選べ、最後の選択肢を
「ふん、趣味の悪い建物だ」
穴の先は、絵に描いたような神殿そのものだった。大理石の床に白い柱、果てしなく続く長い通路の先は強い光に包まれ何も見えない。周囲は壁に囲まれ、一方通行になっている。
「さて、やることは終えた。後は勝手にしろ」
意識を手放し、俺に体の主導権を返してやる。
「はあっ、僕! どうして悠莉を殺した!? ……助けられたじゃないか!」
(本人が望んだんだ。それで十分だろう)
「それでも! 手を施さないのは怠慢だ!」
(死を望んでいるのに苦痛を長らえさせるのか? 俺は悠莉の願いを叶えた、それだけだ)
それきりもう一人の僕は喋らなくなった。
僕は右手をじっと見る。ついさっきまで握られていた拳銃の感触がこびり付いているような気がして、気持ちが悪い。
すぐ隣に立っていたアルカネは光の先を見つめ、先に歩き出していた。
「待ってよ、アルカネ!」
「どうしたの? カズト」
「カメリアさんとアキナはどうしたの? 入ってきたときに悠莉しか連れていなかったでしょ?」
「ノノさんに殺されたわ。私と悠莉は見逃してくれた」
ノノさんが殺した?
「何で? ノノさんがどうしてアキナを……」
「……そうするしかなかったんだって、言ってたわ。何か、事情があったのは分かる。だからってこんなの、あんまりだわ……」
「ノノさんは結局どうなったんだ?」
「分からない。自殺したかもしれないし、生きてるかもしれない。でももう、手遅れよ」
元いた世界へ帰る穴は既に塞がっていた。生きていたとしてももう、会えないのだろう。
失った仲間は、どうやって取り返せばいいのだろうか。
そんなことは、不可能だ。
世を統べる神でもない限り、死者を蘇らせる事はできない。
「行きましょう、カズト。この先にあなたの大切な人がいるかもしれないわ。私はそのためにカズトの旅についてきたんだから。立ち止まっちゃだめ、皆の思いを踏みにじる訳にはいかない」
「うん、進もう」
ごめん、皆。謝ることしかできないけれど、本当にごめん。
弱い自分が嫌になる。皆を守るだけの力があったなら救えたのに。
(本当に救えたのか?)
(相手に躊躇するような奴が誰かを救えると思ってるのか?)
―――そうだ、僕は誰も殺せない。
相手が人である限りは、誰であろうと助けたがる。
でもそれがどうして悪い?
(悪くはないさ。高潔で非常に結構だ)
(だが守りたいモノを絞れない、守りたいものが牙を剝いたときお前は何もできない。人殺しができないなんて、不完全な人間だ)
そうかもしれない。でもたぶん、それが僕の強さなのかもしれない。
(そうだ、誰も切り捨てようとしないその精神は、誰からも信頼される鍵になる。―――合理的を求める奴には嫌われるが)
何処まで歩いても通路の果ては訪れない。無限の回廊を二人で歩き続ける中、男の声が聞こえてくる。
「ようこそ、一宮和人君、アルカネちゃん。よくここまで辿り着いてくれたね。ノノもよく働いてくれたし、アキナも悠莉も君のためによく尽くしてくれた。君は彼女等の思いに答えてあげたかな? 見えないと思うから、今元に戻すね」
その声は、ついさっきまで聞いていたウィードの声にそっくりだった。パンパン、と手を叩く音がすると一瞬の浮遊感の後、通路から別の部屋へと切り替わった。
「きゃっ……!」
「いらっしゃい、僕の部屋へ。名を失いし神が歓迎するよ」
男は恭しく礼をして一回転し、指を鳴らす。再び空間が切り替わり、洋館の一室へと移動させられると、眼前には豪勢な料理が並べられた机が置かれていた。
「なんの真似だ」
僕は男を睨みつけて問いかけた。
「見ての通り、おもてなしさ。客人には礼を尽くすのが君の世界での常識じゃなかったかな?」
「……そんな事をされに僕等はここに来たわけじゃない」
「じゃあどんなわけ? 具体的に教えて欲しいなあ」
「僕は永遠を探しに来たんだ。永遠はここに居るんだろ、会わせてくれ」
「ハハハッ! 面白いこと言うんだね!」
視界の先にいた男が笑いながら音もなく消える。全方位から聞こえる男の声が反響して、僕へ問い続ける。
「どうしてここにいると思う? 消えた世界の何処かで見落としたとかは考えないの? ここに永遠は存在せず、世界と一緒に消滅してしまったかも……」
「そんなわけない!」
「断言はできないよね。君は世界一周を成し遂げたわけではない。全てを見ていない状態でどうしても言い切れる? 根拠のない楽観的な発想で全てを決めつけているならそれこそ君の頭はお花畑だ」
「うるさいっ!」
否定、できない。
可能性の一つでしかないのに、そうであって欲しいという願望。
僕はそれにいつまでも縋っていたのだ。
