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 粗雑に扱われることを覚悟していたビアンカは、金髪の吸血鬼(フリッツというらしい)の言ったとおり、悪くされるどころか引き続いて案外丁寧に扱われていた。

 食事は普通のものだった。吸血鬼とて食事は同じなのかと小さな発見をした。

 いくら情報は耳にしていたとはいえ、聞いていただけと、実際に目にするのは違う。

 吸血鬼自体にも接してみると、あまり人とは変わらないものかもしれない、と思いはじめる。


 しかし食事はろくに喉を通らない。

 部屋に一人のときでもずっと緊張は最低限あるからか、そもそもあまりお腹が空かないし眠気もない。

 ちょこちょこと顔を見に来るアリスに心配されるが、どうにか慣れない笑顔を作ってごまかす。


 彼女はとても心配してくれるので、吸血鬼に感じた恐ろしさがなくなっていた。

 明るい性格ではきはきと喋る様子は気持ちがいいくらい。今まで接したことのなかった部類で、瞳の色と鋭すぎる歯に目を瞑れば良い人柄の女性にすぎなかった。


 思い返せば、今まで彼女ほど真っ直ぐにビアンカを見て色々義務以外で話してくれる女性はいなかった。侍女たちとは義務以下の言葉しか交わさず、一言も言葉を交わさないことだってあり、友達はというと一人もいなかった。


 とにかくアリスはお喋りで来て色々と喋っては出ていき、来て喋り、出ていきを繰り返していた。

 どうもアリスは侍女になりたいらしい、から派生して色々な話題にころりと移り変わり戻り変わり、色々なことを聞いた。

 

 吸血鬼にもビアンカの人間だけの国と同じように貴族など位があり、高位であればあるほど吸血鬼として優れ――身体能力が高いのだとか。

 吸血鬼は人間と比べると遥かに身体能力が高いらしい。耳もいいらしい。「一番強いのは陛下ですけどね! もちろん!」と彼女は言いもした。

 高位であればあるほど優れているのであれば当然、王が一番。実力社会みたいなことになっているのだろうか。それで一番実力があるから、帝国の王が直接来ているなんていうことになっているのだろうか。


 ところで彼女の実家の侯爵家は軍人を輩出する名家だそうで、軍には女性も少なくはないので令嬢のアリスもその道に未だに引きずられそうなのだとか。

 高位であるほど、吸血鬼として優れているのであれば納得である。

 というか今回のことにあたりアリスは軍人である兄に引きずられて参加させられた……という愚痴を聞かされたビアンカは進軍された側の人間なのだけれど。

 吸血鬼の「すごい」ところは見ていないので、いずれ怖いもの見たさで目にしたいようなしたくないような。





 現在ビアンカは、部屋の中にぽつんと一人だった。

 慣れた部屋でもなく、落ち着く場所を探し結局壁際に椅子を引っ張ってきて座っていた。

 やることもなく、一通り考えたことは解決して、解決していないことがあってもそれは考えても答えの出そうにないものなので結果考えることはないということになり、部屋の外に出る勇気は未だになくぼんやりしていた。


 城にいたときも同じ場所と場所を行き来する日々で、時に冒険心を呼び覚ましても人気のない庭で日向ぼっこするくらいだったから特に支障はない。

 見知らぬ土地――正確には異国の持ち物の船の中で、なけなしの無防備な冒険心が呼び覚まされるわけもない。

 時間の流れも不確かで、鍵もかけられていないのに自分で閉じ籠っていて、何だが不思議な牢獄にいる気分だ。待遇が良すぎて、訪ねてくる話し相手もいる牢獄。


 人形のようにぼんやりと座って、どこを見るでもなく目を開けていると、ドアが動きを見せた。

 アリスだろうか。

 突然開くドアには否応なしに慣れてきてしまっていて、溌剌とした笑顔を予想すると、どことなく嬉しい気持ちが生まれた。嬉しい、という感覚はいつから失せていたのだろうかと考える始末だ。

 どうやら自分は、優しくされる方に傾倒して吸血鬼とかいうことに対して警戒心が溶かされてきているようだ。アリスが特別なのかもしれない。

 と、アリスを思い描いていたビアンカは。


 固まった。


 姿を現したのはアリスではなかった。その次に見る回数のある金髪の吸血鬼――フリッツでもなかった。

 部屋の中の空気が変わったのか、はたまたビアンカが緊張しただけなのか。

 吸血鬼の王だと聞いた存在が、部屋の中に入ってきた。その身にまとうマントはなく軍服、といっても多少異なるデザインの軍服を身につけているようだった。王様だからだろうか。

