番外 ここまでは頑張りました
曰く、ビアンカがそんなことを考える必要はないということだそうだ。
急に口づけされて何が何やら分からない内にそれだけは頷かされて、身体から力が抜けてその場に座り込んでしまいそうだったビアンカはデューベルハイトに抱き上げられてその後の図書館散策を行うこととなった。
「あーでは、私は少しあちらの方にでも消えますねー」
フリッツが出ていった。
残されたのはビアンカとデューベルハイト。ビアンカがデューベルハイトの手により腰を下ろしたのは手触りの良い紅色の布張りのソファー。場所はビアンカの部屋でもなくデューベルハイトの私室や執務室でもなく、図書館の中の明らかに特別な一室だった。
事のはじまりはさっき出ていったばかりのフリッツによる発言、「そういえばお姫様、ここにゆっくり本が読める部屋があることを知っています?」から始まり「知らないんですか? じゃあついでに今日行っておいたらどうですか、陛下も今日は時間がありますからそこで休憩すればいいんじゃないですかね」で終わり、今に至る。
部屋のあちこちをさりげなく見て推測するに、王族専用とかそういう類いの部屋だと思われる。ゆっくり誰の目も気にせずに本を読めるようにということだろう。
大量の本に囲まれ、他の吸血鬼が静かにではあれど歩く図書館の中とは異なった落ち着いた空間。
そうではあるのだが、ビアンカがこの状態で本を読めるかと言えば別の話になる。
本を選ぶことにも付き合ってくれていたデューベルハイトの気にせずに読めとの言葉にフリッツが積んで置いていった本のうち一冊を手に取ったはいいが――視線を感じる。
隣、膝には乗せはしなかったビアンカの亜麻色の髪を指で弄び、見つめる視線。
言わずもがなデューベルハイトしかおらず、突然口づけされてからこちら気のせいでなければどことなく雰囲気が濃厚と表現すれば正しいのか、笑みが深い。機嫌が良いと表すことが出来そうな笑みは良しとしても、赤い瞳と目が合うとビアンカが反射的に逸らしたくなるけれど逸らすことができないほど熱い。ビアンカの知らないときに何か起こったのかと思う。
ビアンカの頬もそれだけで熱くなる始末で、本に意識を持っていこうとするあまり本を持つ手に力が入る。
とにかく自身は本を手に取る様子もなかったデューベルハイトは手持ちぶさたなのかビアンカに触れてばかりいる。
デューベルハイトはせっかくの休憩のはずなのに。
休憩。
ビアンカははっとした。
「あ、あの」
「何だ」
呼びかけてから、思考する。
そういえば何かをしようとか考えなくてもいいと言われたばかりなのだった、と遅れて思い出したからだ。
それでもビアンカがとっさに言いはじめてしまったのはすんなりと受け入れられることではなく引っかかっているからで……デューベルハイトを見ると、デューベルハイトは促すように僅かに首を傾けた。
ビアンカでも出来ること。デューベルハイトに何か、出来ること。
習いはじめの刺繍は駄目。かといって他に思いつくことはなし。けれど辛うじて今日知ったばかりの、ベアトリスが教えてくれたこと。
――「ビアンカもデューに膝枕でもしてあげたら、喜ぶかもしれないわね」
ベアトリスの声が甦る。
聞いたときはそうだろうかと思ったことだが、今が機会ではないか。
「ひっ膝枕でもしましょうか」
盛大に出だしを躓いて軽く舌も噛んだのは、仕方ないと思う。
「膝枕?」
「え、えぇと、はい。デューさまの休息のお時間をいただいてしまっているので、あの、」
いや、いつもだって貴重な休息の時間にビアンカを膝に乗せているのは休憩になっているのかどうか甚だ疑問でしかないのだが。
言い出した手前ビアンカは顔を真っ赤にさせて懸命にどのようなものかと、それから意図を説明しようとする。
持てる限りの言葉を尽くして、頑張って。
デューベルハイトが興味ありげな様子になったことは、覚えている。
けれども過程の記憶が曖昧。
自分は何をしているのだろう、と思ったのは混乱からだ。確かに自分から言ったことは覚えていて、それゆえにこの状態になっていることも分かっている。
緊張してガチガチに身体が強張っているビアンカの膝――正確には太ももにあたる部分には白金色の頭が乗っかっていた。
誰の頭か、デューベルハイトの頭である。その長身は横たえられて、つまりはビアンカの膝を枕にした状態で寝転んでいる状態。
これが所謂、膝枕。
「……」
沈黙。
ビアンカはビアンカなりに一生懸命目の前の本に集中しようとしている。下から見上げられることになった視線に耐えきれなくなったため持っていた本を再度持ち出してきたのであるが、デューベルハイトは特に咎めず何も言わなかった。
本当に、自分から言い出したことなのにも関わらず、想像以上の状態と体勢だったので頭が膝に乗った瞬間に頭が状況を抱えきれなくなってしまったのだ。
ずしりと重みを伝える頭が狼と比べてどちらが重いかどうかなどと妙なことを考える程度にはいっぱいいっぱい。
