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 歩いて来たのは、一人の男性だった。

 灯りを持って近づいてきたその人は、ぼんやりとした灯りがビアンカたちのところまで届くというときになって、はじめてこちらに気がついたみたいに驚いていた。


 ビアンカはアリスの後ろからその男性の目を反射的に見て、危うく見過ごしそうになった。小さな火の映り込む目の色は、ぱっと見ただけではややこしかったのだ。


 赤い色以外の瞳を、とても久しぶりに見た。


「お姫様?」


 ビアンカは思わずアリスの後ろから前へ出て、自分の目で認識したものを確かめた。

 吸血鬼ではない。

 人間だった。



 あちらもおや? という表情をしたように思えた。ビアンカが人間であり、しかし吸血鬼と共にいることを怪訝に思ったとも思われる。

 城は吸血鬼だらけで、どこかからの国の使者が来たとしても人間の令嬢の類が来ることはないのだ。それなのにビアンカは見た目でもそんなふうに見えるドレス姿で、人間の供をつけているのではなく吸血鬼に寄り添われている。


「人間……の、方?」


 こんな呟きが聞こえた。

 吸血鬼に囲まれていて麻痺していたのだろうが、たぶん慣れたと思った環境が影響して、人間だと分かっただけなのにビアンカには無条件に親近感めいたものが湧いていた。

 互いにしげしげと相手を見つめている状態。


「失礼ですが、城にはどのような用向きでいらっしゃった方ですか」


 アリスが尋ねたことで、男性の視線はビアンカからはっとしたようにずれて、慌てて姿勢を正し居ずまいを正した。


「これは失礼を。私はランガルドから使者として参った者で、先ほど王との謁見を終えた後です」


 帝国の統治下にある人間の国からやって来た使者で、先ほど謁見を終えたあと。

 フリッツが人間の国を治めている吸血鬼が帰ってきたと言っていたこともあるが、今の時期は他の国からの定期の何かがあるのだろうか。だから王は忙しいのかもしれない。

 きっちりと怪しい者ではないことを示した男性は、一転して少し恥ずかしそうに頭をかいて、気まずそうにこう付け加える。


「しかし先ほどといえどお恥ずかしながら迷ってしまいまして……どうせならのんびり歩いて陽を眺めておきたくなりましたところです」

「お日さまを、ですか」


 ビアンカはその言葉に空を見るが、薄明かるくもなってきていない。時刻としては夕方頃、この国は普通の土地とは朝昼と夜の時間が逆転していることから……まだ数時間は先ではないのだろうか。時期によって異なるかは知らないけれど。

 するとアリスが指摘する。


「太陽はまだ何時間もあとですよ?」

「そんなに後ですか?」

「ええ」

「それは知りませんでした。漠然と夜が長く陽は辛うじて昇るとだけ聞いていただけなものですから……お恥ずかしい」


 ビアンカもこの国に来てから吸血鬼たちと同じ時間の過ごし方できているので、寝ているときに出ているはずの太陽を拝めたことはない。

 祖国から出て帝国に来てからは一度も見ていないとなると、なんだか太陽が恋しくなってくるような……。


「失礼ですが、あなたは人間ですよね」

「はい」


 改めて見上げ合わせた男性は、濃い茶の髪と同じ色の瞳を持っていた。ビアンカは必要以上に見つめてしまう。

 帝国に来てからはずっと赤い瞳しか見てこなかったからと思われる。懐かしい、というべきか。


「もしかしてあなたは……どこかの国から送られてきた姫君なのですか?」


 前に、帝国には周辺諸国だけでなく、遠方の国々から帝国との関係が円滑になるようにと妃候補としてだったり人質目的で姫君が送られてくると聞いた。

 今のビアンカはそう見えるのか。


「いいえ、違います」

「違うのですか? ではなぜ人間であるあなたはここに?」

「これには色々と事情がありまして……」


 どう言ったものか。

 根本からして、送られてきたのではなく連れて来られたのである。どうして連れて来られたのかというと、どうも狼と同じ感覚で連れて来られたようで今となってはビアンカもあぁ……といった風になっているものの……。ビアンカは内心うんうん唸る。

