もう一人ともう一人
「あなたは、誰?」
「……薄々勘付いてはいるんだろう、アルカネ?」
私は無言で頷く。カズトの姿をした誰かは溜め息を吐きながら言った。
「俺はお前達が知っているカズトのもう一つの人格だ。精神に大きな負荷が掛かる時、生が脅かされた時に出てくる。一度あの狂戦士の王の元で和人とお前は勝負をしたことがあっただろう」
「……なんで知ってるの?」
「その時戦っていたのが俺だからだ。人を殺すことができないあいつが仲間のお前を攻撃するなんて出来る訳がないだろう?」
そうだ。カズトは人に対して攻撃することができない。そうでなければ竜人との戦いで死者を出したくないなどとは言わないはずだ。
「俺はもう一人の俺の精神の均衡を保つために生まれた人格だ。この世界で誰一人殺すことのできない腑抜けが壊れてしまわないよう、生かさなければならない。こいつが死ねば、世界は滅びに呑まれてしまう」
「滅びってなに? どういうことなの?」
「竜人の巫女、アキナの受け売りだが、滅びとはこの世界の生物全てが死に絶える事で、俺はそれを回避する唯一の鍵らしい。なんならこいつで調べてみるか?」
そう言いながら裏カズトはポケットからいつか私に見せてくれたキューブを取り出した。
「滅びについて教えろ」
握りしめながら裏カズトは呟くが、キューブに反応は何一つない。作動していないようだ。
「チッ、都合の悪いことはだんまりかよ。クソ野郎は滅びについて教えてくれないそうだ」
吐き捨てるように裏カズトは言った。第一何に対してクソ野郎なんて言っているのだろうか。キューブのことかな? 話せば話す程分からないことばかりが増えていく。
「悪いがそろそろいいか? こいつの身体がかなり参ってるからそろそろ休ませたい」
「ええ、分かったわ。話してくれてありがとう」
「俺はただの緊急装置だ、気にするな。俺が出てくることが無いようにこいつを支えてやってくれ」
裏カズトはそう言うと前のめりに倒れ込んだ。私がカズトを受け止めると、遠くで様子を見ていたアキナとユーリが駆け寄ってきた。
「カズトは大丈夫なの?」
「お話していたら、急に倒れましたけど……」
「かなり疲れてたみたい。ゆっくり休ませてあげましょう」
どこに寝かせようかな。辺りを見回すけど、ちょうど良さそうな所は見つからない。
「休ませるなら、私の家のベッドを使えばいい、と思います……」
「でもお家はボロボロで危ないよー?」
「森の力を借りれば、何とかなります」
ユーリが抱きかかえていた杖を振ると、いつか私達を縛ったのと同じ蔦が地面から生えてきて家の残骸を取り払っていく。数分すると、細かい木片を沢山被ったベッドと家具が出てきた。蔦がそれを丁寧に持ち上げ、私達の近くまで運んでくれた。
「ちょっと痛いかもしれないですけど、地面に寝かせるよりはいいと思います」
「そうね。じゃあここに寝かせるわ」
抱えていたカズトをベットに寝かせると、いつの間にか潜んでいた疲れがどっと出てきた。いつもならば術に寝ている時間だ、当然といえば当然だろう。
「私達もそろそろ寝ましょう。このまま起きていたら朝になりそうだわ」
「じゃあまた木の中で寝よう! 私が飛んで運ぶよ!」
アキナが元気よく声を上げるが、ユーリは周囲をきょろきょろと見回している。何かいるのかな?
