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19 気がついてしまった目




 起きた王は特別変わった様子もなく、昨日のことを何か言うこともなく、いつものように頭を一撫でして先に寝室を出ていった。寝惚けていたのかもしれない。体温が離れて、空気に冷まされていく腕に触れたあと、しばらくしてビアンカも部屋を出た。


 そうしていつものように王は執務へ、ビアンカは読書や狼との触れ合いを軸にのんびりと時を過ごすのかと思いきや。

 昼食後、読書を開始して五分後に「いつも」となった日常の一部分が少し変化した。

 足元の狼の耳がぴんとした直後、扉が開き王が姿を現した。

 寝るときの軽い衣服が――寝る時刻ではないので当たり前だが――執務のときの隙のない服に変わり、金の刺繍で模様の入る黒い上衣の揺れた端が落ち着かないうちに、ビアンカに向かって歩いてくる。


 これまたビアンカには慣れてきてしまった光景の一つ、だったが、今は王を見てはいなかった。

 視線がその後ろにずれた状態で身体が浮いて、落ち着く。ソファーとは異なる感覚は王の膝の上だろう。

 その背後、ソファーの背もたれの後ろにぬっと人影が立つ。フリッツではなかった。

 黒髪の吸血鬼――ビアンカは吸血鬼の証である赤い瞳に見られていて、目が合いそうになり慌てて逸らす。思わず下げた目線の前に来た王の衣服を指先で握った。


「……どうした」

「陛下」


 陛下、と呼び掛ける声は、王とフリッツとは異なる低さの声。


「その人間、はあのとき連れて帰られたあの国の王族で合っておりますか?」

「そうだ」

「……まだ手元に……」

「何だ」

「いいえ。何でもございません」


 その吸血鬼は、さっきまで見た限りでは几帳面そうな、神経質そうな顔をしていた。

 受け答えも同じ雰囲気が感じられ――何より、遠目であの瞳がビアンカを認識したときから露骨に表れた感情があった。

 蔑み。

 まるでビアンカという存在がそこにいることが不可解であると聞こえてきそうな目。

 居心地の悪い眼差しに晒され続けて、王に隠れてしまいたい気持ちになったけれど、ビアンカの身体は始終硬直していた。








 あのような視線を向けられたことは、ここに来てはじめてだったかもしれない。軍艦では好奇に満ちた目を感じたが、あれほどまでに負の感情が乗せられた目は……久々か。

 祖国で向けられていた目に酷似しつつも、少し異なった感情だと感じた。


 王の側について来たということは、フリッツのように側近、重臣の一人である可能性が高い。

 制圧した国の王族が王の側にいるとは……ということだろうか。その感情はおかしくないもので、むしろこれまで同じ感情を持っている吸血鬼がいてもおかしくなかったとさえ言えるかもしれない。


 けれどビアンカは『狼枠』であり……その『狼枠』が良い待遇にあることに何か言いたかったのだろうか。

 それはビアンカも戸惑ったことで、誰もかれもが優しかったからこれでいいのかと流されていたが……そんなはずはなかったのだ。

 ビアンカにとっては広すぎて豪奢すぎる部屋。王が去ると共に付き従う吸血鬼が去り、重いと感じた空気がなくなってから狼に抱きついていたビアンカは、ようやく狼から離れて部屋を見てやはりそうだな、といやに納得することになっていた。


(あの方の反応が、正しい気がしますね)