「まあ、そんなことはどうでもいいんだ。今連れてくるから待っててね、彼女は今の所は無事だから」
威圧的な声をコロッと変え、再び目の前に男が現れる。
その両手には、意識を失った永遠が抱き抱えられていた。
「ほら、君が仲間を犠牲にして探し出した幼馴染みだよ。言っておくけど、彼女を目覚めさせることは出来ない」
「どうしてだ!」
「彼女は景品なんだ。これから君には二つの選択肢を用意してあげる、そのうちどちらかを選ぶんだ」
目の前に現れた二つの紙切れ。
僕がそれを拾い上げようとすると、男はそれを制止した。
「まだ説明してないから触っちゃ駄目だよ。君が手に取ろうとした方の選択肢は、君と君の幼なじみが元の世界へ帰ることの出来る権利だ。もう一つは、君とそこの彼女を含めた君の仲間全員の生還権だ。この場合、選ばれなかった方の存在は消失し君達の記憶から抹消される。さあ、選んでよ。誰にも干渉されずに決めた君の意思を僕は尊重するよ」
記憶が抹消される。
忘れてしまう、選ばなかった方は、なかったことにされる。
……決められない。そんな選択肢は、選べない。
どちらも大切だというのに、片方を諦めろなんて。
悔しくて歯がゆくて、僕は床を力任せに踏みつけた。
「皆を忘れる事なんて、出来るかっ!」
「ふふふ、君を選んで正解だったよ。迷ってくれなきゃここまで実験を繰り返した意味がない」
男は楽しそうに笑い、部屋の中を歩き回り始めた。
「カズト、私は良いから永遠をっ…………」
手を握り、僕にそう言ったアルカネの体がビクリと跳ねる。
首に深い切り傷が一つ、ぱっくりと開いていた。
「干渉しちゃ駄目だって言ったじゃないか。君を殺すつもりは無かったんだけど、残念だよ」
男の手には短く鋭いナイフが握られていて、紅くてらてらと光を反射する。そのすぐ隣で、アルカネが糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
「アルカネッ!」
アルカネの体を抱き起こすと、僕は首の傷に向かって魔力を流し込もうとした。しかし魔力は流れるどころか感じ取れすらしない。
「どうしてだよ! 早く治れ!」
「させるわけないじゃん。ここに来たときに君の能力は没収してあるんだ。ほら、彼女の遺言でも聞いてあげたら?」
「カズト……最後だから、私のワガママ、聞いてくれる……?」
血を流しながらも、弱々しい声で言葉が紡がれる。
「いいさ、僕の出来ることなら何だってしてやる!」
「じゃあ、キスして……? ぎゅってして、大好きって……」
焦るように、僕はアルカネを抱き締めた。偽りのような言葉を、本心でそうかと問われれば答えられない。
「大好きだ、アルカネ。今までずっと、ありがとう……!」
「うん、わらしも、ずっと、好きだった……んむっ……」
どうしてこんなにも悲しくて悔しいのだろうか。
堪えようとしても、涙が止まらない。
今はただ、アルカネの願いを叶えるために。
「はぁっ……やっと、叶った……」
鼻が突き合うような距離で僕等は見つめ合う。
僕はボロボロに泣いているというのに、アルカネは晴れやかな笑顔を浮かべていた。
「泣かないで、カズト……」
その人差し指が、僕の顔を伝って落ちる雫を拭う。
「私は、幸せだから、悲しまないで……」
「無理に決まってるだろ……!」
「私は大丈夫だから、永遠を、選んで……」
血を流し続けたアルカネの身体は既に青白い。
動かなくなるまで、僕はその手を固く握りしめていた。
「僕はね、仲間との信頼や友情とかが好きなんだ。そういうのを見てみたかった、欲しかったんだ。幾度となく人や仲間を創ってみたはいいものの、なんかしっくりこなくて。ならいっそのこと、他の誰かの様子を見た方がいいんじゃないかと思って、あの世界と君等を呼んだんだ。知ってる? この世界は5つ目なんだ。君は4回、全く同じ、けれども違う世界で死んでいるんだ」
「……並行世界みたいなものか」
「まあ、そんなものさ。死ぬ度記憶と世界は全部|フォーマット(初期化)してるから分からないだろうけど、台本どおり進まず殺されることが4回あった。アキナを説得できず問答無用で殺されたり、ここまで辿り着けず世界と共に滅びたり。これが最初で最後の可能性だ。これで僕の実験は終わり、君は解放され
「……決めた」
男を見据え、僕は話を遮って声を発した。
「お、いいねぇ。どっちを選ぶ? 仲間かな? 幼馴染みかな?」
「僕以外の皆を。永遠と、アルカネと、アキナと、悠莉と、ノノさんを生還させてくれ」
「?」
男は僕の言葉を理解できなかったのか不思議そうに首を傾げた。
分かりやすいように言葉を変えて僕は叫んだ。
「僕の生存権を、永遠に譲与する!」




