17 自覚
途中からデューベルハイト視点。
ほとんどの者が寝ているはずの時間に甥と叔父、王と臣下の関係である吸血鬼たちは、ビアンカの部屋ではなく近くのデューベルハイトの部屋にいた。
元々用意していたのかすぐにお茶が運ばれ、他には誰の姿もなくなったことを見計らい、話を切り出したのは今から話をしたいのだと言った叔父たる吸血鬼の方。
「私の話はデューが連れてきたお姫様のことについてだ」
提示された話題がこれだった。
「デュー、きみはお姫様に外に出てほしくないのか?」
「そんなことはない」
「しかしきみが彼女を噛むに至る前、見たことといえば彼女が外にいたところだとか」
「そうだ」
「外に出たことは関係ない?」
「あるにはある。……あれが私から離れ、その上で人間の男に触れられていることが気にくわなかった」
足を組み椅子に座る王は寝室のときとは打って変わり、すでに覚醒しきって応じていた。
いくつかの質問をしていたドレイン公は返された答えに一度頷く。
「少し話は変わるが私が人間の妻を迎えたことは前に話したね」
「聞いたな」
「その決め手は分かるかな」
王は話題が飛んだように感じていたが、それを指摘はしなかった。ただしこの時間に呼んでまでする話かとは感じるも、分かるかと言われたことは分からなかったので無言を肯定に代えて答ると、ドレイン公は意を汲み取った証拠に頷き、答えを明かす。
「匂いだ」
「匂い?」
「フリッツに聞いたのだが、きみがお姫様を連れて帰ってきた理由は匂いだったそうだね」
「確かに」
王は事実をすんなり認めた。
「きみは彼女の側にいると安らがないか? 離したくないと思ってはいないか?」
「認めるが、それが何だ」
「その源が分かっているのかと気になってね」
ドレイン公は柔らかく笑い続ける。
「側に置いておきたい、離したくない、他の男に触れさせたくない」
デュー、と彼は甥を呼んだ。
「きみはあの子に惹かれ、本能で側に置きたがっているんだ」
真理を解くような口調で言われたその一部、惹かれている、とその意味を確かめるように王は口に出した。
「もっと具体的に言うと彼女に恋をし、自分のものに――独り占めにしたいんだ」
独り占め、と一国だけでなく周辺国を統べる王が無知の者であると聞こえるくらい、単に一つの単語を繰り返す。
己の中にそれに当てはまるものがあるのかどうか、吟味しているようにも聞こえた。
惹かれる、独り占め。デューベルハイトのこれまでの生活において縁がなくまるで聞きなれない言葉。
――眠るときだけではなく、側にいればいるほどに安らぎをもたらす人間がいる。これまで連れて帰ってきた狼の比ではない感覚に、どうも『合っている』らしいと単に思っていた。
だが――怯えているのだと聞くと気にくわず、声を殺して泣いていることも気にくわず……その頃からだったか、デューベルハイトが少し掴みようのない感情が己の内にあると、気がつきはじめたのは。
自分がいない間に臣下の吸血鬼に浚われたようだと聞いたときには、あの存在を引き離す者には分からせてやらねばならないと思った。
それから前にも増して側に置いておくと充足感があり、あの存在が自分の名を口にすると例えようのない満足感がある。
触れていること、温もりを感じること、見えるところに姿があることが安心に似ていて、しかしどこか異なる感覚をもたらし、反対に自分から離れ誰かに触れさせていることがざわめきをもたらした。
どうにかしようがない身体の内側――精神にと捉える他ない、実態のない波。
なぜ側にいないのか離れるのか、他の誰かに触れさせるのか、離れようとしているのか。これら全てが許すことができないことだ。
なぜなら、己の内が――心の奥底からあの存在を求め引っ張られているのだから。
「私はあれを離したくない、離れようとするのならばそんなことは繋いででも許そうとは思わない。――これが、そうだと? 」
デューベルハイトは自分でもどこを見ていたのか、手に落としていた視線を叔父にやった。
惹かれている、恋、独り占め。
当てはまる要素を見つけながらも、これまでに生きてきた中で聞き慣れないそれらの言葉を確認する口調で、
「私が?」
「デュー、自覚してどうするのか考えた方がいいと私は思うがね」
叔父は肯定し促しを口にした。
「彼女への接し方もそうだ、噛むのは止めた方がいい」
首を噛んだ。
この上なく愚かにも衝動的な行動で、本能が湧き上がるがままにしたこと。誰のものだと、自分のものだと、印をつけたい衝動。
普段自分の考えに疑問は持たないが、吟味はする。
後悔、というものを初めて味わった。加えて無視のできない感情の大きさにも気がついた、気がついたがやはりこれまでの経験で当てはまるものは、――――――なかった。
自らの中に説明不可能なだけでなく制御不能、消すこともできないものがある。
今度は、これが「戸惑う」ということだろうと思った。
「お姫様とは一足先に仲直りできたようで何よりだ。けれど彼女は泣いていたと聞く、きみは『そう想う』対象を傷つけ泣かせたいか?」
いいやあんなことは二度としないと思い、口にも出した。
血の味が今も口内に残っているようだ。頭には直前と直後の怯えた顔も。誰に怯えていたか、明白だ。それが仕事をしていても消えず、『嫌』だった。
――嫌
単純で分かりやすい感情をこれほどまでに強く感じたこともなかった。
目の届く場所に。近くに。側に。
その時すとん、と全てがはまり腑に落ちきった。
「――嗚呼、そうなのか」
デューベルハイトは浅く息を吐いた。
そうだったのかと、合致させ理解すれば早いもの。確かにそうだと、したこともないが瞬間的に天井を仰ぎたくなった。
「傷つけなるなど、どうかしている」
何も区別のつかない狂った犬のようではないか。と、明確に記憶にある過去の行いに自嘲する。
否さっきまで実にそうだったと言わざるを得ない。それ以外に感情を伝えるのではなくぶつける方法と、強引にでも繋ぎ止める方法が思い当たらなかった。今すべてを理解した上では他にやりようがあったと、今度はその方法をぶつけたくなってくる。
同時に、置いてきた存在を今すぐにでも確かめに行きたいような気分が一気に生じる。
叔父の話の核を理解したデューベルハイトは、自らが結論を得たことで話が終わったと解釈した。
「叔父上」
正面の叔父を見、
「感謝する」
いつものように笑み、簡潔に礼を述べた。ドレイン公は分かったのなら何よりと聞こえそうに微笑んだ。
「さて」
では手始めに何をするべきか、ひとまず腕の中に収めて寝るか。
話を経て心持ちすっきりしたようなデューベルハイトは、少し前に戻ってきた腕の中の温もりと心地よい微睡みを思い出したがためにそう考えた。
出てきた部屋に戻り、触れ、浸り、寝る。
いや違う、とデューベルハイトは数日振りに戻ってくる快眠に傾倒しそうになる思考を自身で否定した。
するべき事が別にある、と。
たった今叔父との話により整理され理解できた感情は探り当てずとも消えず、そこにある。
「私が、あれを……」
掴んだばかりの感情を思い、今一度吟味。
その結果。
「それならば一生離さない最善の方法があるか」
――王は不穏に聞こえるそれを呟き、耳にした叔父は首を傾いだ