13 対面
フリッツがビアンカに会ってほしいという人物は彼の叔父、つまりは前の王の弟で、人間の大国を一つ任されている吸血鬼。
部屋にいてくれればいいとのことでソファーに座って待っていると、その吸血鬼は現れた。王と比べると長めの白金色の髪、吸血鬼の証である赤い瞳。会ってきた吸血鬼たちの中でどれほどか詳細は推測もできないけれど、歳を重ねている外見。
「きみがデュー、――陛下の連れてきた子か。はじめまして」
優しげな表情をしていた。
ビアンカはソファーから立ち上がり挨拶をする。
「は、はじめまして」
「早速だが、ちょっと失礼するよ」
挨拶もそこそこに、その吸血鬼はビアンカとの間に空いていた距離を初対面とは思えないほどに詰めてきた。伸ばされてきた手に髪をそっと避けられ覗き込まれ、ビアンカは息を潜める。
しかしその瞳とは目が合わず、吸血鬼はビアンカの首に視線を向けているようだ。
「これか。噛んだとは事実なのか?」
「見ての通り手当て後です」
「噛むとはまた、まさか吸血行動ではないだろう」
「違いますよ」
髪を避けていた手が引かれ、髪が首を覆い直す。
「詳しい話というものを聞こうか」
「はい。――お姫様、どうぞ座ってください」
フリッツから彼の叔父に会わせたい理由は話されず、促されたビアンカは名前を聞くことはできなかった吸血鬼――記憶を辿るにおそらくドレイン公と呼ばれる吸血鬼――が向かいのソファーに座ったあとに座り直した。
フリッツと話しはじめるような空気に、何だろうととりあえず流れを見ていると、向かいの吸血鬼に微笑まれる。
「実はこの前お姫様が第二騎士団長に拐われる事件があったんです」
「第二騎士団長……人間弱族視の連中か」
「はい。その際騎士団長はというと陛下が再起不能にしまして」
「そこまでしたのか?」
「はい。――怒っていらっしゃったように見えました」
「怒っていたか、あのデューがね」
フリッツと話しているのに、ドレイン公はビアンカを見ているので、ビアンカは微かに身動ぎする。
「それから執務室に連れて行きますます側に置くようになり今回はこれ、か」
「はい」
叔父上、とフリッツが呼びかけた。フリッツは今日は部屋に入ってきたときから、笑顔がなく真剣な顔つきだ。座ることなく立ってソファーの方を向いている彼は、固めの声音でもある。
「私は違和感を持っていたのにも関わらず陛下にはあり得ないと思い込んでしまっていたのかもしれません。しかし普通に当てはめると……普通より行き過ぎな感じは否めませんが、間違いないと思います。それに、」
「この子を連れて帰ってきた理由が『匂い』」
「そうです。叔父上は以前私に仰いましたよね」
「確かに」
ドレイン公の首肯。目を閉じてこれまでのやり取りを思い返して、噛み締めているように二度目の頷きは浅く。
「だがデューがそう思っている様子はないと」
「はい」
「今はデューはどんな様子なんだ?」
「仕事をなさっていますが……お姫様のところに来ないところを見ると表面には出ていませんが何か思うところがあるのかもしれません。何しろこのようなことになりましたから」
「……なるほど、無意識か」
「叔父上、陛下にそれとなく言ってくれませんか。これはまずいですよ」
フリッツの視線もちらとビアンカへ一瞬。
「陛下」との単語が頻繁に出てくることと、最初にビアンカを示す単語が出たこと、首の――昨日のことで手当てされた部分を見られたことでビアンカにも関係ある話だとは分かっていたが、進むにつれてビアンカには内容がわからなくなっていた。
それでもまだ王の名が出てくるだけでなく、ビアンカにも関係している模様。
「やっと確信しました。陛下の行動は独占欲の塊ですよ。行動を今思い出してみるともうそうとしか見えなくなりました。しかし独占欲の塊を越えて執着です執着、無意識だからこそ酷くなっているようにしか思えません」
「そうかもしれない」
「自覚してどうなるのか分かりませんがこれ以上悪くなることなんてありますか?」
「デューならばあるいは」
「そんなこと言わないでくださいよ」
本気で止めてほしい、と言いたげなフリッツの言い方。
「そうだけどね、残念ながら吸血鬼に好ましい対象を傷つける習性なんてないだろう? 個人的な性格だと考えるとそれは独占欲から来る行為だとしても、一種の愛情表現にもとることができるということだ」
「……叔父上はどちらの方が良いと思っていますか」
「言ってみなければ始まらないこともある。しかしフリッツ、一つ確かめておかなければならないことがある」
