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23 詰め寄られる




 王が、ビアンカの口にした懸念を昨日の今日で払ってきたことはさすがの手腕である。が、少々早すぎるのではないだろうか。



 視界には、ただの一枚の紙切れとぞんざいに扱えぬ代物。

 珍しくも膝の上に乗せられず普通にソファーに座らされているのは、たぶんサインがしやすいように。

 慣れない位置の隣に座り、ビアンカの腰に手を回している王から無視しようのない視線を感じて、ビアンカは手を伸ばせばペンはすぐそこ、誓約書もすぐそこの状態で膝を手に置き固まっている。

 しかし沈黙に耐えかねてそろりと隣を窺うと、王はビアンカをじっと見ており何だか罪悪感めいたものを感じる。


「……もう少し、だけ待ってもらえませんか……」

「何秒だ」


 秒。


「できれば……もう、しばらく……」

「ビアンカ」

「は、はい」

「待って何が変わる。お前は私以外の誰かのものになるつもりか?」


 そんな予定はない。

 後半に行くにつれて冷えたような声で王が言ったので、ビアンカは慌てて首を振る。腰を抱く手にも力が入ったことも感じた。


「ありません……! ありませんが……やはり急すぎて上手く理解しきる時間が欲しいといいますか……」

「理解? それにサインすればいいだけだ」


 視線が紙を示し、戻ってくる。


「それ以上に理解したいのであればその後にでもしろ」


 そんな無茶な、とビアンカは思うが、王はもはやこの空気では本気で言っているのであり、促す目をしていて込められる早くしろとの意味をひしひしと感じる。


「……あの、デューさまは、わたしと結婚して後悔されないのですか……?」

「お前は何に後悔する」


 ビアンカは相手のその点を伺おうと尋ねたのに反対に問われてしまい、止まる。答えはさっと出ないもので今一度考えてみる。


 もしも結婚誓約書にサインし、デューベルハイトと結婚したことになったならば。


 まず狼枠から心持ち昇格 (たぶん)。次に生活は変わらないそうで安堵するべきところだ。

 あとは……あとは……。


(…………あれ?)


 ここにきて冷静に考えてみるとビアンカに悪いことは全くないではないか、ということに気がついた。王が周りの反応という懸念を払ってくれたこともあるのだろうか、それ以外に考えようとしても何ら支障は見受けられないことになる。

 後悔するかどうか。しそうにはない。むしろ王の方がビアンカなんかを妻にして後悔するのではないかと不安になったのだが、今のところはないようで。

 と、昨日散々しり込みしておいて今日も散々ごねていたことは何だったのかというほどに簡単に思考が答えを出し、ビアンカは自分の思考ながら驚く。


 『結婚』の言葉に、重く考えすぎていたのだろうか。「あまり重く考えないでください」と言って離れていったフリッツを思い出した、もしかして彼らから見てもビアンカは考えすぎであったのか。

 突然すぎるという効果だったのだろうか。


 あれ? ないぞ? との答えがぽんと出てビアンカが次はそのことに首をかしげていると腰に回る腕に力が少し強く、尻が浮いた。


「他に何の問題がある。言え、私が消してやろう」


 膝の上で両腕に抱きしめられ、耳元――もはや唇が耳につけられ唆す低音が直に入ってきた。息も耳にかかり、ぞくりとした新たな感覚に襲われビアンカは反射的に顔を離して、耳を庇うように押さえた。

 するとどれだけ離れようとしてもたいして離れられず間近にある顔と真正面から向き合うことになって、赤面する。

 前から接触はそれなりにあったけれど、昨日からこれまでにはあまり触れないところばかり触れ合っていて落ち着かない。


 デューベルハイトは痺れを切らせたように言葉で詰め寄ってくる。


「お前の懸念は消したはずだ」

「は、い」

「問題があるか」

「問題……ない、です」


 ないのだこれが。

 あれ? とビアンカはやはり昨日今日のことであるわけで自分の有り様を覚えているので、違うことに戸惑いまくることになっている。


 その間にビアンカの答えを聞いた王の手がテーブルから紙とペン、それから少し離れたところに置いてあった本も取り本を下敷きにした上で紙がビアンカの膝に置かれ、ペンを手渡される。

