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番外 暖炉の前の誘惑






 本日、雪が降る外を横目に、室内の暖炉には温かな火が燃えていた。

 揺らめく橙の火によって、寒さの感じない快適な場所となっている、立派な暖炉の前。

 座れるようにと椅子が置かれているが、ビアンカは理由があって敷物の上に座っている。

 手にはブラシ。前には、力を抜いて倒れている狼。その側面を、ビアンカがブラシで撫でているところであった。


 城にいる狼の毛並みはすごく良い。さらさらでありながら、ふわふわ。森ではなく城という住みかに相応しく、定期的に手入れされされているためだ。

 定期的な手入れとは、体を洗われたり、時に毛にブラシをかけたり。そういった手入れにより、狼は自然にはないだろう毛並みを持つことになっている。


「反対側を向いてくれますか?」


 片側が終わり声をかけると、言葉の意味が分かったかブラシがかけられなくなったからか、灰色の三角の耳がピクリと動く。

 頭がむくりと持ち上がりビアンカを見やって、灰色の毛の狼は横たわっていた状態からごろんと転がって、さっきとは反対方向の横腹を見せて横たわった。

 ちょっと大儀そうな動きだった。完全にだらけている。


 それはそうと反対側を向けてくれたので、ビアンカはブラッシングの手を動かしはじめる。

 火によって暖まった毛を丁寧に解かしていくと、薄い灰色の目が再び閉じられてゆく。


(やはり皆大きいですが、こうしていると可愛いですね……)


 ビアンカがこのように、狼のブラッシングをしはじめたのはつい最近のことだ。


 外に出たときは例によって狼と一緒だったのに、外で濡れた地面を狼がごろんごろんと転がって泥だらけになったものだから、入ってからは別行動となってしまったことがあった。

 狼は洗われることになったのだ。

 見事な銀毛があれだけ泥にまみれていれば、致し方ないことだろう。

 先に部屋に戻り、寒い外に出るための装備を解かれたビアンカは、狼が戻ってくるのを待つことにした。


 ――「狼たちは、どこで体を洗ってもらっているのですか?」


 待ちきれなくなったわけではないが、どれほどか経って、ふと尋ねた。

 浴場だろうか、などと思いつつ。


 ――「専用の洗い場があるので、そこですね。見に行きますか?」


 城の中にある場所に、様子を見に行ってみることにした。狼が洗われる様子とは。

 名目上は銀毛の狼の迎え。


 すると、再会した銀毛の狼は洗い立てで、ちょうど毛にたっぷり含まれていた水分を取られた後だったらしい。

 何時間もかかる理由は、狼が大きいせいと言うより、毛から水分を取る時間ではなかろうか。しかしそれでも洗われるのは城の狼、王が連れてきた狼であるがゆえ。

 銀色の毛はとりあえずの色を取り戻し乾いたが、毛並みには乱れが見られ、これから仕上げのブラッシングのようだった。

 ブラシをかけられて、徐々に毛並みに艶と輝きが戻っていく様子をじっと見ていると、「やってみますか」と声をかけられた。

 それで試しにやらせてもらうと、なぜか銀毛の狼がいたく気に入って。


 他の日にもやっていると。


 ――「気持ちいいですか?」

 ――「ガウ」

 ――「そうですか」


 近くで、茶の狼が伏して座りながらも目がその様子を見ていたから、銀毛の狼のあとにしてやると、気持ち良さそうに目を閉じていた。

 そうして日が経つにつれ、他にも狼が増えてきたのである。


「あなたでおしまいでしたね」


 ブラッシングを終えた灰色の狼の毛並みを最後に撫でて、ビアンカはやりきった心地になる。

 大きな狼たちのブラッシングは思ったよりも大変だ。

 現在部屋の中には他にも狼がいるが、彼らは少しくつろいで、毛並みが整って部屋から出ていくこともしばしば。

 こんな天気でも外に出に行っているのか、デューベルハイトの元にでも行っているのかは不明だ。


 寄ってくる狼のブラッシングを終えたビアンカは、そのまま暖炉で燃え続ける火を眺める。

 狼も狼でそうだが、変化し続ける火もまた見続けられる要素を持っていると思う。

 暖かくてここから動きたくなくなっているのも、要因の一つだろう。

 一仕事終えてぼーっとしていると、うつらうつらとし始める。眠たくなってきた、気がする。


 意識が不明瞭になりかけ、取り戻し、と居眠りの直前を繰り返しているビアンカの元に、やって来たものがあった。

 最初にブラッシングが終わって、離れたところにいた銀毛の狼。

 のそのそと近づいてきて、ビアンカの膝に顎を乗せて、少しもぞもぞとして満足する体勢になれたのか、動きが止まった。

 ビアンカはというと、寄り添ってきた毛の塊を感じて、半分無意識で撫で撫でして――――







 どこかに寝転んでいた。


「……?」


 明らかに寝起きのぼんやりした状態で瞼を開いて、体勢は理解したが、どうもベッドの環境ではない。

 体の下の感触といい……、この、前と後ろからふわふわとビアンカを囲んでいるものは何だろう。シーツだったり毛布ではない。やけにふわふわ。


 自分は一体どこに横たわっているというのか。

 暖かいのはそのふわふわのようでもあるが、橙色の世界が見えて、暖炉の前だと遅れて理解した。

 しかしこのもふもふ、ふわふわは。

 手で近くを触ると、固いものに触れた。

 毛に覆われた……長く伸びる固い感触に沿って手を滑らせていくと、毛がないところに行き着いた。

 おまけに握れる大きさになった。表面は硬いようで弾力がある……肉球?


