平和な世界、甘美な理想
遅くなりました。
全部書くと長くなるので微調整しながら吐き出します。
「おとうさーん、もうすぐお昼ご飯出来るわよ-!」
「待ってくれ、もうすぐ終わる!」
呼び掛けると、外にいるお父さんがよく通る声で返事をした。
朝取れたばかりの卵を割り、軽く溶きながら焼いていく。
ジュウと焼ける音がして、透明な黄身を包む液体が白く固まり始める。火が通ったらそのまま皿に盛り付けてテーブルへ運んだ。
ただ待っていても作ったお昼ご飯が冷めてしまうし、私は外に出てお父さんのお手伝いをすることにした。
家のすぐ近くにある森で材木集めをしていたお父さんは、大きな丸太を肩に担いで荷車の中に積み込んでいる。手慣れた様子で木を放り込むと、服の袖で汗を拭った。
「ふう、流石に疲れるな。俺ももう年か」
「ふふふっ、お父さんはまだ若いでしょ。年だったらあんなに大きな木を運べるわけがないわ。もうお昼もできてるから食べましょう」
「分かった、アルトノリアまでは時間も掛かるし、早く食べてしまおう」
カチャカチャとなる食器の音。
二人で食べる食事は、よく私についての話題ばかりが出る。
「ところでアルカネ、お前は気になっている男は居ないのか?」
「どうしたの、急に」
「お前も今年で25だ、そろそろそういう時期なのかと考えたんだが見当違いだったか? この位になれば気になる異性が一人くらいはいるもんだが」
「んー……」
ちぎったパンを口に放り込みながら、転がる記憶の断片を拾い集める。
確かに村のみんなはとても親切でよく手伝いだってしてくれる。
お世話になっている自覚はあるが、気になる、というものではない気がする。
「今の所はいないかも。そもそも、考えたこともなかったわ」
「まあ別に構わんよ。無理に求めるようなものじゃない、いないなら居ないままでいいさ」
「そう言って本当は気にしてるんでしょ、お父さん?」
「まあよっぽどの駄目男でない限りは何も言わないよ。お前が心から決めた、こいつのためなら人生を捧げられる。そういう生涯の伴侶が見つかるまで結婚なんてしなくても良いって事さ。さて、俺は積み荷がちゃんとあるか確認してくる、ご馳走様、おいしかったぞ」
「どういたしまして、私も洗い終わったら向かうわ。久々にお母さんに会えるんだもの、元気にしてるかしら」
「元気さ。お前が来るのを心待ちにしてるだろうよ」
私は残った昼食を飲み下し、台所で食器を洗う。冷たい水が火照り始めた身体を嫌がらせのように冷やす。明瞭な意識の中、気付くにも値しない些細な違和感を胸の中で躍らせながら私は拭いた食器を棚に仕舞い馬車へ向かった。
外ではお父さんが準備を済ませ、出発するだけの状態で待っていた。
「よし、じゃあ出発するぞ。日が暮れる前には着くはずだ」
私が荷台の中に乗り込むと、馬車がゆっくりと進みだした。
遠ざかる家を眺めながらぼんやりとしているうち、瞼が段々と下がってゆく。
眠りの淵に落ちる寸前、ようやく私は私の中で燻る異常を感じ取った。
頭の片隅に蹲る記憶。
突如としてそれが今、思い起こされた。
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「止まってよ! どうしよう、止まらないの、どうすればいいの!?」
「ここから一番近い治療院はどこだ!?」
「アルトノリアだ! 全力で走っても10分は掛かる!」
「くそっ! 間に合わない! アルカネ、布で動脈をきつく縛れ!」
___
「安心して。私達は、生きているわ」
「今見ているのは夢じゃない。私もノノさんも、アキナもユーリも皆生きてる。カズトが助けてくれたから、こうして生きていられるの」
「アルカネ……」
「自信を持って。皆生きていて、カズトと旅をしている。悲しいときは、色んな事を悲観的に考えちゃうから、まずは心を落ち着かせて。いつか貰った言葉をそっくりそのまま返させてもらうわね」
「いつか貰った言葉……?」
「何かあったら、力になるわ」
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「……? なに、いまの……」
「どうかしたのか、アルカネ?」
「う、ううん、なんでもないよ! ちょっと見たことない鳥がいたから気になって!」
ぽつりと漏れた言葉にお父さんが問いかけてきて、私は慌てて否定した。
「そうか、それなら構わんが」
お父さんの意識が進行方向へと戻されたのを確認すると、私は横になって何もない無地の天井を見上げた。
今の記憶は何だったのだろうか。
少なくとも今、生きている私の記憶ではない。
知らない名前、知らない人。
倒れたお父さんを何もできず見ていた私。
今見た映像は、いったいいつ体験したというのだろう。
果てしなく浮かぶ疑問に答えを出すことはできない。それを示し合わせるための記憶など持っていない。
誰かに聞いても無駄だろうし、きっと望む返答はない。
ただの夢だと片付けるにはその夢はあまりにも鮮明で、体験してもいないのに確かにあったと錯覚させるだけの現実味を何故か帯びていた。
「……カズト?」
無意識に、私はそう誰かの名前を呼んだ。
私が励ましていた同い年くらいの男の人。私は彼のことをそう呼んでいた。
分からない、今の私には赤の他人であるはずなのに、長い時間、一緒にいたような感覚がする。
記憶と身体のズレ、その違和感がどうも気持ち悪くて、私は荷台に横になって目を瞑った。
「アルカネ! そろそろアルトノリアに着くぞ!」
大きな呼び声で、私は目を覚ます。欠伸をすると、目尻から涙が垂れていく。指の腹でそれを拭い、荷物の隙間から顔を出すと大きな壁と外壁が見えてきた。
番をしている兵士に通商許可の証明書を見せ、夕刻のアルトノリアへ私達は入った。
門の付近は旅人などが泊まる宿や飲食店などの店が多く建ち、所狭しと並んでいる。全てが速く流れる流動的な空気は、私は余り好きでは無い。村のように静かでゆっくりとした、時間の停滞したようなおだやかな所が私には合っていると思う。
人の波に流され進み続け、私達は商品を卸す店に着いた。
「リリアさんに挨拶してくるわね。お父さんは荷物を運んで」
「おうよ、力仕事は任せておけ」
戸を開くと、店舗の中では私達と同じ商品を売りに来た人が数人残っていて、取引をしている真っ最中だった。
「あら、アルカネちゃんじゃない!」
店の奥で、リリアさんが私を見つけて手を振っている。
私は走らず、だけど急いでその元へ歩いた。
「久しぶりですリリアさん。お母さんは元気にしていますか?」
「そりゃあもうピンピンしてるよ。そろそろアルカネちゃんが帰ってくるって落ち着かないみたいだったからね。今日は休みだから、荷卸ししたら会ってやりなさい」
「ええ、そうさせてもらいます。お父さんが倉庫の方に向かってますから、確認をお願いしますね」
「分かったよ、後は私達の仕事だからアルカネちゃんは待ってもらえるかい?そこに飴があるから好きに食べて良いからね」
「分かりました、ありがとうございます」
リリアさんが倉庫の方にむかうのを見送ると、私は飴玉を一つ口に放り込む。舌の上で転がす度緩やかに広がっていく甘味。
どうしてだろう。まるで、夢を見ているようだ。
私も、誰もが平和で笑いあえる日々を享受できている。
まるでそれが偽りだったかのような錯覚を抱くのは何故だろうか。
何処かに開いた穴が一層、広がった気がした。




