3 王族事情
部屋の中にはビアンカとフリッツ以外にも侍女たちがいるが、ビアンカが王の膝に乗せられているときは、ちらと窺ってみても彼女たちは決まって微笑んで見守るような形をとっている。
だから王が去ったあとを見計らって、先程まで一定距離近づかなかったところ、準備よく紅茶を淹れ直し運んできてくれる。
「フリッツ様もよろしければ」
「ありがとう。せっかくだからもらっていこうかな、陛下は気にしないだろうし」
フリッツが長椅子のもう片方――ビアンカの向かい側――に腰を下ろした。
「今、他の国を任されている吸血鬼が着いたところなんですよ」
「そうなのですか」
さっき王を呼びにきたフリッツは自分で言うとおり急がない様子で、ゆっくり雑談まで始めた。
帝国は国境を接する国々だけではなく、その向こうにある国々までをもその統治下に置いている。そのために帝国から吸血鬼を派遣しているようで、
「ドレイン公と仰る方で、この城に滞在されている間にお姫様も会うかもしれませんね」
「わたしが、ですか?」
「はい。興味を持たれることでしょう」
吸血鬼の城に、人間がいるからだろうか。
怖い方でなければいいなとビアンカが思うのは贅沢だろうか。
「どのようなお方なのですか?」
「人柄としては、うーん……気持ちのいい性格でもあり優しい方でもありますけどねー。あ、怖い方ではないので安心してください」
あ、と気づいた風な声を出したあとにつけ加えられたことにより、ビアンカは見透かされたと決まり悪くなる。
「ドレイン公は前の王の弟で臣下に下られた方なんです」
前の王の弟。つまり今の王の、
「つまり陛下の叔父にあたる方ですね。あ、私の叔父でもありますけど」
「デューさまとフリッツさまの叔父さまなのですか」
デューベルハイトの叔父になる。それだけでなくどうもフリッツの叔父でもあるようだ。
どのような吸血鬼なのだろう、と想像してみる。あの王とフリッツの叔父、両人とも常時口に笑みがあるとはいえ種類が正反対な印象を受け………………ん?
(デューさまとフリッツさまの叔父さま?)
いやに引っ掛かりを覚えた。
前の王の弟で、デューベルハイトとフリッツの叔父。フリッツが王の妃の実家の兄弟の子どもだと仮定して、果たして伯母の夫方の兄弟まで叔父と呼ぶだろうか。
違う。
ビアンカは紅茶に口をつけかけた動作をハタ、と止めてフリッツを窺う。
「デューさまのご両親とフリッツさまのご両親の、ご兄弟でいらっしゃる方ということですよね……?」
「はい」
そうですよ? とフリッツは不思議そうに紅茶をのんびりと飲むものだから、ビアンカは未だに頭の中で系図を下手に絡ませて、ティーカップの中の紅茶の水面を見つめて考える。
「おかしな聞き方をしますねーお姫様。私の親も陛下の親も一緒なのに」
「…………え」
フリッツはおかしそうな笑顔になって、小皿に綺麗に盛りつけられたお菓子に手を伸ばし、口に放り込む。ガリ、と鋭い歯がお菓子を噛み砕いた音がして、そんなに固いお菓子なのかとビアンカは怖い。ビアンカの歯なら砕けるまでいかなくとも欠けてしまうのでは……ではなく。
「一緒の、ご両親、ですか……?」
「はい。兄弟ですからねー」
キョウダイ。
ビアンカは面食らった。けれど頭の中で絡ませていた系図が途端に簡単になる。デューベルハイトとフリッツは兄弟で両方前の王の子ども、ということは前の王の弟は二人の叔父。当たり前だ。
しかし。
兄弟。
ビアンカが呆けたままフリッツを見ていると、視線に気がついたフリッツが何ですか? と聞こえそうな様子で首を傾げた。
それから何かに気がついた顔になり、「――あぁ」と言ってビアンカに微笑む。
「言ってませんでしたね。そうですよね、お姫様はこの国の人ではなかったのに言わないと分かるはずもないです。私は陛下の弟なんですよ、けっこう――人間の方で言う兄弟と比べると余程歳は離れていますけどね」
「……弟君、ですか」
「何十年前でしょうかねー、それまではフリッツ・ブルディオグと名乗る立場にはありました」
ブルディオグ帝国、国の名を冠する名字を持つのは王族のみ。臣下に下りた者は新たな姓を与えられる。
フリッツは王の側近である。
「お、王子さまでいらっしゃったのですか……?」
「以前は。今はしがない臣下ですよ?」
似ていない云々は言い出したらキリがないだろうが、言われてみると髪色は似通う、かもしれない。王は白金色、フリッツは金色。
それくらいだ。ビアンカが初めの頃にフリッツの雰囲気は柔らかくて早めに慣れていったのに対し、王の雰囲気は近寄りがたかったことからもまるで分からない。よくよく見ると、顔立ちが似ていたりするのだろうか。
「見た目では分からないものなんでしょうね、似ているとはそうそう言われたことはありませんから、確かに。似ていないと面と向かって言われたことは……あるようなないような。ということは似ていないんですね。私自身も知っていますけど」
同じ両親と言ったので腹違いでもない。極端に父親似と母親似で別れたのだろうかと思ってしまうほどだ。
ビアンカの中の、まさかの情報による動揺みたいな違う何かのようなそれはまだ少しざわついている。
城に来たばかりでおまけに王族に会う立場でもないので、王の他にもいらっしゃるのかなくらいにしか思っていなかったのだが、こんなに近くにいたとは。
「いやあでも一家族の中で三兄弟生まれるというのは出生率の極端に低い吸血鬼では中々珍しいものでしたけどね」
「……もうお一方いらっしゃるのですか?」
「いました」
実は会っていたパターンはもう心臓に悪いとまずはそこから尋ねると、紅茶に口をつける前にフリッツが答えてくれた。
いました?
