番外 側近に不審がられて、
フリッツ視点。
前に並ぶ二つの姿。
片方は王、もう片方は王と並ぶとより小さく見えてしまうお姫様。
最初の内は何か違和感めいた感覚があるなとその原因を探っていると、「いつも」を思い出した。お姫様は大抵王に抱き上げられている。
ゆえに並んで歩いている光景とは中々に珍しいのではないだろうか、と完全に傍観者の感覚で眺めていたフリッツは徐々に気がついたことがあって、同じく並んで歩いていた隣に向かっておもむろに沈黙を破った。
「……アリス」
「はい」
「お姫様の様子がおかしくない?」
小声で話しかけながら見るのは前方。
特に片方、お姫様。
お姫様がちらちらと王の様子を窺っているようで、持っている本を王の手に持っていかれて持たせていることを気にしているのかと思ったがどうにも違うようだ。
普段、王のことを窺っているとしてもあのような見方はしない。こっそり見ている感じ……としか言いようがないのだが、少なくとも今のように一度目を逸らしては見ると何度も繰り返すことはしていない。
ちょっと、不審な動きだ。
それに王が気がつかないはずもなく「どうした」と王が問い、お姫様の方は一瞬ビクッとして「――い、いえ何でもありません」と首を振り返答している。
いや、何かはあるだろう。
問われたことを境にお姫様は不自然すぎる動きを止めて……直後微かにまた一度チラリと王を見た。
あの行動の真意や如何に。
「お姫様は悩んでいらっしゃるんです」
隣が神妙な声をして言うので、フリッツは思わず前を確認していた目をアリスに完全に戻す。顔ごと向ける、とアリスは顔も神妙にしていた。
アリスもこんな顔をするとは何かあったのか。
深刻なことかとお姫様が王の様子を窺っていることもありフリッツの中には漠然と良くない予感が出てくる。
聞けば足を突っ込むことになるのだが、何かあると分かっていながら聞かないという選択肢はない。
「悩むって、何に?」
声を極限にまで潜めて尋ねる。
幸いにも王の意識はお姫様に向かっているだろう。こんな敵意や害のない声には反応しないと思いたい。
内容如何によっては聞かれては歪みを生むかもしれない――
「陛下に何かできることはないかと」
「……何か?」
何かできることとは何だと理解出来ずに意図を問い返すと、アリスは事の経緯を話す。
神妙な顔のアリスによると、お姫様は王に何かしたいらしい。王が喜んでくれるような何かを。なぜ急にそんなことを考えはじめたのかは語られずにフリッツには不明だが、とにかくそれが思いつかずに悩んでいるらしい。
なるほどそれで王の様子を窺っているわけか、なるほど。
それだけ?
フリッツの嫌な予感は一分と経たずに霧散させられた。
身構えていたフリッツの率直な感想は止まらない。え、それだけ?
「それだけ?」
口にも出した。
「それだけ、じゃないですよ。悩んでいらっしゃるんです!」
「アリス声声」
「それだけ」との表し方が気に障ったようだ。フリッツに合わせて、または神妙だったから小さめだったアリスの声が跳ね上がってフリッツは少々焦る。よくよく考えるに内容としては聞かれても支障はないものだったが、反射的というものだ。
急いで確認した、距離を多めに取っている前方は何か言葉を交わしているらしき声。特にお姫様が一生懸命に言葉を紡いでいる様子が微笑ましい光景であるが、聞こうと思えば聞ける内容を聞いている場合ではない。
すみません、と声の大きさを調節して謝るアリスに顔を向け直して話を進めることにする。
「それでどうしてまた急に何か、なんていうことに」
「話の流れでです。……膝枕されると陛下も絶対嬉しいですよね?」
「は?」
普段出したことのない間抜けた声が出た。
フリッツはこのアリスとの付き合いもまあまあの長さで会話にも慣れたものだが、今回は流れが突飛すぎた。
急に何の話が出てきた。
「膝枕?」
「です」
耳は良い方との自負と事実良い方なので聞き間違いの確率は低く、実際おうむ返しした単語は肯定された。
膝枕。実際に目撃したことはないもののどういうものかはなぜか知っている、普通に生活している分には誰かとの会話で出ようとは思いもしない言葉。
「誰がするんだ?」
「お姫様です」
