良の最中に偶然に生まれた花なのですが、見たことがなかったため、新種かどうか調べに来ました。結局、それらしい花は見つからず、他の庭師にも心当たりがないことから、新種のようです。──実は、お目にかけたい花とはこれのことでして」
ここにあるのに、ビアンカを外に誘った理由は、花が外でこそ美しい色合いを発揮し、何より多く咲いているからだそうだ。
「淡く光るのですよ」
「光る……?」
「はい。月の光が当たっているからそう見えるわけではなく、月が出ていない夜こそ光っていることがよく分かります」
光る花。
どのように光っているのかは、まだ見ていないビアンカには想像がつかない。
また、庭師にもなぜ花が光るのかは不明のようだ。
「意図して作ったものではないため、理由も分からなければ、いつまで咲いているのかも分かりません」
切ってしまうと駄目なようで、今日は改良のヒントを得ようとも思い図書館を歩いていたらしい。
そこで、ビアンカに会った。
許しを得てきたアリスと、狼と庭に出た。
庭師の吸血鬼の案内に従い庭を進み、やがて、庭の一角で歩みは止まった。
一つの花壇があった。一つ、と言えど大きな花壇だ。
そして、花壇一面に一面に咲いていた。──この暗闇なのに、ビアンカの目でも一目で分かった。
花が、光っていたためだ。
聞いていただけでは想像も出来なかった光景は、本当にあった。
以前見た、『雪の花』と呼ばれているという、雪を纏い、月光の元で白さが幻想的なものであった花に似ているようで、異なる。
雪の花は、月光を受け、月光と合わさったからこその美しさを持っていた。
だが、この花々は、完全なる暗闇で光っていた。
青い花。青く、淡く光る。
暗闇だからこそ、青さが映え、より綺麗なのだ。確かに、月光があれば、美しさは損なわれてしまうだろう。
「色が増やせたならばいいのですがね」
赤い花や、黄色の花があるように。
庭師の吸血鬼の持っている植木鉢の花も、この暗闇で見て、光っていると分かった。
近づいてみて、そっと触れてみると、指先を、僅かに青い光が照らした。どうやって光っているのだろう。
「お気に召されましたか」
「はい。とても、不思議で、美しい花です」
「それは良かった。……しかし欠点としては、美しく見えるときが曇りのときという点ですな。雨が降りそうです」
空を見上げた吸血鬼につられ、空を見るが、雨が降りそうかどうかは分からなかった。
ただ、月が出ていないので曇っているとは分かる。ビアンカの目では、雲さえも暗くて見えない。
「まだ少しもつかと思いましたが、雨が降ります。お誘いして失礼ですが、中にお入りになった方がいいでしょう」
申し訳なさそうな吸血鬼に促され、中に入ることにした。
青い花が、遠ざかる。雨が降って、花びらは落ちてしまわないだろうか。
──あの花のことを、デューベルハイトは知っているだろうか。
「……デューさまは……陛下は、あのお花のことをご存知なのですか?」
「陛下はご存知ないでしょう。花にはご興味がない方ですから。庭にも、もう随分お出になられていないかと思います」
元々、散策しに来られたことは一度もないでしょう、と庭師は言う。
「お妃様」
「はい」
「今日はさておき、今度、是非陛下と見にいらしてください」
「デューさまと、ですか?」
「はい。陛下は花にはご興味は無いでしょうから、休憩がてらの散歩にでも」
穏やかな時間を、と言った吸血鬼の表情が少し変わる。
花のような穏やかさを称えていた雰囲気が、ごく僅かに憂いを帯びたようだった。
「陛下は成り行き上、支配地を増やしておられます。しかし、同時にやることも増えることになります。丸一日などと、ずっとお休みになる日はもうしばらくないでしょう。あの方は優れていらっしゃいますが、誰にでも息抜きは必要です」
だから、どうかいらっしゃって下さい、と。
「先々代の陛下も、先代の陛下も仕事の合間にはお妃様と庭を散策しておられました。──私はそのような庭を、作りたいのですよ」
政治の場から退き、地位に似合わず土に、植物に向き合う吸血鬼は穏やかに微笑む。
この吸血鬼が、わざわざ庭師となった理由は──。