 それでも少し、気にせずにはいられなかった。


「お姫様」

「……は、はい!」


 狼を撫で撫で、目は目の前を見ることをおろそかに思考に沈んでいると反応が遅れた。

 急ぎ返事し見上げると、侍女の一人が軽く屈み込んでいた。


「陛下は今日は就寝時にいらっしゃることができないそうです」

「そう、なのですか?」


 言われたことに拍子抜けに近い感じになった。王が就寝時に来られない。

 待ち望んでいたわけではもちろんないけれど、毎日当然の流れで連れて行かれ、そんなことははじめてだったからだと思われる。


「カルロス様がご帰還された関係でお忙しくおなりなのだと思います」

「カルロスさま?」

「お昼に陛下についていらっしゃった方がそうです」


 あの黒髪の吸血鬼がそうか。

 どこから帰ってきたのだろう。――「あのとき連れて帰られた」という言葉が勝手に思い出された。

 ビアンカを連れて行くときを見たかのように聞こえなかっただろうか。ビアンカの祖国から帰ってきたのかも、しれない。そうだとすれば辻褄が合う。


 国が他の国を支配するとなれば仕組みが色々変わるだろう。それらのことで忙しくなるのだろうか。

 王とは今日は一緒に寝ないらしい、ということは、この部屋に隣接する寝室ではじめて一人で寝るということか。何だか変な気分だ。


 一人。大きなベッドだったなと、見るだけ見たベッドを思い出した。

 ちょうど狼が目に入った。


「ガウちゃん、一緒に……は駄目でしょうか……。毛が……」


 いいことを思いつき口に出したけれど、毛がついてしまうのではないかと思うと、申し訳ないような気になって言葉は消える。


「クゥーン」


 そこはかとなく銀毛の狼が悲しげに鳴いて、黄色の目と見つめ合うことになる。

 いつもはお腹を貸してもらっているけれど、こんなに大きくてふわふわの狼と一緒に寝るときっと素晴らしいに違いない。

 狼の毛の感触を確かめながら、想像してしまう。

 今になって、どうして王はビアンカと寝ているのだと考える始末だ。だって、絶対に狼の方が温かいばかりでなくふわふわだ。


「お姫様、お気になさらずとも狼と一緒に寝てもよろしいですよ」

「え」

「少し前までは陛下が共に寝てらしたので皆慣れています」


 それはそうだろうが……。

 撫でている狼が、ビアンカの膝に頭を乗せてきた。ずしりとした重み。


「いいのですよ」


 侍女はもう一度屈託を晴らすように言うのでビアンカはうーん、ととてもとても悩む。

 王がすることと、ビアンカがして手間をかけさせることはちょっと違うなと思うから。でも、


「では……あの、一度だけ」

「はい」


 こんな機会はそうそうないかもしれないので、一度だけと言葉に甘えさせてもらうことに心が傾いてしまった。

 一度だけ。

 それにしても侍女の笑顔はなんだか微笑ましそうだった。



「……あ、今から図書館に行ってきてもよろしいですか?」


 侍女が離れて行こうとする前にはっとして、ビアンカはついでに言う。

 新たな本を調達しに図書館に、と。あとで自分から声をかけるより、今言ってしまった方が色々といいととっさに思い出したのだ。


「もちろんです。行きましょう」

「い、いいえもう道は覚えましたから、わたし一人で大丈夫です」


 自然についていく姿勢をとる侍女に首を横に振る。お仕事を続けてください、一人で行けるので気にしないでほしいと言って、どうにかそれに成功した。

 その代わり、と言っては何だろうか。銀毛の狼が音もなく悠然と歩きついてきた。


 歩く廊下は灯りが乏しい。窓が並ぶが、見えるのは夜空。

 そんなにゆっくり外を見ることはないので、何となく不思議な感覚に陥る。ここは夜が大半、あとは短い朝があるだけという情報は頭には入っていても、外を見て明らかに夜中といった風情のときに歩いていることが不思議でたまらない。祖国の夜中には眠りについていたから。

 お日さまが恋しい、というより陽の光を長い間見ていないのは気のせいではなく事実であろう。急に恋しくなってきた。


「お日さまが、見たいですね」

「ガウ」


 隣で狼が同意した。単に吠えただけかもしれない。


「ガウちゃんは朝は好きですか?」

「ガフッ」

「そうですか」


 もちろん返事の内容は分かっていない。

 この狼はなぜにビアンカの元にいるのだろう。狼は王になついているのではないのだろうか。いくらビアンカが王と一緒のベッドにいて匂いが移っていたとしても、本人には敵わないと思うのに。

 問うて狼が「ガウ」と返事してくれても、残念ながらビアンカには分からないので、謎に包まれた事項である。

 などと狼を見ながら歩いていると、当の狼もビアンカを見て「ん?」というように首を傾いだ、と捉えられる行動をした。


「ガウちゃんは不思議な狼ですね」


 そしてとても優しい素敵な狼だ。






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