平和な世界、甘美な理想 2
お久しぶりです。あんまし忙しくて更新が滞ってました。まだまだ続くんですが、忙しさが変わらないので更新は不定期です。なる早で打つようにはしますので、どうかご容赦下さい。
「あら、アルカネ。また見ないうちに綺麗になって、嬉しいわ。貴方もお帰りなさい」
「セーラ、元気そうで何よりだ」
「ただいま、お母さん。元気にしてた?」
「もっちろん! リリアさんが元気に仕事してる横で怠けてなんかいられないわよ! さ、もう晩ごはん作ってあるから食べましょう。お話、沢山聞かせてね」
私達はリリアさんのお店で荷卸しを終え、お母さんの自宅に帰ってきた。アルトノリアに訪れるのは月に1回だけだから、話せる機会はほとんどない。
かといって話すこともそんなになくて、互いに普段のことを教え合うくらいしか話の種がないのが困った所だ。
「……それでね、お父さんったら平気だって嘘つくの。あんなに大きな音立てて平気なわけないのに冷や汗垂らしながらね。家に帰って足を診たらやっぱり真っ赤に腫れてて、その日はずっと冷やしてたわ」
「あれは手が滑っただけだ、大したことはない」
「ふふっ、意固地になっちゃって。あなたってそういうところだけは変わらないわね」
笑いながら言うお母さんに、お父さんは溜め息を吐いた。
「なにもかも変わる必要はないだろう。時代は変わっていく、俺達もそれに年を取ることで順応していく。だが全て変化しちゃあそれは俺達じゃない別人だ、俺らしい所くらい一つはあったほうが良いモンなのさ」
「それもそうね、個性って大事だもの」
外から聞こえる、微かな雨の音。明日は皆で遊びに出掛ける予定だったのだけれど、晴れてくれるだろうか。
食器を空にして下げ、お母さんと一緒に洗う。すぐ隣で揺れる髪が顔に当たりくすぐったい。なんか落ち着かないのは、髪のせいじゃないのだけど。
「ねえ、アルカネ。一緒にお風呂に入らない?」
そわそわしているのを気にしてか、お母さんがそう訊いてきた。
「え、いいけど……」
突然のことで頭が回らず、そのまま返事を返してしまった。いや、そもそも断る理由なんてどこにもないのだけれど。
「じゃあ決まりね! 早く洗っちゃいましょう!」
どうしてか機嫌の良いお母さんに私は少し困惑しつつ、私は残った食器の泡を洗い流した。
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「髪が少し傷んでるわね。ちゃんとお手入れしてるの?」
「最近はちょっと放置してたかも。気を付けるわ」
私の髪を洗いながら、少し怒ったように言うお母さん。反論することもできないので私は大人しく座っていた。
「アルカネ、お母さんに話したいことはある? 悩みだったり、心配事だったり。今日会ってから様子がいつもと違ってて、お母さん気になってたの」
「そ、そうかな……?」
「親には分かるのよ。まだ話せないようなことなら私も詮索はしないから」
様子が変、というのはあの夢だろう。正直思い出したい夢ではないが、私は話すことにした。一人で抱え込むよりは、誰かに打ち明けた方が幾分かは気が楽になりそうだから。
「……今日、アルトノリアに来る途中で夢を見たの」
「どんな夢?」
「二つあって、一つがお父さんが動物に襲われて倒れてた夢。もう一つが、私と同じくらいの男の子と、一緒に居た夢」
「……確かに、余り気持ちの良い夢ではないわね」
「実際そんなことはないし、あり得ない夢なんだろうけど、私、なぜか夢とは思えないの。まるで本当にあったみたいで、忘れてるような違和感があって……」
「だったら、きっとそれは本当にあったことなのよ。私達が知らないだけで、世界の何処かで起きた過去か未来」
髪に付いた泡が流され、お母さんは言葉を続ける。
「最初の夢は違うと思うけど、男の子のは夢じゃなくて本当に居るかもしれないわよ。確証はないけれど、捜してみたら?」
「捜すって、どうやって?」
「旅に出るのよ。さすがに女の子一人じゃ危ないから、アルカネが信頼できるような人を連れてね。お父さんが旅先で見た私に一目惚れして追いかけてきたんだから、あなたもしてみればいいんじゃない?」
「旅かあ……」
旅とはどんなものなのだろうか。想像もつかない。
お風呂から上がった後も、私は見た夢の記憶を何度も反芻して確かめ続けた。
そうして眠りにつく直前だっただろうか。それとも眠った後かもしれない。
また脳裏に、違う光景が浮かび上がった。
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「……まるで家族のようだな。羨ましい限りだ」
どこかの部屋の一室で、私と男の子と、多分私より小さい女の子が寝ているのを、長身の女性が眺めている。その目はどこか悲しく、けれども慈しむような、不思議な目をしていた。
「明日、頼み込んでみるのも手、か。……まあ、笑って許しそうだがな」
そして再び、違う世界へと変わり。
その女性は、真四角な高い建築物が入り混じる暗い路地で誰かに後ろから抱き付いていた。手には何かが握られていて、男の人から抜き取るような動きをして、光らない真っ黒な刃を掴んでいた。
男の人が、崩れ落ちる。死ぬ瞬間を目にした時、私は酷く汗をかいてベットの上で目を覚ました。
