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5 お風呂事件再び




 またどうしてこのようなことになったのか、ほとほと見当がつかない。ビアンカはお風呂でだらけていただけなのに、それが良くなかったというのか。

 火照る身体を抱えてソファーに座りながら、思う。





 事の始まりは、数十分ほど前に遡る。

 洗い終えた長い髪が垂れないように頭上でクルリと一つにまとめ、満を持してお湯に身体を滑り込ませると、身体が温まり自然と力が抜けるものだ。

 少なくともビアンカが起きているときは夜が続き、陽が当たらないからかこの国は寒め――しかし吸血鬼はそうでもない模様、そこから作りが違うのだろうか……――で、どうやってもわずかな寒さは感じてしまうもの。

 お湯の温度の感覚も違って熱湯ではなくて良かったと、今さらに思う。


 などと目を閉じてへにゃりとしていたら、気がついたときにはもう遅く、気配もなく音もなくそこに誰かが立っていた。

 近くに何かがいるような気がすると、怪談めいた予感に目を開けるより先に、頭に触れられた。

 頭にこんな風に触れられることはそうなく、また撫でられたことは幼少期の記憶を含めても少なく、歳を重ね祖国を離れておればなおさら。ビアンカを撫でる人なんて……。

 この触れられ方を知っている。


「……ぇ」


 すぐそこに居すぎて、呆気にとられた。デューベルハイトが、手を伸ばしそこにいたから。

 ぽかんとおそらく間抜けた顔で王を見上げていたビアンカは、一瞬場所を忘れた。

 はて、ここはどこだったろう。

 自らの中で、そこから確認をし始める。別に部屋であれば、王がいることは気配なく近づかれると驚くも、おかしなことではない。


 ただ困ったことに、目の前の王はぽかんと見る顔の他、視界の端に映る身体の肌の面積が広い。

 それはそうだ。ここは身体を洗い清める場所で、ビアンカだって、お湯の中でゆらゆら揺らめき身体にまとわりつく薄い薄い衣をまとっているだけ。とてもではないが、人に見せられる格好では、ない。

 ビアンカが我に返って後退り、お湯が波を立てた。


「ど、どどどうしてここに…………?」


 そんな言葉が上ってきた。向けている人物が人物なのでどうかと思うも、言ってしまった。

 距離が開いた前にいる王は何も気にした様子はなく、お湯の中に入ってきて、ビアンカはまた少し後ろへ下がる。


「お前はどこだと聞くとここだというから来たまでだ」


 探されていたというのか。

 ジリジリと、というよりは、お湯の中でゆるゆると後退を続けずにはいられないビアンカは、遅れて思考が混乱しはじめてきたところだった。


 だからといってついでに入ろうとの思考はどうなのだろうか。効率的、いやいや外で待って……もらうのはおかしいので、呼んでもらえれば大急ぎで出たのにこんなことにまたなるなんて。とりあえずここはビアンカが出れば王は一人で入れる、しかしそうだビアンカを探しに来たのだったかではどうすれば。

 ここでの『狼枠』扱いはさすがにビアンカの女子としての何かが崩れる一方で、全力でお断りしたく、今すぐにでも上がりたいのに、答えが出ないうちに腕に捕まえられていた。

 何事。


 前にもこんなことがあったような。しかし前とは違い、気絶せず、あろうことかお湯の中で引き寄せられるではないか。

 気絶することができたらどんなにいいか。為す術なく抱き抱えられたのは慣れた動作で同じ位置には変わりないが……すぐにいつもは衣服で隠されている部分の肌と触れあう。

 お湯が間に入り込むことで生々しさが和らいでいることがせめてもの救いか、こんな状態の時点で救いにもなりやしないか。

 しくしくと、心の中で羞恥を飛び越え泣きたくなる。


「あ、あのわ、わたしは上がろうと思うのですが…………」


 ビアンカの声が消え入ると、ぴちょん、と音がするのみで王は何も言わず静寂に生まれ変わった。離されることもない。


(……どうすればいいのですか……)


 気まずい空間に早変わりしたではないかこれは。

 身体をカチコチに固まらせるビアンカはどうにかして密着する身体を離したい気持ちに駆られてたまらないが、そもそも腰に絡まる腕がとれそうになくて、固まっているしかない。

 ひたすらじっと。ぴちょん、と、どこかで滴が落ちる音がなくなるとビアンカはまだしも王も身動きしないもので、他には誰もおらず時が止まったような静けさとなる。


 そんな風な周りとは裏腹に、ビアンカの心臓はどきどきして、身体が火でも灯っているみたいに熱いのはきっとお風呂のせい……とは言えず、この状況が働いていることは間違いなし。