ドレイン公が首を傾け、確かにビアンカに意識を向けて口で描く弧を深めた。
「さてお姫様、ほったらかしにしてすまない」
「い、いえ」
「そういえばお名前は?」
「ビアンカ、です」
「ビアンカか良い名前だ」
吸血鬼は柔らかい笑みを溢した。
話を振られたビアンカはつっかえながら名乗って、姿勢を正す。
「ビアンカ、きみは何歳かな」
「十五歳です」
「人間としても若い方だね」
初対面において珍しくない当たり障りのない会話をはじめたドレイン公は、吸血鬼的な相づちを打ってから、なぜか少しその笑顔を薄くした。
「きみは祖国を帝国に攻められて、それからデューに連れて来られたそうだね」
「はい」
「ここの生活はどうかな」
「とても、良くしてもらっております。身の回りの全てのものにしても、皆様にしても……わたしの立場で良いのかというほどに」
「そこは気にすることはない。身の回りのものは帝国としても不自由させては名折れ、侍女たちは『お姫様』に仕えることを望み夢見ている者も少なくないのだが、吸血鬼の子どもはいないか夫婦に一人ということも珍しくない上に前の王の子どもは全員男子だった。純粋に嬉しいのだと思うね」
「そうなのでしょうか……?」
「ビアンカは心配性な性格なのだね。けれど、ここにいるのは嫌ではなさそうだ」
「……はい」
嫌ではない。むしろ温かくて好ましく思っている方。
ビアンカが祖国において誰か心の許せる人が一人でもいたならば、ここまで浸りきることはなかったかもしれない。でも現実は違って、祖国に深く根差したり心残りあるものはなく、気後れしながらもここから逃げ出したいとは思わない。
「それは何より。そもそもそれがなければどうにも困難だ。ビアンカにもデューにも」
ビアンカの返事を聞いたドレイン公は、祖国のことを持ち出すからか薄めていた笑顔を元のように深めた。
ビアンカにもデューベルハイトにもとは、どういうことだろう。質問されるままに受け答えしているビアンカは、ひとまずドレイン公の言葉を待つ。
「あとはきみの気持ちも大切だ」
「……わたしの気持ち、とはどういうことでしょう……?」
「そうだな、まずきみはデューに噛まれた」
「…………はい」
突然で、まともに事実を聞かされた。
口に出されると痛みの収まったはずの傷が再度痛むようで、記憶が甦りそうで身体が強ばる。
涙が止まるとともに収まっていたはずの感情も押し込めた箱から出てきてしまいそうで、強く拳を握る。熱くなりそうな目を堪え、声を絞り出して肯定した。
「デューのことを嫌いになってしまったかな」
「……嫌いに…………?」
ドレイン公は次に何を言うつもりかと思えば、そんなことを尋ねてきたのでビアンカは思わず反芻した。誰からも聞かれなかったことだ。
怒った様子だったデューベルハイトに気がつけば噛まれていた。王の唇も歯を染める色とビアンカの手を染めた鮮やかな色は同じ、ビアンカの血だった。
痛かった。怖かった。どうしてこんなことをするのかと思った。止めてほしいと。
もう、怖くなかったはずなのに。王はビアンカを傷つけないと思っていたのに。大丈夫だと、その直前まで思っていたのに。
「…………分かりません」
元々意図も少しとして図れなかった王のことが、それでも確かにあった安心感を含め、昨日あの短い間に覆されてしまった。分からなくなった。
「わたしは、」
デューベルハイトを怒らせたビアンカはどうなるのだろう。一体何が王を怒らせたのかさえも分からないのではどうしようもない。しかし王に尋ねるには今は到底一欠片も勇気が出てきそうにない。
声は途切れたきり、続ける言葉が見つからなかった。
「……なるほど。されたことを考えると当たり前だ。まったくすべてはデューのただ一つの行動のせいだと言えるかもしれないなこれは」
「叔父上」
「おそらく今のままでも自覚をしたとしても、デューの性格ではこの子を逃がさないだろうな。今も逃がそうとしていないようだ」
「やり方は変わるかもしれません。今のままではあまりに……」
「分かっているよ。できるだけ早いうちに様子を見て話してみよう」
「お願いします」
「それにしてもそういう方向に話題が皆無だと思っていれば、中々のややこしい性格を持っていたとはね。兄上に教えてやりたい」
今度は心置きなく会おうと、ドレイン公はビアンカに言って対面は終了した。
質問攻めにされていたビアンカは一体何だったのだろう、と中途半端に頭を出してきてしまった思考をもて余して、ソファーに座り直した。