 そのままに言うにしても、狼と同じ感覚だと自分で言うのは何だか……虚しい。


「大丈夫ですか?」

「……え?」


 考え込んでいるとそう尋ねられて、ビアンカは俯けかけていたらしい顔を上げた。出会ったばかりの男性が心配そうな顔つきをして、こちらを窺っているではないか。


「あなたがここにいることには何か理由はあるのでしょうが、話し難いことのようですね」


 ちら、と茶色の瞳が見た方にはアリスが立っているはず。アリスは怪しい者ではないと判断したからか、側にだけ立ち待っていた。

 アリスに目をやった理由はきっと、人間であるビアンカが吸血鬼を伴っている形でいるからだ。


「す、すみません」

「謝らないでください。……あなたは私の妹と歳が同じくらいに見えて、つい心配になってしまったものですから……」

「妹さんがいらっしゃるのですか」

「ええ。私の妹は三年ほど前に帝国に送られると決まったことがあるのです」

「帝国に……?」

「はい……大きな声では言えませんが帝国に突っぱねられて安心したという結果なのです」


 男性は声を潜めて力なく微笑んだ。


「そのとき感じたことを思い出しましたよ。ここでまさか人間の姫君に会うとは思ってもみなかった……」

「わたしも、人間の方にお会いできるとは思いませんでした」


 つられて本音を溢せば、男性が眉を怪訝そうに寄せた。


「側仕えはいないのですか」


 おそらく人間の、ということだろう。

 突然聞かれたことにビアンカは返答に詰まる。人間だ、と身を乗り出してしまったけれど、進む先々ですんなり会話できないもので後悔しつつあった。

 元から初対面の人とそこまで話せる性格ではなかったことを思い出しても、もう遅い。


「あなたはひどい扱いをされているのではないですか?」


 ビアンカが何も答えられずにいると、次に言われたことにビアンカは戸惑う。どうしてこの男性は、こんなに険しい顔をしているのだろう。

 ひどい扱いとはとっさには心当たりがないので、より戸惑う。


「……なぜ、そう思うのですか?」

「吸血鬼はその力で人間の国を侵略し、吸血鬼の王は人間に容赦をしません」


 吸血鬼が治めるこの帝国が周辺諸国を制圧していることは事実。王が容赦ないことも。

 けれどビアンカの国が進軍に遭ったのは、祖国が帝国へ歯向かう計画を立てており、容赦ない断罪がされたのも計画発案した、から。


「顔色が悪く見えます」


 手が伸ばされて「大丈夫ですか?」と羽が触れるみたいに触れられ、ピクと反応してしまうが踏み留まる。


「この国は人間には向かないと聞くのに心細いことでしょう……」


 紛れもなくこの人はら見知らぬビアンカを案じてくれている表情と、瞳をしている。けれどさきほどから、この人とビアンカの話はずれてきている気がしてならない。


「吸血鬼は人間とは明らかに異なる存在ですから恐ろしいこともあるのでは?」

「……い、いいえ」

「吸血鬼は血を飲み、人間の血でも構わず飲むとか」

「そんなことは――」


 ランガルドから来たと、この男性は言った。

 地図でしか名前しか知らない、帝国からは近いとは言えずビアンカの祖国ほどではないが遠い地の国。ビアンカの祖国でも吸血鬼の情報が錯綜していたみたいに、帝国から近くない国には吸血鬼という存在の情報が正しく回っていないと予想される。

 ビアンカも、吸血鬼という存在の正しい情報を聞かなければ鵜呑みにしていた、「吸血鬼」。見た目さえも人とは似ても似つかない形をしているに違いない、と。


 この男性が来たというランガルドは帝国の統治下に入ってどれほどで、この人はどれくらい吸血鬼に接したことがあるのだろう。

 統治下にされた側としての偏見も、入っているのかもしれない。確かに吸血鬼には人間を良く思わない層がいるようで、あながち間違いとは言えないことは、ここで暮らしてしばらくのビアンカは身をもって感じていた。


 でもビアンカの近くにいる吸血鬼たちは優しい。アリスだって、最初に怪しい人かどうかを確認しただけであって、そこからは人間であることは構わず男性と言葉を交わしたはずではないか。今だって側でじっと黙している。そっちの方がビアンカには気になる。

