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14 怖いのは




 夜と朝しかないこの国では、吸血鬼がどちらかというと暗い方を好むため朝に眠るようだ。もしくはそうであるから長い夜が出来上がったのかもしれない。そういえばフードを被っていたところも見たけれど、あの赤い瞳には眩しいのだろうか。


 今日も今日とてビアンカは吸血鬼の王に寝室に連れて来られ、抱き締められて横たわっていた。城に連れて来られてから毎日となる。


 最近のビアンカは諦めの中にも模索をし、緊張で寝られなくてもあとから寝ればいいのだとの発見をした。

 幸いにもなのか、ビアンカには起きてからやることといえばアリスと喋り狼と戯れ本を読む……という生活に王の休憩に付き合うことが加わったが、大部分は部屋で時間をもて余しそうな生活になる。

 あとで眠れば良いのだ。

 吸血鬼の王は不眠症気味で可哀想だなと思うことにすれば、この状況だって何とか心穏やかにやり過ごすことができる気がする。

 あとで寝ると、それはそれで、本来眠るべき時間にどんどん寝られなくなっていくのかもしれないけれど、寝られないのだから仕方ない。初日はやはり気絶して意識が落ちただけのようだった。



 ***




 だからビアンカは寝ることにした。

 寝られていないことから、起床したあとに眠気が襲ってきたのは狼に触れている途中だった。このふわふわの毛が何とも眠気を誘っていたのかもしれない。

 狼たちとはすっかり仲良しだ。

 特に銀毛の美しい狼がよくしてくれる。名前を知りたいと思ってアリスに聞いてみたのだが、「そういえばあったような気もします。陛下が最初に便宜上つけられたと思うんですけど……陛下が呼ばないので皆忘れていると思います!」力強く言われた。

 可哀想。あれ? ではビアンカの名前も忘れ去られたりしている可能性もあるのでは……と悲しい思考は断ち切った。


 ということで、真偽は追及せず、ビアンカは銀毛の狼にだけ名前をつけてしまった。もちろん心の中と狼と一緒のときにだけしか呼ばない名前だ。

 そんな銀毛の狼を撫でている途中に瞼が重くなり、とろりとろりとしてくる。不明瞭な意識の最後には、さわり心地のいい枕があった気がする。


 温かくて、頬に触れる毛は柔らかで。とても幸せな気分に浸っていた。




 そのため、目覚めもとても穏やかで、すこぶる良いものだった。日向ぼっこして起きたときのような満足感。自然に瞼が持ち上がり、うっすらと目の前が――



「起きたか」


 その声に、一瞬で現実が迫ってきた。

 開きかけだった目を強制的に完全に開くと、目に入ったのは隅に銀毛、大部分を占めるのは――吸血鬼の王。

 ビアンカは固まった。

 顔の周りにある毛のふさふさ度合いからして、どうも狼が枕にお腹を貸してくれているらしく、頭はほどよい弾力を感じた。狼の呼吸によって腹はわずかに上下する。


 いつの間に眠り、いつから吸血鬼の王はそこにいたのか。ビアンカがソファーの影にいるので、吸血鬼の王が片膝を立てて座り背を預けているのはソファーの側面となる。

 雰囲気がこの世で最も高貴な方なのではないかというほどのものなので、無造作に下に直接座っているのにそれすらも絵になる光景にしてしまう王は、ビアンカを見下ろし、おもむろに口を開いた。


