11 花冠
宵が満ちた時間なれども、とても大きくまん丸な月によって地上は太陽よりも柔らかく優しい光で照らされていた。
「とても素敵なお花畑ですね」
花畑は思ったよりも広く見事なもので、ビアンカは感嘆の声を洩らした。
森の入り口からすぐの開けた場から奥に進むというよりは主に横に進むとあった『花畑』は自然に咲いたというよりは、種がまかれて手入れされて咲いたもののようだ。そう分かる、見事な花たち。
月光で照らされているからこそさらに美しく見えるように思えるのは気のせいなのだろうか、夜が大半のこの国に合った花というのだろうか。
「入らないんですか? お姫様」
花畑に入る前の位置で立ち止まってしまっていると不思議そうにアリスに尋ねられて左右を見ると、なんと吸血鬼の令嬢方は躊躇なくサクサクと花畑に入っていくではないか。
よく見ると背の少し高めの花が咲いている間には幾筋か芝生の道が敷いてあり、また少しだけ広い丸い形の広めの芝生の場所も設けられている。
花に気を取られていて気がつかなかった、それであのように歩いていけるのだ。
せっかくなのでビアンカも芝生の道の一つから花畑の中に入ると、周りが花だらけで何だか不思議なところに迷い混んだ気分になる。素敵なところだ。
しかし花に囲まれているのは素敵なものだが中央辺りにいるのはいただけない、端っこに行きたい。外の花畑で端っこも何もないかもしれないけれど、とりあえず出来るだけ目につかないところに。
フードを被って来たけれど、外すべきなのだろうか。森の中であればぎりぎり不振ではないような気がするが、花畑の中でこの格好は……端に行ってから考えることにする。
「お姫様、花冠作りますか?」
端にほど近い丸い芝生に到着してまずは、と花を観賞しているとアリスが言った。
花の冠、とは花で作った冠ということと予想できる。とても素敵なものだと思われるものの、どのように作るのだろうか。
「どうやって作るのですか?」
「一緒に作りましょう! まずはですね、お花を……」
「摘んでも良いのですか?」
アリスが自然に花を摘み取るものだからビアンカは驚き思わず尋ねると、アリスは一瞬きょとんとして次いで溌剌とした笑顔に戻って言う。
「はい、摘んで帰られる方もいますから! この森を管理している吸血鬼の方が育てているものなんですけど、こういった利用がないときは誰も立ち入らないようにされているので摘むことも持ち帰りも自由になっているんです。それから、今回は今日のために育てられたのだと思います」
「そうなのですね」
この森は自由に立ち入りが出来ないということでもあるのだろう。王が利用することを考えるならば当然か。
それにしてもこれだけの面積に植えた花を育て上げることは大変だろうに、今日のためとはそれもまた驚きに値する。たくさんの人たちに見てもらいたいほどきれいなのに。
アリスがぷっつんぷっつんと花を摘み取り「素敵な花冠を作りましょう!」と言うのでビアンカもこれを育てた顔も知らぬ吸血鬼に謝罪と感謝をしながら、一本一本摘み取らせてもらう。
こんなに素敵な花なのだから、無様な花冠にしては可哀想で収まるものではない。立派な花冠にしてみせることを心に決める。
「アリスさん、よろしくお願いします」
こうして花の冠を作れるというアリスに教えを乞い、はじめての花冠作りがはじまった。
はじまった当初ビアンカの目はまずはアリスの手元をじぃっと見て次は自分の手元に戻って真似するという形であった。しかし、思わぬ事実が発覚する。
今まで細かな作業をすることはなかったので気がつかなかったけれど、どうもビアンカは器用ではないらしい。
「……」
「ここはこうすると、上手くできますよ!」
「あ、ありがとうございます」
一向に慣れる様子のないビアンカの手元にすっと指が現れ、アリスが手助けしてくれてその部分が綺麗にいく。
たぶんビアンカは不器用な部類だ。
なぜならビアンカより手が大きくてすらりとした指をしたアリスは慣れていることもあろうが、茎を編む流れが淀むことなくまたこれが綺麗だ。ビアンカに教えつつ、完成形の見本と称してあっという間に一つ花冠を完成させてしまった。
思った通りに花冠は素敵なものであったが、ビアンカは自分の手元を見て落ち込んだ。四分の一もできていなかった。
どれだけ不器用なのかとここまでくると自分の指なのに信じられない、今までろくに指先を使ってこなかったのだと繊細な花を扱い実感するはめになった。
手元には四分の一ですでに不格好な花冠(未完成)。思うようにいかないのだ。
