最悪の目覚め
ノノさん視点です。
次話からはアルカネ視点に戻ります。
寒い。
冷たいコンクリートの上に温かな池が広がる。
誰のでもない、私自身の血。
地獄の血の池は、さぞかし温かいのだろう。
死にかけているときは、どうでもいいことばかり思い浮かべる。
あれ程憧れていたのに、いざとなるととても怖い。
私はどうなる?
分からない。
解らない。
判らない。
そんなの知らない。
一度切りの死を再体験することなんて、生き物に出来るわけがない。
私はきっと、地獄へ向かう。でも、痛みだけならとうに慣れた。
ヒトを壊すのは痛みじゃない。
孤独と絶望と、……なんだろうか。
寒い。もう熱なんて身体の何所にも残っていないような気がして、自分の身体を抱き締めようと、沼に沈んでいた手を持ち上げようとした。
だめだ、もう動かない。
ねえ、私はどこで道を違えた?
私はただ、欲しかっただけなんだ。
「ぉ…………ぁ………」
振り絞って吐き出した声も、全て呑み込まれる。
眼前には、標的の男の黒い靴が見えた。
「俺達罪人には、コキュートスがお似合いだ。救われる事など赦されない」
ああ、そうだ。救ってくれなんて言わない。この地の上で、誰に知られることもなく朽ちればいい。
「だが、お前を調べていたら気が変わった。お前なら少しくらいは、救われて良いのかもしれないと。喜べ、これが見えるか?」
視界に、消音器の付いた自動拳銃が映る。
「神の奇跡の代わりに、慈悲をくれてやる。せめて、苦しまずに往け」
ありがとう。
礼も言えぬままその救済を、私は享受した――
___
「ねえ、聞こえる?」
……誰だ。
「僕は僕だよ。君にとって、それ以上の情報は必要かい?」
正直、どうでもいい。ここは、私に与えられた、地獄だろう?
死して尚向かい合い悔やみ続ける、永遠の。
「さあ? 僕にとって、どうでもいい事だね。ねえ君、もう一度、生きてみたくない?」
……私に、そんな資格はない。
「決めるのは君じゃない。君以外の周囲が決めることだ。勝手に罪を背負って被害者面かい? それで君は救われるのかい? いいや、そんなわけない。君は何時だって罪人で、何時だって死んでいるんだ。そんな君に、僕が勝手にあげるんだ。贖罪のチャンスを君が救われるための方法を」
そうすかす少年の声は、真実のようにも、嘘のようにも聞こえた。
……得られるのか? あの日々を。
「ああ、君次第だけど、確かに」
手に入れて、いいのか?
「勿論さ。君にして欲しいのは1つだけ、導く事さ。正しい道へ、正しい台本通りに。さあ、僕の手を取って。嫌なら要らないと叫べばいい」
いや、欲しい。私は欲しい、あの日々を送りたい。
夢を、叶えたい。
「OK、肯定の意と受け取るよ。目を開いて、その先に見える世界が、君の世界だ。プレゼントもあるから、見ておいてね」
瞬間、ありもしない身体の感触が突如蘇る。虚空の宙を漂っていた意識が縫い付けられ、発条(ぜんまい)仕掛けの人形が如く身体を起こした。
「どこだ……?」
身体を触ると、確かに感じる肉体の手触り。紛れもなく、私は生きている。
立ち上がり周囲を見回すと、簡素な机に封筒と一振りの黒い片刃のナイフ、後はひとつ、拳銃が置いてあった。
薬室には一発だけ弾丸があり、弾倉は空だ。
手に馴染むそれを放置し、私は封筒に書かれた文字に目をやった。(おそらくは)異世界だというのに日本語で書かれた封筒には、「プレゼントはこの中に入っているよ」と書かれている。ご丁寧にハートマークまで付けて。
私はナイフで封を切り、中を覗き込んだ。
同時に、何かが私の中に入り込んだ。流入それは瞬く間に全てを埋め尽くし聞こえない分からない助けて誰か苦しいコレは過去未来現実どれ過去の私女「殺せ」「もう終わりだ」「どうせみんな滅ぶ」「嫌だ嫌だ嫌だ死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくないっ!」
