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12 理由







 ビアンカが目覚めたときには、もう部屋に王はいなかった。


 無意識に一番に手で探り確かめたのは首。すでに首は手当てされており、仕上げに四角く切り取られた薄い布が貼られていたが、そこに傷があるのだと教えてくる疼きが一定のリズムを刻み、熱をもっているようだ。

 ソファーに腰かけたビアンカの目からは、ぽろぽろと涙が零れては伝い、落ちる。落ち続ける。

 ドレスにも落ちて色が変わったので慌てて手のひらで拭うが、すぐに濡れてしまって側にきた銀毛の狼にぺろぺろと舌で舐められ、身体が一瞬小さく跳ねてしまった。


 あれは現実だったのだ。夢だとしても嫌な夢ではあるが、現実だともっと悪く、傷があると分かる部分に手をさ迷わせ確認して数秒したときからずっと涙は止まらない。

 泣くほどに痛みが走っていることはない。だからこれは別の理由で流れていることになる。

 涙の理由とまとまらない思考を深く探ろうという気力は少しとして起こらなかった。それにも関わらず、可能なら何も考えたくないのに、ついさっきと思える記憶と衝撃は甦ってきそうで……。


「本当に申し訳ありません」


 座っているソファーの横でさげられた頭に、ビアンカは数拍反応がずれて、力なく首を横に振った。

 言葉と行動で謝ったフリッツは王の側近だから王について行かなければならないはずなのに、ここにいる。

 声を出さず俯き気味なビアンカを心配そうな顔つきで見ているのは何もフリッツだけではなく、部屋の外から中へ戻ってきた侍女たちも揃って心配そうに、それだけでなく戸惑った様子。


「お姫様、首は痛みませんか?」

「大丈夫、です」


 ハンカチを差し出してくれたアリスにそう返し、流れ続ける涙を押さえると、みるみるうちにハンカチが湿り濡れていく。


「……わたしは、デューさまを怒らせてしまったよう、です」


 王は怒っていた。


「外に出ては、いけなかったのでしょうか……」


 許可を伺うべき、だったのかもしれない。

 ずっと、ずっとずっと同じことを考え続けていた。現実でなければいいと思った出来事の最中も、現実から目を逸らしたい今も考えずにはいられない。王の様子が異なった理由、おそらく怒っていた理由、――牙を突き立てられた理由。

 途中からは言葉は耳を通りすぎていったような感覚で覚えておらず、事の発端は外に出たことだったと、記憶に引っかかって残っているから。


「そんなことはありません! ありませんよねフリッツ様!?」

「ないはずだけどね……」


 勢いよく同意を求めるアリスに対して、フリッツは確信がなさそうな声を出した。


「外出を禁じるのなら聞いているはずだけど、一言も聞いてない」

「それに陛下はどうして噛む、なんて陛下はまさかそのつもりでお姫様を連れていらっしゃったわけではないはずですよね……?」


 ビクリ、とビアンカは震えた。


 吸血鬼が血をコップから飲むだけなら鋭い歯はいらない。今は専用の道具で血を取り出し、保存容器に入れるなどした上で見た目にも飲み物と変わらない飲み方をしているようだが、大昔は動物に噛みつき直接吸っていたという。そのためにあの鋭い牙はあり、機能が備えられている。

 しかしだからといって「今」そんなことはないのだ。その、はず。

 彼らが、ワインを飲むように、必要なそれを飲むことを知っている。けれど人間の血を飲むことはないと、ビアンカは信じて信じきっていた。王の行為はそれが裏切られたようだった。


「お姫様、今聞きたくない話題だとは思いますが、陛下は血を吸おうとしたのではないと思います」


 考えたくもないことを否定され、俯いていたビアンカが少し顔を上げると、フリッツが膝をついて座っているビアンカに目線を合わせるようにしていた。

 けれどビアンカは目を伏せてしまう。


「で、すが……」

「……フリッツ様、私もそうは思いたくないですけど、お姫様は噛まれています」

「でもね、お姫様が気がつかれた時間から言ってたぶん血は吸っていないと思うんだよね。大体それだけはない、前提として共存している人間の血を飲むことさえないんだから」

「それはもちろんのことですが! 陛下の好みが牡鹿の血だということも知っていますよすごく美味しいことも――」

「ずれてるアリスずれてるよ」


 熱を込めて喋っていたアリスが遮られはっと口に手を当て、落ち着いて改めて話を元に戻す。


「つまり……牙を突き立てただけということですか?」

「うん」

「わざわざどうしてこんなことを」

「うん……陛下だからってあり得ないと判断していたのが悪かったんだろうなぁ……心当たりはないわけじゃないんだよ……」

「フリッツ様?」

「早めに相談しておくんだったなぁ……」

「フリッツ様、どこ見てるんですか!?」


 膝をついたままアリスに向けられているはずのフリッツの目がらしくなく虚ろに。アリスががたがたと肩を掴んで揺らすと、「大丈夫だよ」と笑った。


「お姫様」

「……はい」

「会って頂きたい方がいます」

「……?」


 唐突な話に思え、ビアンカは滲んだ視界でフリッツ見つめ返した。


「わたしに、ですか……?」

「はい。私の叔父です」

「フリッツさまの、叔父さま、ですか?」

「はい。今日、はもうお疲れでしょうから明日にでも。よろしいですか?」




 涙はどうにか、止めることができた。






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