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2 侵略



 夜になりそろそろ食事、といった時刻に事は起きた。


 王女たちの部屋が集まる城のある階。

 ビアンカは日中でも日の当たらない隅っこにある小さな部屋で、椅子に腰かけ本を読んでいた……ところだったのに、突然侍女と思われる女性の悲鳴が響き耳につんざいた。

 とっさに本から上げた淡い青の瞳を、驚きから丸くする。


 食器類、割れ物が割れた音がしたわけでもなく、前触れがなかった中見えない場所で発された声は、恐怖に満ちていると直感が捉えた。

 それゆえに様子を見に行く動作に移るより前に、身体がそのときの動作で動きを止めてしまい、数秒後。


 急な侍女の悲鳴に驚いただけだと思いたい、どくどくと跳ねる鼓動を宥めていると、ドアが無理やり破らんばかりに開かれた。


「ひっ……」


 細い悲鳴は、乱暴な音にかき消された。


 いくら王女と思えない扱いをされているビアンカといえど、ほぼ存在感ない扱いのため、さすがにこんな入り方はされた記憶はない。

 鼓動が嫌な跳ね方をする。

 それも一段と大きく跳ね、ついでに身体も跳ねて、椅子から飛び上がり振り向く。

 見慣れない、でも作りからして軍服と分かる服装の男たちが部屋の中に入ってきていた。

 手にしているものが鋭く、切っ先がこちらに向けられている。

 見るからにこの国の兵士ではなく、ビアンカに剣をつきつけている。


 まさか敵襲――




 ***



 引っ立てられた先は、ビアンカがくすくすと笑われた覚えのある大広間だった。

 くすくすと笑われた理由は、周りの王女よりも、さらに令嬢たちにも格段に劣る服を着ていたからだったか。

 ビアンカとしては特別良い服として着ていっていただけに、恥ずかしいと泣きたい気持ちがそれまでになく大きかった。そんな記憶が付随する場所。


 しかしながら今宵、ビアンカにとっては残酷なれども華やかな空気はなかった。

 華やかな色合いは、一ヶ所に集められて床に直接座らせられ、並べられた王族の服や、こんなときにも輝きを失わない装飾品で事足りるのかもしれない。けれど、彼らの顔には嘲笑どころか、単なる笑顔もない。

 王女方にはつつましく顔を隠す扇もないどころか、扇を持つための手が後ろに回され見えなかった。


 非日常。


 頭上のシャンデリアには明かりは灯されていない様子で、壁に等間隔につけられている燭台にも、全てに灯されているわけではないようだった。

 全てに火が揺らいでいたならば、この場はもっと明るくて、暗い王族の顔と、武器を持ち彼らを監視するように後ろや前に立つ者たちの服装も明確に見えていたはずだ。


 後ろでまとめられた腕を掴まれ、入らされた大広間には虜囚と監視人が存在していた。

 虜囚はこの国の王族。監視人はどこのものか未だに分からない軍服を身につけた者たち。

 クーデターではなく、どこかの国がこの国を攻めて城を落とすことを成功させた。これほどまでの要素が揃えば、間違いようのない現実。


 いつもビアンカを高い位置から見下ろしているはずの王、王妃、王子、王女が座らされ拘束され端から順に並ばされている様を目にしたビアンカは、自らもあの列に加わりそのあとは……とじわじわと絶望を感じかけながら足を進まされる。