誰の咆哮か、誰の絶望か。私を埋め尽くしたのは、呪いにも似た何か。恐らく、幾度となく繰り返された世界での絶望を苦しみを、私は詰め込まれたのだろう。こんなことが考えられるのだ、精神はどうやら崩壊してはいないようだ。
気付けば私は床に倒れ伏していて、口の端には涎が垂れていた。頭が痛い、身体が重い、立ち上がるのにすら数分を要した。
涎を拭いつつ押しつけられた記憶を紐解いていると、何人かの姿を思い浮かべることができた。金髪の剣を振るう少女、竜人の若い巫女、森に住む心に傷を負った少女、その中に唯一いる、銃を持つどこか間の抜けた一人の少年。
他に何かないかと辺りを見るが、クソみたいなプレゼントと銃、ナイフの他には何もない。寝台の横にあった鏡を見ると、随分と背の高い白衣を来た女性の姿が映り込んだ。顔も体付きも元のままだが背だけ高くなっている。
「さて、どうしたものか……」
私をこの世界に縫い付けた奴は導く事だと言った。この四人を導けばいいのだろうか。しかし彼らがどこにいるか、何をしているのかの情報はこれといって特段役に立つようなものはない。
私は今いる国の治療院に属する医者らしいが、どうすればいいのかは見当も付かない。窓を開けると、外で市が開かれているらしい。
(何か買ってくるか……?)
机を漁ると大きさの違う銀貨や銅貨が数枚転がっていた。私はそれをポケットに突っ込み外に出ることにした。
拳銃とナイフは、懐に。
私は人を掻き分けつつ肉屋を探していた。あの部屋で作れるかどうかは知らないが、あれば干し肉が食べたい。しばらく歩き念願の肉屋を見つけると、売ってあった干し肉を買い占めてほくほく顔で私の部屋に引き返していた。それ以外の収獲と言えば、先ほど思い出した人の一人、金髪の少女が私の後をつけていることか。
人通りのない路地に進み、壁を蹴って木箱の積まれた高所へ移動する。ここならば彼女からは死角になる。ナイフを抜き、彼女が私を見失って立ち止まったところで、彼女の背後についた。
「動くな」
後ろから顎を持ち上げ、彼女の喉元にナイフを当てる。万が一を考慮して刃は外側に向けて、厚い部分を傾けてやると、彼女は身体を硬直させて歯をカチカチと鳴らしている。彼女についての記憶を探るが、全て腰に剣を携えていたはず。今回は持っていないようだ。
「……荒事は慣れていないようだな。今回はそういう世界か?」
では、これ以上脅すのも可哀想だ。この状態ではまともに話はできないだろうし、夜中にでも呼び出そうか。
「聞きたい事があるなら、街が寝静まった頃に治療院に来い。……それと、慣れてもいないのに人の後をつけるのはよした方がいい。馬鹿以外にはすぐに気付かれる」
刃物を離して仕舞い、足早にその場を去る。
治療院の自室に戻り、私は彼女についての記憶を探っていた。
彼女の名前はアルカネ、これまでの世界では両親を失い生活していたようだ。彼女はよく随伴していた少年をカズトと呼んでいたようだが、彼がこの物語のキーマンの役割を果たしているのだろうか。
さて、何を聞かれるか。何を話そうか。まだ街が寝静まるには早い、仮眠でも取っておこうか。
私はベッドに身を投げ、目を閉じた。
時間が経ち、外が月明かりと共に暗くなった頃に目が覚める。
乱れた服を整えていると階下で足音が響いた。ご到着のようだ。待っているとしばらくして部屋の戸が開け放たれ、彼女が現れた。
「ようこそ、私の部屋へ」
恭しく頭を下げ、私は横になりながら考えていた短い言葉を彼女に告げた。
「さて、質問コーナーと行こうか。少女には知る権利がある。私には教える義務がある。何が知りたい? アルカネ」
「教えて下さい。夢の、続きを」
なぜか期待を込めた目で彼女は言う。まずはその夢とやらの内容を聞き出さねば。