祖国では書庫に行けば一生をかけても読めないと思われる量の本があり、絵本から夢物語から歴史書などまで大きな幅ある本の中を年齢と共にさ迷いつまりはずっと本ばかり読んでいた。
外に出て活発にする考えは淑女か淑女でないか以前に性格からしてなく、残念ながら話し相手もいなかった。
従ってどういうことか、本の頁を捲ることは特別に細かい作業ではない。文字を追いかけることは細かいと言えなくもないが、手先を使うことではない。
刺繍も編み物もしたことがないことにビアンカは今気がついたのだった。
知識としてそういったものがあることは知っているものの、するように言われることはもちろんなくしようと思えば始められたかもしれないけれどしようと思うきっかけもなかった。
(本を読んでいる場合ではなかったのでしょうか……)
世の中の淑女のたしなみであるという刺繍でもすれば壊滅的なのかもしれないと恐ろしい予想をしてしまう始末。
けれどもそんな良くない考えが過っていたのはごく短い間で、その後もアリスに手助けしてもらってはいるが続ければ続けているほどにどんどん夢中になり、やがて手元に全ての神経が集中する。
そして続けていくともたもたとぎこちないながらに花冠の完成は見えてくる。
最後に至るまであまり上達しなかったためアリスの手伝いのおかげで花冠は形になった。不格好なのははじめてだからと自分に言い聞かせる。
「出来ましたね!」
「はい」
アリスが嬉しそうにしてくれるものだから、ビアンカは照れてしまう。
何はともあれはじめて作った物だ、そう思って再び作った花冠を見下ろすと愛着が湧いてきた気がする。ひっくり返して意味もなく裏を見たりしていると、ふわりと視界の端を花冠と同じ色がちらついた。
あまりに触っていたから花冠の花から花びらが取れてしまったのだろうかともう見えなくなった色を追いかけると、周りには同じ種類の花があるので色だけはいっぱいに広がる。
どのくらいの時間ここにいたのだろう、長く下を向いて時間を過ごしていたことを物語る少し違和感のある首筋。
手入れされている芝生をいいことにすっかり座っていたものなので立ち上がると、周りには他に吸血鬼がいることを、目にしてから思い出す。いつしか花冠作りに入り込んでいて、視界も手元だけ、周りの音も自然と遮断されていたのだ。
その流れで何ら身構えず見てしまって周りの視線を見て、受けてしまった。
幾つもの目が、赤い瞳がビアンカに向けられていて「気がする」ではなく間違いなかった。
花畑に立つ令嬢たちは扇を口許に当てて何事かを話していながらもなぜか目をビアンカに向けており、花を愛でて談笑している令嬢たちもその傍ら一瞬、目が合った。
「あれが噂の……」
「あの指輪……」
「まさか本当……」
「人間が……」
一度耳が声を拾えば、ささやかな時間感じていた楽しい気持ちが霧散した。一気に居心地が悪くなり身体に勝手に力が入って強ばり、何の遮りもない花畑の中に立っていることが無防備に思えてならなくなる。
帝国に来る前から不特定多数の人の視線を受けることは苦手だ、あの扇の奥の声もその上での視線も気にせずにはいられないだろう。だってこちらを見ているから。
一度外したフードを被ってしまいたくなって視線から目を逸らすべく俯こうとする、と、
「お姫様、お茶にしましょうか」
一番近くから柔らかな声をかけられそちらに顔を向けると、立ち上がったアリスが笑顔でビアンカを見ていた。
「一度戻らなければいけませんけど、そんなに遠くないところに秘密の場所があるんです。自然にできた小さなお花畑ですよ」
そこでお茶しましょう、とアリスは笑顔で提案しながらもビアンカの手に手を触れさせた。そこでは完成したばかりの花冠がもっと不格好になっていた。ビアンカが花を潰さないように、花びらを散らさないようにと丁寧に扱っていたはずが、当のビアンカの手が無意識に花冠を握っていたのだ。
その花冠をビアンカの手からゆっくりと外したアリスは花冠の潰れた箇所を手早く直して、差し出してくれるのでビアンカは花冠を見てからアリスを見つめ、花冠をそろそろと受け取った。
「小さなお花畑、行きたくありませんか?」
「行きたい、です」
そう返したら、アリスがことさらにっこり笑って月明かりが十分ではない夜に外に出るときと同じで、ビアンカの手をとり「じゃあ行きましょう!」と来た道を行きはじめる。
アリスがいるから、一人ではない。ビアンカもフードに手を伸ばすことも下を見つめることもなく、手を握り返して一緒に歩き始めた。
「違うお花畑でも花冠作りましょう」
「はい」
「あ、ここのお花を持っていって混ぜると可愛らしくなるかもしれませんね! 私が渾身の一作を作ったらお姫様つけてくれますか!?」