 隅で存在感をなくすべくビアンカは構えるが、吸血鬼の王は隅っこにいるビアンカを容易に見つけてしまい、大広間のときのように歩いてくる。


 この吸血鬼は怖い、と思う。アリスやフリッツにはないものがある。纏う空気が近寄り難いとでも言おうか、アリスやフリッツは人当たり良い方だと人と比べても思うから。


 瞬く間にすぐ近くまでやって来た存在にビアンカはビクリと大きく震え、華奢な身体をより小さく縮こまらせようとするが、手が伸びてくる。

 ぎゅっと目を閉じようとして――頭に何かが乗った。


(…………ん?)


 閉じようとした目をおそるおそる開くと、王の顔があった。

 改めて見ると、瞳の色彩とは正反対に凍りつきそうな鋭い美貌を持った吸血鬼だった。

 真正面で見たその顔には癖のある笑みがあり、宝石のように綺麗な赤い瞳は愛でているように見えなくもないそれで、触れた手は何か動物を撫でる乱暴と優しさの狭間。


 頭を撫でられた。

 力の強さにぐわんぐわんと頭が揺れる。


「陛下ー、気持ちは分か――分からないですけど狼と同じように撫でるのはちょっと荒いと思いますよ」


 いつの間に入ってきていたのか、王の後ろからフリッツの声が聞こえる。

 狼と同じ。

 聞いた話が甦りかける。


「中に閉じ籠っていると息が詰まるだろう。外に出るぞ」


 フリッツの言葉を丸っと無視した形で、王は大事なことを思い出せそうなビアンカに言った。


「そと……?」

「来い」

「あ」


 腕を引っ張られて、部屋の外まで引っ張られてよろよろとついて行くことになった。


 外は、夕に夜が混ざり始める頃だった。

 時間感覚と眠気が正常に来ないビアンカは、一日のいつの時間かを久しぶりに把握した。


 しかし景色をじっくり見ている暇はない。なぜならビアンカを引っ張る吸血鬼の足が速い、歩幅の違いを抜きにしても速い。


 やっと足が止まったときには小さく息が上がっていた。着いたのは広い甲板で、他にも吸血鬼がいた……が赤い瞳ではない人間がいることもちゃんと確認できた。

 本当だ。人間もいる。


「まだ夜が短いな」


 陽が沈む方を見た王が言った。

 まだ?

 腕は解放されたのでじりじりと緊張しない距離をとっていこうとしていたら、周りを闊歩している狼が見えた。

 王の周りを彷徨き、ときおりビアンカに黄色の目を向けてくる。捕食者の目である。おいそれと王から離れられない気がするが、そもそもこの王の近くにいるから睨まれている気もする。


 連れて来られた要因はなぜだか気に入られたからで、『狼枠』だったことを思い出した。

 人間をそのように扱うことを吸血鬼の感覚は分からないが、金髪の吸血鬼は吸血鬼にとって常識であるというよりこの吸血鬼の王の普通であるような口ぶりをしていた。

 では飽きられて忘れられたとき、狼ではないビアンカはどうなるのだろう。祖国と同じような生活に戻るのだろうか。

 ……戻れるのだろうか。異国の人間という立場であれば、殺されてもおかしくない境遇に様変わりしているのだ。あれから認識した事実に、目が無意識に遠いところを求める。

 現実逃避も兼ねて、以前より不確かとなった未来に不安を抱えて思考に沈んでいた。


「そういえばお前、名前は何という?」

「名ま……? び、ビアンカと言いますッ」


 急に名前を聞かれて、慌てすぎて舌を噛みそうになった。

 ビアンカは国の名を背負う名字を名乗る権利は有してこなかったので、名字は口から出てこなかった。ビアンカはビアンカでしかない。


「ビアンカか」

「は、はい」

「私はデューベルハイトだ」


 かの帝国の王の名をデューベルハイトと言うらしい。帝国の王にして吸血鬼の王は、少し癖のある、柔らかな笑顔とは言い難い笑みを刷いていた。正直言うと、威圧感のある笑み。






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