12 侮辱
レオノーラという令嬢はアリスの斜め後ろからそっと様子を窺っているビアンカを目に映した。
「本当でしたのね、人間が迎えられたとの情報は」
目の描く弧は薄れたが、赤い唇から出された声は変わった調子には捉えられなかった。
敏感にとっさに身体が構えたビアンカはぱちぱちと瞬く。
「陛下が人間を連れて帰られたとの事が広まっていた時に一部ではそんな噂がありましたけれど、馬鹿馬鹿しいと笑っていたのに本当になるとは……」
にこやかであるのに、何だろうこの違和感は。にこやかだからこそ、特に潜められず普通の大きさの声で言われたことの意味を上手く理解できなかったのかもしれない。
去ることもできないもので、ビアンカは感じる違和感を抱えたまま戸惑うしかない。
「この場で実際に見ることになるとは思いませんでしたわ。どんな気持ちでその紋章を身につけているのかしら、ふふ」
「レオノーラ様?」
アリスが怪訝そうに笑い声を洩らした令嬢の名前を窺うように呼んだ。
「あろうことか人間が誰をも差し置いて……わたくしを差し置いて。わたくしがこんな人間に負けたなどということですの?」
赤い瞳の弧が、また少し薄れたことが予兆だったのだろう。しかし初めて会った吸血鬼のちょっとした変化の機敏などで察することができるわけもなく、ただただ、
「冗談でしょう?」
突然だった。
パチンと扇が繊手に音を立てて置かれた直後、ビアンカはその瞳に当てられた。
いつ膝を折ったのか、次に視界を意識したときには顔は固定されたまま膝を折り、手を地面につけていた。花冠が芝生の緑に落ちたのだろうか、握ってしまっても辛うじて持ちこたえていたところが崩れてしまったのだろう花びらが数枚散った。
可憐な花びらが、視界を過り、消える。
「……あ、ぅ」
苦しい、息苦しい。
急に喉が空気を拒否したようで、自由に呼吸できない。苦しい声が洩れた。
手を強く力の限りに、耐えるために握りしめた芝生の柔らかさと自分の苦しい状態が正反対。
そんな状態の自分を見下ろしている赤い瞳があり、残酷だと感じる綺麗な女性がいる。今新たにどこかからか現れたばかりの女性ではなく、あの美しい令嬢だとはわかっていた。
「レオノーラ様何を――お止めになってください!」
ビアンカの固定された視線を、誰かの後ろ姿が遮ってくれた。アリスだ、とわずかながらに楽になった気がしたのは一瞬、変わらずある苦しさに明確でない視界でアリスの姿をはっきりと捉える前に少しでも楽にと判断した身体が顔を下に向く。
「あらアリス様どうしてですの?」
「どうしてとはこちらの言葉です!」
「わたくし、とても気分が悪いのですわ」
「気分……? 一体お姫様が何をしたというのですか!?」
朦朧とした意識は変わらず、ぼんやりとしているだけではなく具合が悪いときのように中で渦巻く心地悪いものがあるようで動けず、逆らう術がない。
頭は急な事にただ混乱が生じ、混乱により物事を感じることは叶わず地に倒れ込んでしまいそうな強い、目眩より酷いものを感じることしかできていない。自分の息づかいが他人のもののように、くぐもって聞こえる。
「お姫様にその力を使わないでください!」
アリスの声がする。けれど、それよりも。
「どうして?」
赤い瞳の残像を消したくて瞑った目により、姿は捉えず聴覚だけで捉えた声が、冷たいとようやく分かった声が言うのだ。
「わたくしは酷い侮辱を受けていますわ」
「侮辱なんて誰もしていません」
「アリス様もわたくしがその人間の下だとでも仰るのかしら?」
「そんなこと誰も言っていません」
「ええそうですわね。けれど――見てくださいアリス様、このように弱い人間がすべての吸血鬼の上に座する王の横にいるなどということ、許されるはずがないのです。そう思われませんか?」
声が、言葉が、ビアンカを見下ろす視線が突き刺さる。
「身の程を知ってもらわなければ、困りますわ」
「レオノーラ様!」