 指である箇所を示される。線の上の空白、その横にもある線上にはすでにデューベルハイトの名前が流れるような綺麗な字で記されてあった。昨日はいっぱいいっぱい、今日は誓約書を見なかったため初めて目にして思わず王を見ると、次は何だと取れる形で見返されたので、聞いてはくれるようだと受け取ったビアンカは最終確認のように訊ねる。


「あの…………本気なのですか?」

「…………」


 無言で赤い瞳が細められた。


「お前はさっきから……昨日程度では分からなかったようだな。いいだろう、後で私が理解させてやる」

「あとで……?」


 それは如何なる方法でだろうかと勘ぐりたくなる声音は、さっきみたいに耳間近で言われたのではないのにも関わらず、熱を孕み感じて、惑う。


「こっちが先だ」


 コンと音がして注意を向けるよう促されたのは本の上の紙で、どうも王が指の関節で叩いたらしい。


 否定されなかったということは本気なのだなと受け止めたビアンカは、誓約書を見て胸に不思議な温かさが出てきた。これに名前を記し受理されると、ビアンカはこの書類上からしてデューベルハイトの妻になることになる。つまりそれは、デューベルハイトの側にいることを表す。


「あの……」

「私にも限界がある」

「そうではなくて、」

「何だ」

「本当に、書いてしまいますよ……?」


 このままでは。


「書け」


 間髪入れずそう言われ、


「私の側にいると誓え」


 ――側

 その言葉がどうしてかとても胸に染み渡り、温かい響きを持って聞こえてしまうビアンカが、とうとう動かした手は意外にもすんなり動き名前を記す。さらり、と。


「フリッツ」

「どうぞー」


 名前が完全に記されることを待ちデューベルハイトが発した呼ぶ声に、存在がいないように壁際に立っていたフリッツがさっと現れ王の手に渡したのは抜き身のナイフ。


「自分でやるか、私がやるか」

「血印がいるんですよ」


 ナイフとは何に使うのだろうと思っているとそう尋ねられ、疑問に思うまでもなくフリッツが補足してくれる。

 自分に使うのか、と一仕事終えたつもりだったビアンカは少し戦く。指を少し傷つけ血を出した上で指で印を押すという、どうりでデューベルハイトの名前の横に赤いものがあるはず……。血を出すには傷をつける、そのためのナイフ、痛そう。


「お姫様は扱い慣れていないでしょうから、陛下にやってもらった方が最小限で痛みも少ないと思いますよ」


 フリッツに言われて手とナイフを交互に見て……確かに刃物類を扱ったことのないビアンカはもたもたしそうな挙げ句、力加減を誤る未来が見えたので助言に従う旨を固める。


「……では、お願いしてもよろしいですか?」


 おずおずとお願いし手を差し出すと、手をとられ早速ナイフの尖った先が指に――びびっているうちにチクリとした針が刺したような痛みが生じただけで、痛みはそれ以上のものはなく、血が出てきたところで指を所定の位置へ押しつけられる。さっと現れたアリスにすぐに手当てされる。


「完了です。あとは受理されれば……というより陛下が受理することも可能なのでもう実質受理されてますからおめでとうございます」


 デューベルハイトの手からフリッツの手へ渡っていく一枚の紙を追うと、フリッツが全く実感の湧かないことを言った。

 机の上にあり続け昨日今日と意識し続けた紙が簡単にほいとなくなり、呆気ない。実感がなくデューベルハイトを見てみることにすると、彼は満足げに笑みを浮かべ、


「これでお前は書類上でも私のものだ」


 と言った。そうか正式にデューベルハイトのものなのか、とビアンカはその一言だけで心の中へのじわじわとした広がりを覚え、わけもなく気恥ずかしくなる。

 ビアンカはこういうときにはどのような反応をすれば良いのか全然分からない。さっきまで実感がなくきょろきょろしていたはずが、気恥ずさに淡く頬を染めて表情を隠すように顔を伏せがちにした。


「……これが続くのかー」

「フリッツ様フリッツ様見てますか、お姫様照れてますよ。可愛い……」

「そうだね。お姫様は微笑ましいね」


 少し離れたところで異なる呟きが聞こえた気がするが、


「寝るぞ」


 それより大分近い王が事が済んだや否や、膝の上のビアンカをそのまま抱き上げ、立ち上がり、時間に相応しいことを言った。

 部屋はビアンカの部屋なので向かう先は扉――を先回りして開けたフリッツのにこにこと「お休みなさいませー」とお決まりの言葉に見送られて、ビアンカは数日振りに王の部屋の寝室に入った。








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