番外 彼女が侍女になりたい理由
物語が始まる前の、フリッツ視点の話。
フリッツにとって、アリスは最初は他の侍女と何ら変わらない存在だった。異なるところとして、強いて言うならば、倍明るいことくらいだったろう。
しかしアリスは少し変わっていた。言い方を変えると、他の侍女と比べると周りの環境が違っていた。
ある日フリッツが廊下を曲がったところで、「アリス、侍女になるとは何事だ!」という大声に出くわした。
びっくりして見ると、そこには二名の吸血鬼がいた。
片方は女性、もう片方は男性。どちらもオレンジ色の髪をしており……というか、親子である。
あれはアリスと、アリスの父親ではないか。
いきなりの大声に歩みを鈍らせていたフリッツはそのまま立ち止まり、ちょっと様子を見守る。
他にも吸血鬼が歩いている中、その視線を集めるほどに、二名の吸血鬼は何やら言い合いをしているようだった。
「私は許した覚えはないぞ!」
「お母様は許してくださったんです!」
「な、何――とにかく、戻ってきなさい!」
「嫌です!」
「何だと!」
親子喧嘩を目の当たりにしたのは、初めてかもしれない。
何やらごねている。
どうも聞いている限りでは、アリスの父は、現在侍女として城に勤めているアリスを軍に所属させたいらしい。
とにかく家に戻ってこい、侍女とは何事だ。といった類いのことをアリスの父が言い、アリスは嫌だと、臆することなく反抗している。
それにしてもそっくりだなと、アリスは父親似なのだろうかと思ったりして、フリッツは歩き始め、そのまま彼らの横を通りすぎた。
ごゆっくり。
次の日、アリスに会ったので尋ねてみた。
「アリスは素質があるんだから、軍に入った方が戦力も上がって国としては嬉しいことではあるんだけど、どうしてそこまで侍女にこだわるんだ?」
侯爵家の令嬢であるアリスは、現在城で侍女を勤めている。
しかし他の侍女と異なり、どうも家が行儀見習いなどにより送り込んできたのではないようだった。
彼女自身は侍女でありたいようだが、昨日目撃したように実家は反対しているらしい。問答無用で、女子までも戦士に育て上げようとする家風だ。
その家に生まれたのなら、もう身を任せた方が楽なのではないかとフリッツは思う。家の方針を無視してまで、侍女にこだわる強い理由なんてあるだろうか。
「私の夢はお姫様の侍女になることなんです!」
するとアリスはきっぱりと言い放った。ありますよ、と。
「お姫様の侍女?」
「はい!」
「どうしてまた」
「お姫様って可愛いじゃないですか!」
「個人によるとは思うけどね」
「可愛いお姫様に可愛いドレスを着てもらったりしたいですね!」
きらきらとした目をしたアリスの語りは、堰が切れたように延々と続いた。
次からこの話題は気をつけようとフリッツは思った。
後から知っていくのだが、どうやら侍女には、アリスの他にもお姫様に仕えたいと夢見る吸血鬼がいた。
きらきらしたものを想像しているのだろうか、単に城仕えへの憧れの典型なのか何なのか、フリッツには不明だ。
「まあ当分無理そうだね」
「い、いいんです! 侍女の仕事自体は好きですから、きっとその日が来ると思って準備をしています!」
アリスほどの貴族の令嬢が仕えるなら、王族しかない。
フリッツの母が「お姫様」に入るかどうかはさておき、母にはすでに長年仕えてきた侍女がいる。側に寄ることも難しいだろう。
かと言って、今王女もそれに類する存在もいないし、当分無理だろうなぁと思って言うと、アリスは輝く瞳にやる気をみなぎらせて言った。
準備とは一体何の準備か。いつ来るかも分からない、来ないかもしれない未来にどこからそのやる気が湧いて来るのか、フリッツは感心してしまった。
そして、それから幾年もの時が過ぎた。
王族に王女――アリスの言い方では「お姫様」が現れる気配はなかった。当然だ。
前の王の子どもには、女子はいない。
今の王は結婚もしておらず、妃の立場の女性さえいない。また、王女という名の「お姫様」を望むのであれば、結婚したとしても吸血鬼の子どもができる確率は低い。都合良くはいかないものだ。
「あれ? アリスじゃないか」
フリッツは港で、巨大な軍艦に物資が積み込まれている様子を見ており、これからとある国の制圧に同行する予定だった。