(この色は……)


 そこで毛の色に見覚えがあると気がついた。

 もしかしてと体勢はそのままに見上げると、鼻があって、口があった。前にいたもふもふの正体は銀毛の狼だった。

 では後ろにあるもふもふの正体も、どの狼は不明だが狼。

 挟まれている。


 しかし、なぜ。

 記憶を辿ってみるに、ブラッシングを終えたときの記憶しかない。そのあとこの快適な空間による眠気に負けて寝てしまったというのか。

 百歩譲ってブラッシングのためやらで座るのは良しとしても、ここで寝るとは何とはしたない。

 どれほどの時間をこうして過ごしてしまったのか分からない以上、今さらかもしれないが、とりあえず起き上がった。

 後ろにいたのは灰色の狼だった。二頭とも寝ている。

 暖炉の側に狼といるのは、とんでもない誘惑だ。


「あ、お姫様目が覚めましたか?」

「はい」


 起き上がった瞬間に気がつかれて、アリスがやって来た。髪が乱れていたようで、さっと櫛を取り出してビアンカの亜麻色の髪型を梳いてくれる。


「ずっと暖炉の前にいらっしゃいましたから、熱くはないですか?」

「大丈夫です」


 暖炉のすぐ近くというわけでもなく、火は狼により遮られて、直接の熱さとはなっていなかった。

 でも喉が乾いたかもしれない、と思っていると「お水を持ってきますね」とアリスは一度離れていった。心を読まれたがごときタイミングである。

 前もって用意していたらしく、一分も経たないうちにアリスが戻ってきた。


「ありがとうございます」


 ひんやりとしたグラスを受け取り、水を飲む。


「わたしは、どのくらいここで寝てしまっていたのでしょう?」

「一時間ほどです」

「い、一時間……」


 予想以上の時間に、軽く声を失いかけた。

 確かに、五分や十分ではあの寝起きの不明瞭さは生まれないだろう。だからと言って、まさか一時間もとは……。

 侍女たちは一時間、はしたないやらは置いておいてそっとしておいてくれたのだ。

 気遣いがありがたいのか、起こしてくれても良かったような。


「あ、そうでした」


 一時間と聞いて、では今何時だろうと何気なく窓の方を向いて考えていたビアンカは、何かを思い出したような声にアリスを見上げる。


「三十分ほど前に陛下がいらっしゃいました」

「え」


 デューベルハイトが来た。ここに、ということだろう。

 しかし記憶にない。当たり前だ。ビアンカは一時間寝ていたのだから、三十分前のことなど記憶にあるはずがないのだ。


 寝ていた。


「あ、あのデューさまは」


 三十分もいるはずはないからどこに、と聞こうと思ったのではない。聞こうとするならば、そのときどのような様子だったか、だろう。

 あろうことか、ビアンカが寝ていたという有り様を見たとき。


「わたし、寝て」


 どうしよう寝てしまっていた。

 ろくに言葉は定まらない。

 理由は当然、寝ているなどと失態を犯したこと。よくよく思い返せば、寝ていたときにデューベルハイトが現れたことは過去にあったのだけれど、ビアンカは焦る。


 しかしながらビアンカが眠りこけているときにデューベルハイトが来たとして、なぜに誰も教えて、起こしてくれなかったのか。いや、寝たビアンカが悪いのだが。


「ど、どのような様子でしたか。……その、呆れていらっしゃったり……」


 敷物が敷かれているとはいえ、床で眠っていた光景を見て、呆れてすぐに立ち去ったりしたのでは。

 段々と聞く勇気も小さく、むしろ聞かない方がいいのではとビアンカの声は萎んでいった。失礼をしでかした。


「呆れて? いいえ、まさか」


 まさか? 


 時間を戻す術はないだろうか。次こそブラッシングの後はこの魅惑の暖炉の前から離れて椅子にでも座っておくのだ、と現実逃避な反省をしていたビアンカはアリスに焦点を定める。

 予想していた反応ではない。


「実は声をかけようかと思ったのですが」


 ですが。


「そうする前に陛下がいいと仰られたので、そのままに」

「デューさまが……?」

「はい。お姫様が眠られているところをしばらくご覧になって執務に戻られました」


 呆れて部屋を出ていかず、起こすのを止めて、寝ているビアンカをしばらく眺めて出ていった。


「そう、なのですか」


 心配が覆されて、ほっと力が抜けた。

 思考に余裕が戻って、急に思い出した。膝の上で眠ってしまっていても起こさない彼だ。眠っていた失礼は失礼に換算されないのか。

 場所は場所で……以前ソファーの影で居眠りしていたところを見られたことがある気がする。


 ビアンカは焦りが今さらのことであったと知った。これまでに一度しでかしていたではないか、と。

 ほっとしたような、やはり失礼は失礼ではないかと思うような……。


「今度からここで寝ても快適なように、もっと厚くて柔らかい敷物にしておきますね!」


 とりあえず、冬の深まる時期を前に、暖炉の側は快適さを増しそうだった。









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