「誰に」
「陛下にです」
上手く耳に入ってこなかった。
今日の会話は、聞き取りがいやに難しい。聞き取ってからの理解が、だろうか。そもそも今日は最初から話の流れに上手く乗ることができていないのだ。
「アリス」
「はい」
フリッツは額に拳を当てながら、どうにか今までの突飛に思える情報をまとめる。
「お姫様が陛下に膝枕、するってこと?」
「それはまだ分かりません」
「ああそう。……悪いけど、さっき省略した話の流れっていうのを教えてくれる? 全然話が読めない、どうして膝枕なんていう考えが出たんだ」
なぜ急に何かしようと思ったのか、その経緯がないからこんなにも頭の中がごちゃごちゃになっているに違いない。
フリッツは順序を省略せずに説明することを要求した。
結論から述べるに、事の発端は母だった。
母は以前のように城の外に収まらず国中、国外へ足を運ぶ生活を再開させているが、これまでとは異なる変化が起きていた。お姫様がかなり気に入ったようで、短期間での帰還が常となってきたのだ。
その母は今日もお姫様の元へと遊びに行った、外出云々の話は来ていないので外に出ることは考えていなかったと思われる今日は室内でお茶をしていたのだとか。話題はいつからか母の夫、要はフリッツの父にして先の王の話に移り変わったことは変な流れではない。
両親の関係は義務から始まったにしては、貴族の結婚事情と比べてみても破格にも良かったようだ。仲睦まじい様子はまじまじとは見たことはなくてもそれなりに見かけたことはある。
どれほど時が経っても恋仲そのものの仲だったのだろう。
今でも母と話していると父の話が出ることは珍しくない。彼女が夫のことを語ることは。
そんなこんなで母は義娘となったお姫様に色々と話していたようで、
「それで膝枕……」
両親が膝枕をしていたのかとかいう今の今まで知らなかった事実はもはやどうでもいい。
要約するに、母の思い出話の中に膝枕が出て来て膝枕を知らなかったお姫様に母が膝枕をして、母がお姫様に王にも膝枕をすれば喜ぶのではないかと勧め……勧められたお姫様は今まで王に何もしていないとでも思ったのか、何かできないかとの思考に行きはじめたらしい。
母が原因だとは分かった。
それにしても……
「……膝枕か、想像できないけど」
いつもそれに類しそうな光景は見ているのに、王がお姫様を膝に乗せている光景が染み付きすぎたというのだろうか。お姫様を抱き枕状態にしているところも何度も――最近は気を遣って外から呼び掛けるだけにしているが――見ているのだが……慣れとは斯くも恐ろしい。
お姫様が王に膝枕をしている、王がお姫様に膝枕をしてもらっている。
想像できない。
光景も、であるがあの王は――兄は嬉しいと思うことがあるのだろうか。
「外には表れたりしていないだけで、感じてはいるのかな……」
ないと思っていた感情が隠れていただけだったのならば、「嬉しい」とかいうものも。
そんなこと考えたことがなかった。あの王にはそぐわないどころか、存在するとさえ思わなかったのだ。一度もそんな様子を見たことがなかったから。
「それでも、お姫様はそんなこと考えなくてもいいのになぁ」
「そうですよね」
嬉しい、喜ぶ、それらの感情があるかどうかはともかく、もう王は今だけで十分満たされていると思われるのだから。
お姫様は考えずとも今そうしているだけで側にいるだけで、さすがに人形のようであれば考えものだが、何かしようとしなくてもお姫様は王に与えているものがある。
その存在だけで、などということが本当にあり得るとはフリッツは思いもしなかった。
「まあ、そっとしておこうか」
「お姫様が悩んでいてもですか?」
「僕らが口を挟むようなことじゃないみたいだからね。お姫様は何か見つけるかもしれない」
その内王に問い詰められてお姫様が溢したとしても別に悪いことにはならなさそうな、微笑ましい悩みではないか。
「幸い今日は時間があるし、今日中に解決するかもしれないよ」
両想いのはずなのに、何だろうなぁと思う。お姫様は考えすぎだ。
第三者の位置でさえこれでもかと行動に表れていると分かる――王の行動には――のに、どちらとも言葉が極端に足りていないのではなかろうか。




