14 側近、悟る
引き続きフリッツ視点。
身動きを制限されているのではないのにぎこちなく振り向くと予想通りに王の姿があり、フリッツの中では最優先が交代し如何様に説明するかと急ぎ頭を働かせる。
フリッツと同じくして木々の間から姿を現した王の近くには馬は見られない。もしも馬で来ていたならもうしばらく猶予はあったと思われるので、単身で来たのだ。王について狩りの集団にも紛れていた狼も追いつけなかったのだろう、一頭として見当たらない。
花畑に現れるはずのない王が歩み、下に咲く花に頓着することはなく無惨にも踏み潰し花びらが舞う。確実にフリッツとの距離はなくなってきているため、フリッツは一番穏便な説明をどうにか頭の中で固めて近づいてきた王へ――――王は通りすぎた。
姿を追うと、王はもう幾分も行くことなくすぐ側に止まる。お姫様の側。
「ビアンカ」
かの王のこのような声を聞いたことがあっただろうか。
先ほど一言発された声とはうって変わって、わずかに和らいだ声音は変わらず通り良いものなので王が姿を現したことにより完全な静寂が生まれたその場によく通った。
全ての視線を受ける中で聞こえた声にその場の空気が戸惑いに包まれたことが空気で分かった。
最早そんな周囲の中心ともなっている場所で、王の立ち止まった前にいるお姫様の下げきられている頭がゆっくりとゆっくりと動く。
上げられることを待たれて明らかになったお姫様の顔には亜麻色の髪がわずかに乱れていることでかかり、顔色が見ていて可哀想なほどに悪い。
目も朦朧として焦点の合っていない……が徐々に定まっていき、その淡い青の瞳が目の前に現れた王を認識して少し力が抜けて泣きそうに揺らいだ。伸ばされた王の腕、袖をお姫様の頼りない細く小さな指で握る様子が見える。
王は彼女を慣れた動作で片腕で抱き上げ、ゆっくりとその身を起こし顔をあげた。
「私のものをこのようにした愚か者はどこだ」
腕に抱いたお姫様の髪を撫でる手つきは見るからに優しげなのに、周りに向ける顔は威圧感あれども普段はある笑みさえなく真顔になっていた。
さっきの声音は幻聴だったと思わせる、いつもの威圧感のある声が全ての者の耳に届いただろう。
いやいつもの、ではない。これまでにないほど本気で怒っているとフリッツは感じた。総毛立つほどの圧を感じるのだ。
目を合わせたはずもない離れた位置で倒れた者がいたと気配だけで察知、目はこの場で圧倒的な存在感と力を放つ王から少しも離すことができない。
吸血鬼の中で最も優れている王がその気になれば空気だけで威圧することは可能、しかし普段それほどまでに意図的に力を使う機会は皆無。
が、これだ。
フリッツの用意した説明なんて不要だった。お姫様のあの状態と周りで見ている吸血鬼たちが揃えば王には関係なかったのだ。この光景が広げられる未来は決まっていた。
「聞くまでもないか」
王の目が捉えたのは、王が現れてから徐々に後ろに下がっていたレオノーラ。扇を持つ彼女の手が本能的な恐怖から震えている。
「これに何をした」
その手に剣でもあれば、首を飛ばす幻覚が見えたであろう。それほどまでに聞いた者が凍りつきそうな冷えた声を出し、しかしその目は映したものを全て灰塵と為してしまうかと思われるくらい業火を宿す赤い瞳。
レオノーラと王との間にいるフリッツは無意識に一歩下がる。
「いつ、私はお前に手を出す許しを与えた」
「――――」
答えようとも答えられない、そんな状態。
「答えろ」
その再度の言葉には絶対的な命令が込められていた。
「――――な、くとも」
ぱくぱくと声は出ず口だけを動かしたあとようやく出された声はとても出し難そうに聞こえた。
「得なくとも、その人間が、陛下に害を与えていることは明らかですわ……!」
心よりの言葉の方が害意に満ちていたが、それを聞いた王の表情は微塵も動くことはなかった。
一応聞く気はあるようで、問う。
「害を与えている? 何を以てそう言う」
「人間が陛下のお側にいるだけで、」
「私が政務において間違いでも犯したか、帝国に災いでも起こったか」
――国が少しでも傾いたか
と淡々といくつもの事を問う。
これこそ明らかなことだった。
何も起こっていない、揺れていない。揺れていた、揺れているとすれば人間との結婚に動揺した周りだけ。
王のその生まれながらの王者たる素質はきっと永遠に変わりようがない。単に今までは個人それぞれにあるはずの感情が隠れており、それが出てきたに過ぎないのだから。
「帝国の王の血筋に、弱々しい人間の血を混ぜるおつもりなのですか……?」
「それを余計な世話と言う。会議で当に結論の出たことだ」
「それがおかしいと言うのです、人間を王の妃として認めるなど――」