「もう生きていませんよ。陛下にとっては弟にあたり私にとっては兄にあたっていたんですけどその兄とも……似ていたと言われた記憶は、ないですね」
ないのか。
それよりもあちらから話題を出されたとはいえ、聞き返してはいけないところをつついたのではないかこれは。
しかしフリッツは意外とけろりとしている。
「ここだけの話ですけどね、あ、間違えました嘘です皆知っているので。あまり大きな声では語れないことなんですけどね、です。まあ語ろうとしないだけで語ることを禁じられた話でもないですし、禁じる立場にありそうな陛下はそんなこと気にも留めませんから」
「そんな物騒なお話なのですか……?」
不穏な空気を感じたのでそれならば辞退したいと探ると、「いいえーありふれたお話ですよ」と言われた。失礼ながら胡散臭いと思ったが、フリッツは気にした様子なく話はじめてしまう。
「三兄弟と言った通り私の兄は今の陛下ともう一人いたんですけど、その今は亡き兄が王位第一継承権を持つ陛下を引きずり下ろそうとしたときがありまして。自分が一番になりたいとかどうせなら王になりたいとかいう欲求は王の男子に生まれればある方にはあるものなんでしょうね。特に二番だったら何だか惜しいじゃないですかたぶん。
そう思ったかどうかは知りませんけど、その兄は今の陛下を引きずり下ろす計画をしていたようなんですけど、結果失敗に終わって、失敗すれば当然起こしたことが起こしたことですからこの世からいなくなったんです」
ぺらぺらぺらと淀みなく語られたのは、王位継承争いの始まりと結末だった。あまりに軽く話されたので、ビアンカはどう反応していいのか分からない。
兄弟関係は希薄だったのだろうか。王とフリッツを見ていても、彼らが兄弟だとは少しとして気がつかなかった様子に見えることからも、思う。
「陛下はまあ容赦ない捩じ伏せ方でしたよ。捩じ伏せた力こそどちらが王に相応しいかの証だったりするんですけどね。吸血鬼は貴い者がより血が濃く強いものですから、その血が残る方がよっぽどいいでしょう?」
吸血鬼特有の血にまつわるその辺りの考え方はよく分からないけれど、普通の国にしても争いが起こり王位継承者が変わってしまうことはあると聞く。
ビアンカは、祖国ではその歯牙にもかからない存在だった。
「それで私はというと生まれたときから陛下をずっと見ていて敵うなんて思ったことありませんから。愚かな兄が一人いたことで、兄一派粛清のあとこれは誤解されて取り返しのつかないことになりかねないと思いましてね、いっそ臣下に下らせてもらいました。こういうことは複数の子どもがいる折の王位交代の際には珍しくないようで――血が流れる兄弟争いの方ではないですよ。まあそれも珍しくないかもしれませんけど、臣下に下る方です」
話が、三人目の兄弟の存在に至る前の話に戻ってきた。このような過程があり、フリッツは臣下になったらしい。
「そ、そうなのですね」
あとデューベルハイトがすごいらしいということも分かった。容赦がなかったことも。当時はどのようなものだったのだろう。やはり容赦ないところには容赦がないのだな、とビアンカの方は思わず気をつけようと思ってしまった。
「その死んだ兄というのも陛下と血筋は同じのはずである意味保証済みでしたから、もう少し頑張れば陛下に勝てたんじゃないですかね。でもそうなっていたときは弟である私を殺してもおかしくはなかったでしょうね。でも陛下に勝つのはどうせなかったかなー。
と、いうことでそんな私と陛下の叔父は今帝国の次に大きい人間の国で統治の責任者をやっていましてね。その国の王族はもういないので実質王様業をやっているのですが、その業務によりどれくらいぶりになりますか帝国に一時戻っていらっしゃったのです」
最初に話が戻ってきた。
しかしながら、ごく短い時間に濃い話と情報がぺらぺらと話されて、ビアンカの頭は現在色々処理待ちだ。
「……フリッツさまは、元王子さまだったのですね……」
「あはは最終的にそこですか」
頭の中の状態により、間の抜けたずれたことを言ってしまった。
とりあえず、軽く話された重い話は頭の隅っこに押し込んでおこうと思うのだ。
それから、彼らの叔父であるという吸血鬼はおそらくどこか必ず優しい面は必ずあるのだろう、と王とフリッツを思い浮かべて判断しておいた。
ところでフリッツはここにいても良いのだろうか。
話を一通り聞いておいて、こちらも戻ってきた疑問を抱いたビアンカだったが、近くに歩いてきた銀毛の狼がティーカップの中に鼻を突っ込みそうになり慌てることになった。それはきっと狼の舌には合わない。