「お前はよく震えるな」


 言われて、ビアンカは自分が微かに震えていることを自覚した。


「人間にとってはこの国は一年中寒いのだと聞くが、それだけ着こんでいるのならば寒いわけではないのだろう」

「寒くは、ありません……」

「フリッツが言うにお前は私に怯えているらしいな」

「……!」


 何と。

 王の側近であると分かった、いつも微笑む吸血鬼の姿が脳裏によぎった。わざわざ言ってしまったというのか。そのフリッツは見えるところにはいない。

 まさかの言葉に息が詰まったのち、気分を害しただろうかと不安になる。


「それは気にくわん」

「す、すみません」


 怯えていると聞いていい気分のする人は中々いないだろう。

 案の定王は気分を害したようだ。ビアンカは慌てて起き上がり、その場に座ったまま、出来る限り居ずまいを正した。


「私が怖いか」


 問いが落とされた。

 そんなことを聞かれるとは思ってもおらず、ビアンカは戸惑う。また、どう答えるべきかと逡巡する。


 この王は怖い、と思う。

 それは、吸血鬼だからという、一番初めの漠然とした怖れではない。それではどこが怖いのかと考えてみると、まず雰囲気。

 どことなく近寄りがたい雰囲気は、どことなく感覚的に感じるものでもあり、顔つきがそう感じさせているのかもしれない。

 生来のものなのか、眉間にはしわが刻まれ、その状態で笑みを刷くと凄みが増すのだ。

 しかし雰囲気の問題は、寝起きの和らいだそれでこんな面もあるのだな、と少し意外感と共に見られるようになっていた。


 が、問題はもう一つ。何といっても夕食の席での衝撃の発言。一族朗党皆殺しとはいかないものの王族皆殺しの件だ。

 ビアンカの祖国が帝国支配下への進軍を企てていたとなれば、帝国としてはそのようなことを考える王族が残ることを懸念し、根絶やしにする考えは理解できなくもない。


 けれども「煮るか焼くか裂くか千切るか」の発言が衝撃的すぎてビアンカの中から離れてくれないのだ。

 後からのフリッツのつけ加えによると、つまりは「好きにしていいがどうするか」といった意味であっただけの話だったとか。

 けれどもそんなことを平然と言い、特別残虐なことを言ったつもりはなさそうな様子がぞわりとして、今もビアンカに身構えさせる。


 だって、いくらビアンカを狼と同じような感覚で気に入って連れて来たとしても狼ではなく人間だ。

 いつか飽きたときに、ふと根絶やしにした王族の端くれだと思い出して殺す、と言い出す可能性が浮かぶのは当然の流れ。ビアンカの立場は不確かで不安定だ。


 ゆえにビアンカは、その言葉一つでささやかなゆったりとした時間を暗黒に変えてしまえるこの王を怖れずにはいられない。あのようなことを言うのであれば、なおさらに。

 震えてしまうときはふいにやってくる。


「怖い、です」

「なぜ怖い?」


 手が伸ばされてきた。

 ビアンカの頭を撫でる手。

 今は頭の上に、ただ乗せられた。


「これも怖いか」

「……い、いいえ」


 怖くない。その手に何かされたことはないから。それならばこの王に残虐なことをされた覚えもない。ビアンカには向けられたわけではない残虐な言葉だけで、何もされたことはないから怖くない。

 矛盾むじゅんが生じる。


「ならば何が怖い?」


 答えを要求される。


「陛下は、」

「陛下?」

「……え」

「お前は私をなぜそう呼ぶ?」


 何とか何か言おうとしたビアンカは出鼻を挫かれた。耳にしすぎてとっさに出た陛下呼びが出てしまったことが、王に引っかかったようだ。

 続けられたか分からない声が喉の奥で固まり、何も言えないままにビアンカが困惑していると王が言う。


「別にお前は私に仕えているわけでもなければこの国の民ではない。陛下と言うな」


 そう言われましても。

 陛下呼びが完璧に禁じられた。なぜに。

 それでは何と呼べばと、新たな壁を自分で招いてしまって今度は頭を抱えたい気分だ。


「……えぇ、と」

「名前で呼べ」

「え」

「長ければデューでいい、そっちで呼べ。待っていると聞く前に日が昇りそうだ」


 デューベルハイト・ブルディオグ。それが吸血鬼の王の名前だ。

 陛下呼びが禁じられて考えを巡らせている間にそんなことを言われて、ビアンカはさっきより声を出すことが困難になる。

 自分で考えて言葉を作るより遥かに難しく感じるのは、縮められた名前が吸血鬼の王の名前だからだ。

 呼べと言われたからといって、そんなにほいと呼べるのであれば、こんな性格にはなっていないと思う。じっと見てくる王から目は逸らせずに、けれど口は開けずにプチパニックだ。

 何もしなくても時間は過ぎ去るだろうが、王は何も言わず、ビアンカがいくらこの時間が過ぎてしまえばいいと思っても何だか待つつもりの予感。


 一度、一度呼んでしまえばきっと終わる。でも――と、もたもたしていると、ふと頭に乗せられた手が重く大きな手が意識させられたかに思えた。

 直後、見続けざるを得なかった深い赤い瞳がビアンカを捉えて、何かの力で引っぱられているような感覚に陥る。くらりと酒の匂いだけで酔ったみたいに、それ以外が見えなくなる。


「呼べ」


声だけが、やけに耳に鮮明に届いた。


「……デュー、さま……」


 力が抜けた口から、名前が零れた。


 頭の上の手がなくなり尻が床から浮き、目線が移動したと同時に酩酊感はすっと抜けていった。

 現実リアルが戻り、ビアンカは目を瞬く。座っているのは床ではなくデューベルハイトの膝の上だった。いつの間に。

 目を何度も瞬く。ぼんやり、一瞬曖昧だった記憶の時間があるような気がしたが定かではない。


「それでいい」


 王は、どうしてか力が抜けて震えが止まったビアンカを抱き締めて、それきり何も言わなかった。


 そういえばいつの間にか話がすり変わっていたけれど、王が気まぐれに聞いてきたことで大した興味もなかったのだろうか。ビアンカは追求を免れて安堵しておくべきなのだろうか。





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