「わたしでいいのですか?」
「お姫様につけてもらえるのならそれはもう――前もって花を持って来れば良かったです!」
前もって用意していれば醍醐味が減るのでは? と思わないこともなかったけれど、アリスが何だかとても後悔している。
「あれはアリス様……」
「アリス様が……」
「そういえば……」
周りの声と視線は気にしない。近くに安心できる人が一人いるだけで、こんなにも変わるのだ。手を握ってそこにいると知らされているよう。
アリスは、ビアンカが周りを気にしていることを分かって言ったことは明らかだった。こんな情けない様子で申し訳なくもあるが、それよりも感謝でいっぱいだったからきゅうと手を握った。
「アリスさん」
「はい!」
「アリスさんは刺繍もお上手なのでしょうか?」
「自分で言うのは何かと思いますが、仕事に出来るくらいの出来映えだと言われたことがあります!」
そうだとすれば刺繍も教えてもらいたいな――おそらく不出来な生徒になるだろうけれど――と軽く聞いたのに予想以上だった。
その場面は見たことはないけれどこれまでの情報からするに武術もできて強くて、それなのに淹れてくれるお茶も美味しくて縫い物もできて刺繍もできて美女であることはもちろん、もしかして彼女は完璧な淑女なのではなかろうか。
情報を繋ぎ合わせた結果に、ビアンカは刺繍の教えを乞う計画もそっちのけになる。
「アリスさんは、淑女の見本のような方ですね」
「え! 淑女の見本だなんて、私は軍人より絶対侍女になりたかったので女性らしいことを極めようとしただけですよ!」
「極められるところがすごいです……」
本心で呟くと、アリスが照れたように笑顔を咲かせ手に力がこもった。
アリスの手はすべすべだ。軍人一家で軍人に引きずられようとしていたのであればもっと荒れたと言うべきか、そんな手をしていると思うのだけれど毎日手入れを欠かさないそうだ。ビアンカの手も手入れしてくれて、そのおかげでビアンカの手も今ではすべすべになっている。
「それにですね――」
「あ、アリスさん前を」
道はけっこう狭い。一人で通る分にはドレスであっても余裕もあるが、二人並んでとなると難しいのでビアンカはアリスの斜め後ろを歩いている位置関係。
その前からこちらに来る姿があって、斜め後ろのビアンカに顔を向けて話しているアリスに慌てて教えた。アリスは反射神経よく止まったのでぶつかることはなく、ビアンカも足を止める。
「レオノーラ様」
「アリス様、お久しぶりですわね」
「お久しぶりですね」
向こうから来たのは巻かれた栗色の髪が上品で扇を手に持つ例外なく美しい立ち姿、容姿の吸血鬼だった。
花が背後にあることが似合うその吸血鬼はアリスの知っている吸血鬼のようで、互いに名前を呼んで挨拶をしている。彼女の斜め後ろには異なる令嬢が二人、もっと後ろには彼女たちの誰かの侍女と思われる地味めの服装の吸血鬼が芝生の道に続いている。
「アリス様であれば狩猟の方に参加していると思っていましたわ」
「私だっていつまでも狩猟の方に引きずられていきませんよ」
「レオノーラ様」
「何かしら?」
アリスと話していたレオノーラと呼ばれた吸血鬼の注意を別の令嬢が促す。
その瞳が二対、否、向こうから来た全ての瞳がアリスではなく明確に背の低いビアンカに確かに向けられている。
「あら?」
瞳も口元も笑みの形になってどこからどう見てもにこやかな令嬢は視線をビアンカに定めて首を傾げた。
「どうして人間がここにいますの?」
単に疑問を口にしただけのような口調で。
「どこかの国からの……いいえそうだとしてもこの場に呼ばれるはずはありませんわね」
「レオノーラ様、あの指輪を」
指輪、と聞こえてビアンカは指輪のある方の手を握った。デューベルハイトの紋章が入ったこれだと視線の動きで感じたから。
複数いる令嬢の中でも本人の美しさもあろうが、一番美しい装いと他の令嬢の態度がどことなく低いことからその中で最も身分が高いと思われる吸血鬼もすっと視線を移した風に見えた。
見えただけか正解かは分からなかった。彼女の表情は全く動いていないのだ。アリスと言葉を交わしていたときも異なる令嬢と言葉を交わしていても、多少は動くはずの表情はぴくりとも動かずに――「綺麗で淑やかな笑顔」が張りついてしまっているみたいだと、感じた。これも、正しいかどうかは分からない。彼女は完璧に見え、ビアンカの思い込みである可能性が高かった。
「ああ、例の……」
しかしながらそのとき笑みの形の赤い瞳がす、と開いた。




