26 腕の中を知る
いついても暗い寝室。
今どれくらいの時刻なのだろうか。ビアンカは廊下を歩いてきたのに、俯いて歩いていたので、窓の外の暗さの記憶がない。
王は今日は忙しくて来ないとビアンカは言われなかっただろうか。そもそも今日、ではないのかもしれないのか。どれくらいの時を、あの真っ暗な場所に閉じ込められ動けずにいたのだろうか。
ベッドの上に下ろされ柔らかく身体が沈む。下ろされたときに、ぽた、と涙が落ちたが先は追えなかった。
後からベッドに王が上がり、また沈む。今日はすぐには引き寄せられ倒されなかった。視線を感じる。
暗い中で、まだ目が慣れていないから見えるはずのない赤色の瞳が見える気がした。
「あ、の」
ビアンカは助けてくれた王の姿を声を覚えているが、直接来たことが気になっていた。
「お手間をおかけして、申し訳ありませんでした」
「黙れ」
「…………ぇ」
「誰が謝れと言った」
即座に拒否をされ、ビアンカは気分を害したと感じ口をつぐむ。先にお礼を言えば良かった。
悲しみに似た、胸が少し痛む感情が生まれて、元々涙のせいで熱を持っていた目がじんわりとより熱くなった。
声を出せなくなったので、今さらみっともない顔をどうにかしようと思った。王にはきっとビアンカのみっともない泣き顔が見えている。
しかし、ビアンカの手が頬に触れるより早く頬に触れた手があった。
ビアンカよりも大きな手。驚いてビクリと小さく一度震えたビアンカは、上げかけていた手を中途半端な位置で止める。
そうしている間に頬を滑る指が手当てされた布にたどり着き、剥がす。覆われていた部分が空気に触れて、直後にビアンカのものではない指が擦り傷をこすり、じりじりとした痛みが走った。
元から涙は流れっぱなしなので、痛みによって新たに滲んだかどうかの判別は不可能。流れ続けている涙は王の指を濡らす。
「痛いか」
「……は、い」
「人間は弱いな」
「……すみません」
「自分の身が守れないのなら不注意に出歩くな」
「すみません……」
「勝手に傷つけられるな」
また一度ビアンカは謝る。
やはりビアンカは王に余計な手間をかけさせてしまったのだ。それで王の機嫌は悪いのだ。
これまではそんなことはなかっただけに、自責の念に駆られる。だから目は熱くなる一方なのだろう。
「お前が傷つくことは気にくわない」
寝ているときに抱き締められるように、腕が背の後ろに回り、身体が前に傾き固い何かに手をつく。
王の顔がすぐそこ、触れそうなくらい近くに――否、触れた。
これまでにないほどびっくりしたビアンカはとっさに身を退こうとしたが、逃がすことを許さない力が頭の裏に回って熱い呼気を感じた。
それよりも熱い湿った何かが目の下を――
「……!」
涙を舐めとられた。
ビアンカは目を見開くとほぼ同時にベッドに倒された。頭を抱え込まれて顔が胸板と距離がゼロになり、ずっと奥で刻まれる自分のものではない鼓動が聞こえた。
その体温がお湯よりもビアンカを温かく包んでくれていると感じるのはなぜだろうか。ビアンカもこれに慣れてしまったから、だろうか。
「お前は私のものだ」
ビアンカはこの王に連れて来られてきたから。それで生きていて、周りの温かさをこれまでになく感じられているから。
「私から離れるな」
その声が紡ぎ孕んだ言葉と拒否することは許さないとばかりに込められる力に、ビアンカは王の服を指先だけで握った。
この吸血鬼は助けてくれ、腕の中は安心できるのだとひしひしと感じた。
自らが連れ帰ってきた人間を抱き締めた王は、赤い瞳を閉じて少女の首筋に顔を埋めた。さながら取り戻した存在を感じるかのように。
――吸血鬼の王はまだ、その感情が何たるかを知らない。
一章終了。明日から二章に入ります。