人を殺めた時の女性は、私達を見ていた目とは対照的な、冷ややかな感情を棄てた目をしていた。
外は既に日が昇り、働く人々の声が聞こえる。長い時間眠っていたはずだというのに、体はかえって疲れているようだった。
階下に下りようとして立ち上がると、机に紙片が置いてある。お母さんの書き残しだろうか。
手にとって読むと母ではない字で、想像とは異なる文章が短く示されていた。
『頑張ってね、全ては君次第だ』
「……どういう意味かしら?」
首を傾げていると、紙片はボロボロと急に風化して消え去っていく。私はあまり気に留めることはなく、もう食事を用意しているであろう母の待つ一階へ降りた。
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「何しようかな……」
朝食の後、私は家で暇を持て余していた。
お母さんは仕事だし、お父さんは必要な物を修理に出してくると私を置いて場所も言わずに出て行ってしまった。特におつかいなどが頼まれているわけでもない。つまるところ、暇だ。
「お買い物でも行こうかしら。たぶんお昼も自分で用意しないといけないだろうし、一人分の食材でも買いに行きましょう」
部屋に戻って荷物を持ち、家の鍵を閉めて私は市場に向かった。
お昼も少し近いからか、今日はそれなりに人が多い。朝一と昼間がピークだから、ゆっくりできるのは今のうちだけだ。特に買う物も決まっていないのでふらふらと眺め歩いていると、あるお店が目に止まった。
お肉を専門に売っている店のようで、大きな塊から保存用の干し肉も置いてある。目に止まったのはそこではない。
並んでいる、背が高い長身の女性。白衣を着ていて、他のお客さんの中にとても馴染んでいた。
見たことがある――
チリチリと、脳裏で何かが焼き付く音がする。
既に女性は店を離れ、遠くまで歩いてしまっている。
理屈や理由を追い求めるのを私は止めて、女性の後を追いかけた。
女性は人通りの少ない道へ進んでいく。不自然に足音を消したりするのはかえって怪しい、思い切ってそのまま声を掛けた方がいいだろうか。
余計な思考に気を散らしたせいかは分からない。角を左に曲がった所で、女性を見失ってしまった。周囲の音は密室に閉じ込められたかのように静かで、何処を見回してもあの白衣の一片も見つからない。
「動くな」
不意に頭が押さえられ、喉元に何かが当てられる。視線でそれを追うと、夢で見た真っ黒な刃。
「ひっ……ぁ……」
夢で聞いた声と同じ。あの白衣の女性だ。
「……荒事は慣れていないようだな。今回はそういう世界か?」
体が死を目の前に硬直する。歯がカチカチと鳴り、呼吸すらままならない。意図して声を発することなど、尚更。
「聞きたい事があるなら、街が寝静まった頃に治療院に来い。……それと、慣れてもいないのに人の後をつけるのはよした方がいい。馬鹿以外にはすぐに気付かれる」
頭を押さえる力と、刃と殺意が、離れる。緊張の糸が切れ、私は力なく地面にへたり込んだ。途端に周囲は騒がしさを取り戻し、先程の静けさが嘘のようだ。
「でも、人違いじゃなかった……」
運が良かったのだ。返答次第、場所や時間によっては、私は死んでいたかもしれない。慎重に、貪欲に。多分あの人は全てを知っている。得られる情報を、なるべく多く聞き出そう。
自分を叱咤して立ち上がり、私は市場の方へ戻る。
夜中に家を抜け出すには、すこし準備が必要だ。
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外は暗い。もう月だって明けに向けて傾き始めている。
晩ご飯を食べる直前まで昼寝を続けていた私は、自室で外に出る準備をしていた。市場で買ってきた音の出にくい靴と丈夫な縄だ。
お父さんはまだ下の居間でお酒を飲んで起きているはずだ。私は自室の窓を開け、ベッドの脚にくくりつけた縄を外に垂らした。おそるおそるそれにしがみついて降りると、案外簡単に外に出ることが出来た。びゅうと風が吹き付けてきて、堪らず自分の腕を抱き寄せる。
(上着でも持ってくればよかったわ……)
取りに戻るのも体力的にあれだ。私は足早に治療院へ向かった。
いざ着いてみると、治療院の入り口は開きっぱなしになっていた。中に入ると、二階に続く階段がろうそくで仄暗く照らされている。
「お、お邪魔します……」
念のため挨拶をして、二階の方へ私は進んだ。治療院はそれなりに広く、通路も長い。多分あの女性がいるのは一番奥の部屋とかではないだろうか。実際道しるべであろうろうそくの光は突き当たりまで揺らめいている。他と比べ大きめの戸まで来ると、特に躊躇することなく私は戸を開けた。
「ようこそ、私の部屋へ」
目の前に、その人はいた。
昼間の女性が、夢で見た人が、恭しく頭を下げる。
部屋はちょっと散らかっていて、紙や本が乱雑に撒かれている。
作業机には昼間私に向けられた光らない真っ黒な刃物と、対照的に黒く少し光沢のある、不思議なカタチの物が1個置いてあった。
「さて、質問コーナーと行こうか。少女には知る権利がある。私には教える義務がある。何が知りたい? アルカネ」
女性は、私の名前を呼んだ。
「教えて下さい。夢の、続きを」