 ここのところとある条件下においてのみ抱えているものより大きな鼓動を感じて、心臓が高く鳴る音が聞こえてきそうで、そちらも気になって仕方がない。

 お湯の中で薄い衣が肌の周りで揺らめく動きに敏感になり、すぐ近くにいる王の視線を感じて、頭が爆発してしまいそう。

 胸はばくばくして落ち着かず、顔も頭も熱くて熱くて。目は一生懸命に何もないお湯の中を見ているけれど、何もないからこそ気が紛れることもあり得ない。


(……ゆっくり入っていた罰でしょうか……)


 冷ますどころかお湯で熱されていくばかりの身体をもて余して、ビアンカは途方に暮れた。唯一の現実逃避の手段でもある。少しでも現実から、すべての感覚を鈍らせたくて、お湯に視線は注げどもどこか遠くに思いを馳せるように集中する。

 が、ちゃぷ、とふいに微かな水音。


「……ひっ」


 髪をまとめているので、露な首筋に触れたもの有り。

 ビクリと全身を反応させたのち、元のように身体の動きを固めても首に触れているものはまだあって、まさかとおそるおそる王の方を窺うと、王がその手をビアンカに伸ばしていた。どうしてか、慌てて目を逸らす。


 しかし、這う指の動きがまるで生き物みたいでくすぐったく、また一度ビクッと身体が震える。

 全ての感覚が首に、指が触れている点に移動してしまったと思えるほどに、微かな動きにビアンカは震えそうになる。こうして誰にも触れられたことのない箇所の肌に触れられているからだろうか、頬もますます熱くなるような。

 同時に、その場所に王の視線を今度こそ確かに感じるような気がして身動ぎしたくなるけれど、ほんの少しだけ動いた途端に肌が直接触れている部分が擦れ合って恥ずかしい。


(ううぅ……)


 さらに首を丹念に触れ尽くすように動いた指は背に移動しているように感じるのは、ずっと尖り過ぎている神経の勘違いか。

 では、ない。


「あああああの、……!」


 勇気を振り絞りまともに思考できない中発することができただろう声は、用件にたどり着く前に喉の奥へ引っ込んだ。

 背に移ろうとしていたらしき手が急にスルリと背を撫で下ろし、腰に。だが、ビアンカ自身はそちらどころではなかった。

 王の顔がこれまた急に近づいてきて、綺麗すぎる顔自体は視界から消えるも頬同士が一瞬触れ合い、肩と首筋の間にその顔が沈んだ。


「あ、あの……?」

「何だ」


 その状態で口を開かないでほしい。

 今度はそこに神経が集中したみたいで、口が開いたタイミングも出た微々たる息も直接分かって、ビアンカは話しかけることを即座に止めた。心臓が破裂するかもしれない。

 消えそうな声で「何でもありません……」と言ったっきり、ビアンカは口を閉じた。待っていれば時は過ぎる。


 幸いなのかどうか、王はそれ以上は動かなかった。ビアンカは色々な要素が積み上がった結果のぼせた。








 お風呂から上がり部屋に戻っても、ビアンカは少しふらふらしていた。完全にのぼせて、ぼんやりする頭で鏡を見たときには真っ赤で目を疑った。こんなに赤くなるものなのか。

 身体的にも頭的にもふらふらしながらソファーにいながらどうしてこのようなことに、と考えても、答えの出ないことをぼんやりぼんやりと朧気に何度も考える。お風呂におちおち入っていられなくなるかもしれない。

 あとから思い出すと恥ずかしくて、寝衣を着た今でも身体を自分の腕でぎゅっとして隅っこに隠れてしまいたい。


 しかし王はそんなことお構い無しである。普通に寝る時間にやって来て、身体が冷めたビアンカをいつものように拐っていく。


 大抵のときはまさに抱き枕の感じで抱き締められるだけなのだが、今日はお風呂でされたときのように顔が寄せられて、心臓がいつもより盛大に跳ねた。


 しばらくすると、顔のすぐ近くに顔があるわけで王の寝息が感じられる。寝た、ようだ。

 さて、ビアンカは寝られるだろうか。

 実はビアンカは、助けてもらった日にいつの間にか寝て起きていて、その日からこの腕の中ででも寝られるようになっていた。一度寝てしまえばこっちのものだったのかもしれない。人とは、どんなものにも慣れるものなのだと思った。


 ただ、跳ねて今も早鐘を打ち続ける心臓が落ち着かないことには寝られないだろう。まずはこの意のままにならない心臓を静めなければ、と思うけれど、深呼吸などをするわけにもいかず、収まっていくか眠気が勝るかを待つしかない。

 王が側にいるときに大きくなる鼓動は新たな睡眠障害にもなりつつあった。けれども寝るときはこうなのでどうしようもないことも事実であった。


 本当にどうしたことだろうか。





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