だから、揺れるオレンジの髪を視界の端に捉えたと思って見て、ここにいるとは思わなかった吸血鬼を見つけて、フリッツは首を傾げた。
言わずもがなアリスである。
「フリッツ様……」
「最近また見かけないと思ったら、その格好は……」
最近城の中で見かけなくなっていたアリス。今日見たと思えば、その姿は紛うことなき軍服だ。確かに、この場には相応しいが……。
見かけてすぐはどうしてここにいるのかと思ったが、立ち止まったアリスの姿に、理解した。
こういうことは、初めてではなかったのだ。
「アリスは会う度に格好が変わるね」
ドレス、軍服、ドレス、軍服……と、当事者は侍女志望だというのに、ことあるごとに親や近い親族に軍に引っ張られているらしいのでこういうことにもなる。
そのため、あるときは侍女、あるときは軍所属と服装と共に仕事が変わっている。
以前も、異なる国へ向かったとき、見かけなくなっていたアリスと会った覚えがある。それも一度ではない。
ゆえに、ああ今回もそうなのだと理解した。
しかし納得がいき頷くフリッツの前で、軍服のときは決まって、らしくもなく目の輝きが失せるアリスは、今も例に洩れずそんな目だ。
らしくもなくはおかしいか。アリスは侍女志望なのだから、そんな目にもなる。
「今度の作戦に連れて行かれることになりました」
「そうだろうと思った」
「今、私の家では父と母との意見が対立しています……。父は相変わらず私を軍に入れようとし、母は、私に花嫁修業も兼ねて侍女にするべきだと言ってくれています……。それに対し父は…………私は母に勝って欲しいです」
血筋が貴いほど身体能力が優れている吸血鬼とはいえ、普通令嬢は実家にいて、それこそ社交界のマナーを身につけたり、将来結婚するときのための教養を身につけさせる。
アリスの家は特別だと言える。
現在の当主である、アリスの父が軍の上層部にいる影響だろう。
「そっか」
「私の夢はお姫様の侍女になることなんです、それなのに、それなのに……兄様が……」
どんよりと暗い空気を醸し出すもので、フリッツの目には、どことなく憐れに映った。
今回は「兄」に連れて来られたらしい。
しかしながらそんな環境で侍女に戻るのだから、ますます根性があるとフリッツは感心していた。
「とりあえず今回は頑張って」
「はい……」
来たからには仕方がないことだ。にこりと笑って、フリッツはアリスの肩を軽く叩いておいた。
アリスも、来たからには役割を果たさなければいけないとは分かっているのだろう。意気消沈しながらも返事をして、失礼しますと元々向かっていた方へ歩いていった。
――このとき、誰も予想もしなかったし、予想出来るはずもなかったのである。まさか、王が制圧した国の王女を連れて帰ろうとは、誰も。
*
「アリスは、何してるの」
「お姫様のショールに刺繍しています!」
嬉々として広げられた、刺繍の施されたショール。一ヶ所だけでなく、広範囲に渡る刺繍を目にしたフリッツは感嘆する。
「わお、すごいね。アリスが全部したの?」
「はい、もちろん! 可愛いでしょう?」
「うん」
いや本当に見事だ。
世辞無しに、しげしげ眺めたくなる。
「まだ途中なんですけど、早く完成できるように頑張ってます。きっとお姫様が身につけるともっと可愛いですから!」
生き生きとしたアリスがきらきらと見た先は、同じ部屋の、少し離れたところ。
一人のお姫様が、自分の体と同じくらいに見えそうな狼を見つめている。何をしているのだろう。
しかしまあ……。
「夢って叶うものなんだなー」
現実とは何が起こるか分からない。心底そう思うフリッツであった。
8/2に、アイリスNEOより書籍が発売されます。
書籍化記念に、番外編を更新していきます。
今週末か、来週初めに、引き続き一話完結の形で更新していこうと思っています。
(現時点での予定では2話。上手くいけば3話になる予定です)
今回はビアンカもデューベルハイトも全くと言っていいほど出てきませんでしたが、残りは全てビアンカ視点の話です。
書籍については、活動報告で少し内容についてお知らせさせていただいております。
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/740104/blogkey/2086751/