おかしい、こんなつもりではなかった。
共に一つのベッドで眠っているし、デューベルハイトの膝に乗せられることはいつものことでそれが反対になっただけと考えられなくもない。そのはずがこの体勢にこんな落ち着かない心地になるとは思っていなかった。
本で遮ってしまっても膝の上の重みが気になる。果たしてデューベルハイトの顔は上を向いていたか横を向いていたか。
頭に入ってこない文字を追いかけることに限界を感じ、握りしめた本をじりじりと下げてゆく。ちょっとだけ、デューベルハイトの様子を見るために……、
下を窺うと、固まった。
不意討ちで赤い瞳と合ったとかいうわけではない。そもそものところ目は閉じられているのだからあり得ない、しかし目が閉じられていたからこそ……眠っているようで拍子抜けした。
固まっていたビアンカは動きを取り戻して、まず部屋には他には誰もいないのにきょろきょろと意味なく周りを確認してから改めて微動だにせずに乗せられた頭を見下ろす。
念のため――何が念のためか自分でも分からないが――まだ開いた本の上から覗く形でこっそりと。
寝ている。
たぶん。
見る限りでは。
しばらく息を潜めて観察していても、変わらなかった。
寝ている。これだけ見ていても反応がないのだから大方間違いはないだろう。
何度か見たことのあるデューベルハイトの寝顔そのものの顔は眉間に刻まれた溝はいくぶんか緩み、穏やか。宝石よりも美しい色味の瞳は隠れてしまっているけれど、だからこそこんなにもまじまじと見られるのだ。
寝ているときのデューベルハイトは起きているときとは雰囲気が違う。それは、表情や強い意志が宿る瞳が隠れていることが大きな要因だろう。
ため息をつきたくなるほどの美しさだと、彼に会うまでは男性への賛辞としては思いつかなかった形容が一番相応しいと何度感じたか分からないことをまた感じる。
じぃと普段は出来ないくらいの視線を注ぎ続けていたビアンカは自然と寝ている彼に手が伸びかけてすんでのところで止める。
無意識だった。
ずっと見ていると何だか、いつもは湧いて来ないものが湧いてきたような。
一度手を引っ込めたビアンカは再びデューベルハイトを見つめ続ける。ちらっと目で扉を確認。また下を。今度は横に視線を。
そして遂にはきょろきょろと左右前を確認して、もちろんデューベルハイトの閉じられた瞼が動かないことも確認。
少しの音もさせないように結局いくらもまともに読まなかった本をゆっくりと閉じ、置こうとしてどこに置こうかと迷って肘おきにおいておく。
それから満を持して静かに、そーっと手を伸ばす。
やろうとしていることに、本人が眠っているのにいいのだろうか、でも、眠っているからこそ出来ること。と、いけないことをしているみたいでどきどきと鼓動が刻まれ、息を止める。デューベルハイトの頭に向かう指先がほんの直前震えた。
ときおり頬に触れることで大まかな感触は知っているのだけれど――はじめて指で、手で触れた髪は意外ともっと柔らかめだった。
目には白金色の髪が指を通り抜けていく様子を映し、手にはサラリと通り抜ける感覚。
浅く触れただけだからかデューベルハイトは目を覚まさなかったけれど、髪が通り抜け元の通りに落ちてもビアンカはまた髪に触れたりしようとは思わなかった。
かといって本を読みに戻るのでもなく、めったにない機会にデューベルハイトの顔を見つめていることにした。
ベアトリスの言っていたことが、本当に分かった気がした。
ビアンカがこの国に来たばかりのときは上手く眠ることができなくて、暗闇の中何度かこの顔も見たことがあった気がするけれど、なぜだかそのとき抱いた心地とは異なる気がする。
膝の上でビアンカ一人に寝顔を晒して眠るその姿を見ていると、ずっとこうしていたいような気持ちが生まれる。
時おり感じる、温かで大切な気持ち。
きっと、ビアンカがデューベルハイトのことを好きになったから、感じることが変わったのだ。
感じるのは、ここでも幸せ。
「デューさま、好きです」
まずは、この気持ちを面と向かって言えるように努力することが先なのかもしれない。
***
その頃、
「少し様子を見るくらいならいいじゃないですか!」
「お姫様が気づかなくても陛下が気づくよ」
「気がつかれたとしても気にしないんじゃないですか?」
「……確かに」
上記の問答を経たアリスとフリッツ、扉の隙間にて。
「あ、膝枕ですフリッツ様、お姫様が膝ま……うぐっ」
「静かにアリス。…………こんな光景になるんだなぁ」
「うぐうぐ」
「睡眠不足なはずはないから疲れではないだろうし……ここまでくると睡眠薬みたいだー」
――その光景がこれから先度々繰り広げられるようになることはまだ誰も知らない
ビアンカの悩みなんて吹き飛ばすのがデューベルハイト。それと実はビアンカの「幸せ」と「嬉しい」が嬉しかったからすこぶる機嫌が良かったのです。
これにて完全完結とさせていただきます。本編から番外までお付き合いいただきありがとうございました。