「おかしい?」
王が一瞬嗤い、次の瞬間には真顔に戻る。
「私が決めたことだ、それが通ることのどこがおかしい。お前は私が決めたことに文句があるのか」
「文、句では、ありません。わたくしたちは、人間を認めるわけにはいかないだけです」
「話にならんな。同じ話を二度することは嫌いだ」
頑なに「王の側に人間がいることは認められない」と言うレオノーラ。本心だろうが、王の言葉が受け止められないのか。
「これを傷つけられることも嫌いだ」
今こんなにも王はその腕にお姫様を大切に抱いているというのに。
強い嫌悪感が露になった声音にレオノーラが大きく震え、止まらない震えが身体にあるまま血の気が失せていく。まさか、とその口が動いた。やっと今目にしている光景をはじめて理解し、受け止めたような。
王が人間のお姫様を腕に抱き、レオノーラ自身に怒りを向けている。
「こんな、ことが……」
王にその感情があるとは誰も予想せず、ひたすらに人間にだけ目を向けてあれを認めるわけにはいかないと思っていただろう『彼ら』は。
王の本気を感じずにはいられないだろう。
「お前はどうも何をしたのか理解していないようだ」
様子を要領を得ない、と王は取ったと思われる。
酷く冷えた声は言い、
「これを傷つけるということは、どういうことか――身の程を知れ」
王の赤い瞳が炯々と光る。
レオノーラが驚愕に目を見開いた刹那、彼女の身体が崩れ落ち、膝をついた。
後遺症が残る強さでやっていなければいいが、フリッツはすぐに王に確かめることもレオノーラを直に確かめることもできずにいた。
耳が痛くなるほどの静けさ。
周囲にはいつからか吸血鬼が増え、息を潜めて王の挙動を注視していた。
崩れ落ちたレオノーラを見下ろすこともなく、次に王は周囲に視線をぐるりと巡らせる。一瞬通り過ぎるだけにも関わらず威圧感があるのは、その瞳と雰囲気のせいだ。
「ここには私が決めたことに文句のある者が他にいるのか」
問いに慌ててぎこちなくでも首を振る者多数、いずれも顔色がすこぶる悪い。
「それならば良いが、今後これに害を加える者があればそれを私への侮りと反逆と取り、処罰する。――二度と同じ事を言わせるな」
誰も声を出すこと動き出すことはなかった。
フリッツが動きだせたのは、全てを黙らせた王が背を向けた後。地に伏すレオノーラの元へ行き一応様子を確認した。
「れ、レオノーラ様は」
「……大丈夫だよ。介抱してあげて、しばらく寝ていれば起き上がれるようになる」
「はい」
それに数日では無理だろうが、後遺症もなく元気になるだろう。王はあの中でも加減をしたようで一安心だ。
レオノーラの侍女に彼女を任せて、立ち上がったフリッツはぐったりしたレオノーラを見下ろす。身体に支障は残らなくとも、おそらく恐怖は根深く残る。
それから遠巻きにこちらを窺っている、未だ声を奪われたがごとく沈黙し続ける貴族たちを最後に見渡してからフリッツは花畑をも出た。
そうして花畑から離れた王とその腕に抱かれているお姫様の元へ向かった……のだが、なぜか様子がおかしかった。
「どうした」
王が訝しげになっていることが近づき終える前に分かった。
「い、いえ、あの、わたしは、」
原因は近づき側から探ったことで明らかに。
王の言葉を向けられているのはお姫様であり、フリッツはお姫様に関して一つのことに気がつく。その手は意識が王を認めた直後はすがりつくようだったのに、どうしたことか今はむしろ触れないようにしているようだ。
「わたしは平気なので、お気になさらないでください。で、ですが、あのわたしはその、汚れてしまったので、先に戻ってもいいでしょうか?」
それにつっかえつっかえの言葉ではあるけれど、何かに急かされているように言葉を作っているお姫様は視線を王でもなくフリッツでもなく、誰とも合わされず逸らされている。
様子がおかしい。
「どうか、気にしないで、ください……」
極めつきに、お姫様の声がか細いだけでなく微かに震えていることを耳が拾った。顔色も、レオノーラがああなった以上もう力は解けたはずなのに悪い。淡い青の瞳に映る感情は――怯え。
語尾に近づくにつれて消えていく声でそれらを言ったあと、お姫様は小さな身体をもっと小さくするように俯いた。
お姫様はこの場全てに怯えている。
失敗、したかもしれない。
周りの状況を見たところとしては過程はどうあれなんとか成功と言えるだろう。多くの貴族が王の事の本気を目の当たりにし、知らしめられた。
だが確実に失敗したとお姫様の表情と様子を見てフリッツは悟った。
目を周りに配ると少し離れたところで王とは別の狩り集団にいたはずの母がいつ駆けつけたのか、成り行きをじっと見守っているその目と合った。