 そんな中、違和感があった。

 立っていることから、軍服姿の兵士たち側と思われる者たちに、マントを身につけすっぽりと頭からフードを被っている者たちがいる。

 特に怪しげに見えるフードの者たちが、この人がばらつく中でやけに集まっている。その点の中心にいる姿が、ビアンカの目にも明らかになった。


 その場で最も高貴な空気を纏った男がいた。

 玉座ではなく、床に直接座することを余儀なくされているビアンカの血筋上の父親――王ではない。一人の若い男だった。


 白金色の髪が灯り乏しい中輝き、その横顔だけしか見えない顔は恐ろしいまでに整い、瞳は――赤。異質な瞳の色彩であるがゆえに、暗い空間に浮かび上がるようだった。


「この国の王族がまた連れて来られたようです」

「それで全部か?」


 会話するため開かれた口から覗く、犬歯だけではない鋭い歯。


 あれは吸血鬼だ。

 見たこともないはずなのに人間は持たない特徴により、ビアンカの頭が警鐘を鳴らした。肩を下に向かって押され、落ちるように床に座らされながらも、目を離せない。

 王族たちが恐れの目を下から向けていたのは、あの方向だったのか。


 吸血鬼。

 以前聞いたことのある特徴と、現実で目の前にいる存在の特徴が合致する。

 小刻みに震える目を周りにさ迷わせると、フードを被る者たち全員がフードの影に光る赤を持っているではないか。

 確かに聞いた通り姿形は後ろ姿では人とは変わらないだろうに、人ではない存在の大きさに圧倒される。



 ――吸血鬼が治めているという国がある



「……帝国……」


 意識せず、口から小さく言葉が溢れた。

 嘘か真か、遠い国の噂だった内の一つが真であるとの光景が目の前にある。


 かの帝国が、隣国の次にこの国に侵略してきた。


 なんということだろう。たしか今日も聞いたばかりの戦争の話が、現実になるどころかこんなことになるなんて。

 瞠目し、頭の中は状況を理解した今、はじめてまともな混乱を起こしている。


 侵略された国の王族の末路は、一体どうなるのだったか。

 その類いの本も読んだことがあるはずなのに、どうしたことか、どこかの国のいつの王族かが辿った末路がすっと出てこない。頭が拒否しているのだろうか。

 それはそうだ。

 未来に不安を覚えていた身であったとはいえ、じわじわではなく、こんなに急にどん底に落とされるなんてビアンカでも考えたことがない。

 現実とは実に酷――などと、頭の中が短時間で急速に混乱の極みを迎えるかといったとき、この場の明らかな支配者が横を向いた。

 より正確に述べるに、ビアンカの方に顔を向けた。


「ひっ……っ」


 ビクリと震え上がったビアンカは、洩れかけた悲鳴を手で押さえることは叶わないので、唇を引き結び必死に押さえ込む。

 さっき声を出したことが気に障ったに違いないと勝手に断定すると、次に相手が吸血鬼ではなくとも、この状況では思うだろう考えが過った。


 殺される。


 コツ、コツと靴音を鳴らして一人の吸血鬼が近づいてきている。靴音がこんなにも恐ろしい音に聞こえたことがあったろうか。

 ビアンカに向けられたというのは、悲しくも勘違いではなかったようで、歩みは完全にビアンカに近づいてきていている。

 情け容赦なく距離が縮まるにつれ、後ろに下がれないことで泣きたくなった。


 ああさっき声を出さなければ……。少し前の自分の口を縫いつけてやりたい。

 少しでも力を緩めれば情けない悲鳴が出てきて、それこそ一瞬で殺される嫌な未来が見えたので、懸命に唇を噛んで堪えて恐ろしい靴音を聞き続ける。


 とうとう目の前にその存在はやって来た。


 死の淵に立つ気分とは、このようなものなのだろうか。頭の片隅で場違いにも思った。

 見続けていればそれもまた気に障るかもしれないため、目は前に立つ存在の靴に向けて、息をも殺し、ビアンカは考えられる限りの気に障る要素を無くした。

 身体のみっともないくらいの震えは、止めようがない。


(どうかそのまま立ち去ってください。次から気をつけますので……っ)


 無言の懇願虚しく、膝が折られる動作が見え、目の前が真っ黒に。実物的な意味ではなく精神的な意味で。


 視界がない状態で頬を何かがくすぐった。何かが近づいている。思えば前から、全体的に。

 殺される様子が中々感じられず、何事かと戻ってきた視界が捉えたのは顔だった。

 顔が鼻がくっつきそうなくらい近づいており、間近で見るとことさら恐ろしく綺麗な顔。瞳は宝石と称えてもまだ不十分なほどの色を持つ――を、認識して、ビアンカの視界は本能で再度緊急閉鎖しそうになった。

 その間に瞳は幸いにもすぐに逸れ、通りすぎる。

 通りすぎる?


「……!」


 遠ざかるどころか全体的に近づき、敏感になっている感覚が首の辺りに顔が近づいている感じを捉えた。途端に身体は硬直。

 すん、と嗅ぐような音があり、


「……ふむ」


 耳元で声が聞こえて震えが抑えられず、ますます大きくなる。

 怖い。この吸血鬼は何をしようとしているのだろうか。ビアンカを殺すのではないのだろうか。怖い。

 耐えようのない恐怖に、近くの存在感に押し潰されそうになっていたビアンカから吸血鬼が身を離した。

 それでも震えは止まらず、ずっと止めていた息を吐いてしまう。自分で自らの身体を抱きしめたいのに、後ろで拘束されていてできないことが堪えた。


「これを連れて帰るぞ」

「人間をですか?」

「なんだ何か不満があるか」

「……いいえ。しかしながら、この国の王族のようです」

「それがどうした。だからといって何か変わるわけでもない。私が気に入ったから連れて帰る、それだけだ」

「……承知いたしました」

「後は任せる」

「はい」


 頭上で交わされる会話が途切れた。


「行くぞ」

「…………ぇ」


 伸ばされてきた手が、視界に映った。

 ビアンカの腕を掴もうとし……触れられた瞬間どんな防衛本能かもしくはとうとう頭の容量オーバーか。ビアンカの記憶は途切れている。






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