 それに。


 ビアンカは気遣う手つきそのものの手から、身体ごと後ろに下がり、離れた。首をかしげる男性に向かって首を横に振り、しっかり言葉を発する。


「わたしは、大丈夫です」


 この男性が、初対面とは思えないくらいに気の毒そうに心配してくれていることが不思議でたまらないが、それはおそらくさっき聞いたばかりの彼の妹がこの帝国に来たとすればと考えているから、ビアンカに重ねているのだろう。


「わたしは酷い目に遭っては、」


 いないわけではない。この間、始終意識が朦朧としていたにしろ、そういう類いのことに遭ったばかりだ。

 同じくして、人間にわけ隔てなく接してくれる吸血鬼ばかりではないのだとも身をもって知った。


「いません」


 それでもこう言うことを選んだ。

 男性の言はビアンカには全てを否定する知識はないが、確かにその反対の事の方が多いから。

 ビアンカはもう一歩下がり、男性から離れる。


「それどころか良い扱いをしていただいています」


 帝国に来て人間を見ることもなくなった生活の中で、今日、この男性に会ったことで分かったことがある。

 人間だって吸血鬼だって個々によるものなのだ。

 人間だからといって、無条件でビアンカに良い対象ではないことを、思い出した。

 同時に誤解を解かなければと思う。ビアンカがふいを突かれて、さきほど否定できるのに否定できなかったことを。

 恐ろしいと感じる吸血鬼もいた。けれど。


「それに人間の血を飲むことはありません。確かに異なるところはたくさんあり、わたしも実際に見て感じることも、あります」


 ビアンカは懸命に目を逸らさずに、否定できることをしていく。口にしたことは事実だから。


「ランガルドの使者さま、吸血鬼の皆さまはわたしにとっては、温かい方に思えるのです」


 かつてビアンカに、噂とはまったく異なる吸血鬼の姿を教えてくれた人間のように。

 ビアンカ自身を気の毒がっているよりは、吸血鬼の城にただ一人いる人間を気の毒がっている男性をじっと窺う。

 使者は途中から戸惑うばかりだったビアンカが否定する形で話したことで、すぐに何か言うことはなく、動作が止まっていた。


 ビアンカの言葉を吟味しているのだろうか。

 しばらくして、使者はこう言った。


「――それは、失礼いたしました」


 表向きかもしれないけれど、謝罪。


「どうも姫君は恐れを抱いていない様子です。顔色は私のせいでしたか?」

「い、いえ、そんなことは……」

「私が何も深くは知らない存在に怯えているのかもしれません」

「それは……」

「残念ながら私の認識は簡単には変えられないでしょうが、姫君の言葉を疑っているわけではありません。急に強い目になっておられましたから」

「……そうですか?」


 溝は急には埋められないものだ。


「ええ。どのみちこれから知っていくことになるでしょう」


 諦めが混じったような自嘲の笑みをした男性の視線が高く、ビアンカから逸れる。


「そちらの吸血鬼殿にも失礼なことをいたしました」

「いいえお気になされず。それよりもあなたがこれ以上お姫様の顔を曇らせた場合について考えていました」

「それは……申し訳ない」


 使者の視線を追って見上げたアリスは、いつもより温かみの冷めた声を出してふん、といった様子。

 ビアンカには今までの会話が過り、一抹の不安が起こるが、


「ではお姫様のお身体が冷えてはいけませんから、失礼いたします」

「これは気がつかずに、私はお恥ずかしいことばかりですね。……姫君、私はあと十日ほど首都におり城にも度々来ます。またお会いできるといいですね」

「は、はい」


 この人は悪い人ではないのだろう、と思った。これから今まで吸血鬼と関わっていなかった国の人間の悪い認識が変わっていく、のか。そうなればいいと思う。おそらく払拭されなかった例が、いつか耳にした人間の反発に移り帝国が制圧する流れになってしまうと、思うから。


 使者が持っていた灯りがなくなって、再び暗闇に包まれた道を歩きながらアリスを窺うと、にこりと笑顔を向けられたのでビアンカはほっとする。銀毛の狼もどことなく澄ました様子で歩いていた。


 宵が満ちるこの国は、人間には寒くて陽の光がなくて、人間とは異なる面をいくつも持つ吸血鬼という存在が治める国だけれど、ビアンカにとっては温かい。







本日もう一度更新を予定しています。

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