「どうしたのユーリ?」
「あ、いえ、白衣を着ていた方が見当たらないので、どこに行ったのかと思って……」
あれ、そう言えばノノさんが見えない。戦闘中も殆ど姿を見かけなかったし、どこに行ったのだろう。
「私、ちょっと探してくる」
「あの、一人で大丈夫ですか? 私で良ければ、一緒に付いていきますけど……」
おずおずと遠慮がちに話すユーリ。確かに一人で行動するよりは安全かな。
「分かったわ。一緒に行きましょう、ユーリ」
「それじゃあ私はカズトの傍にいるねー! 二人とも行ってらっしゃい!」
カズトの見張りをアキナに任せ、私とユーリは姿の見えないノノさんを探しに周囲を捜索する。微かに火が燃え残っているが暗くて遠くは全く見えない。今頼りになるのは視覚より聴覚だ。耳を澄ませ、違う音を探す。森の中に踏み込みしばらく歩き回っていると、遠くで剣がぶつかるような音がした。
「アルカネさん、あっちで金属音が……!」
ユーリが私の服の裾を引っ張りながら前方を指さしている。木々に紛れてよく見えないが、二つの人影を私の眼は捉えた。
「行きましょう!」
「はい!」
すっかり元通りになった木々の間をかいくぐり私達は人影の元へ急ぐ。近づくにつれてその人影はより明確になっていき、ローブを羽織った人と白衣を羽織った人が戦っているという事が分かった。ローブを羽織った人影は私達に気付くと戦うのを止め逃げていく。私達では追いつけない速さだ。追跡はしないことにしてもう一つの人影に近づくと、至る所に深い傷を負ったノノさんだった。
「なんだ、君達か。済まないな、不審な影が見えたから追ってみればこの様だ。顔を見たが少年にひどく似ていたな」
「それより先に怪我を!」
「森にお願いしてみます! ちょっと待ってください……」
ユーリが目を瞑って小さな声で何かを呟き続ける。私は少しでも出血を抑えようと着ていた服を破ってノノさんの腕に巻き付けた。いつも飄々としているノノさんが痛みに顔をしかめる。
「すいませんノノさん、ちょっと我慢してください」
「なに、これ位平気だ……っ、はぁっ」
「無理しないでください、かなり傷は深いんですから」
見たところ腕や足以外にも、腹部や肩など下手をすれば致命傷となるものもある。急いで手当てをしなければ危険だ。
「ユーリ、まだ!?」
「今森の力を引き出してます! すぐ、治しますから!」
準備が出来たのかユーリは杖を置き、左手をノノさんに、右手を地面に当てた。
「森さん、ノノさんの傷を治してあげてください……」
ノノさんに触れているユーリの手が黄緑色に淡く光り、徐々にノノさんの身体を包み込んでいく。だが傷が塞がる様子は一向に見られない。
「傷が治らないけど大丈夫なの?」
「いえ、傷は少しずつ治ってます。ノノさん自身の治癒力を高めているんです。直接傷を癒すことは私には出来ないから……」
「ユーリの言うとおりだ。傷の深いところから徐々に治っている。しばらく出血を抑えていればじきに治るはずだ」
「分かりました」
私は傷口の圧迫を続ける。時間が経つと、さっきは荒かったノノさんの呼吸も次第に落ち着いてきた。
「もうそろそろ、大丈夫だと思います……」
圧迫していた場所を確認すると、軽い切り傷程度にまで傷が治っていた。他の傷もあらかた治してしまったようだ。
「二人とも感謝する。一旦少年の元へ戻ろう、詳しい話はそこでする」
ノノさんは立ち上がり干し肉を咥えながら歩いていく。後を追って大樹の元に着いた頃には空も白く霞み始めていた。
「皆お帰りー!」
「済まない、遅くなった」
ノノさんはカズトから少し離れた地面に腰掛けると大きく溜め息を吐いた。
「さて、何から話したものか……取りあえずあの場で何が起こったのかを説明しよう」
「さっき逃げていった人影と戦ってたんですよね? ノノさん」
現場を見て考えたおおよその予測を話すと「そうだ」と正解を伝える返事が返ってくる。
「私では敵わない程の強さだ。力ではなく、読めない行動と技量が違う。あれは手練だ。驚いたことに少年と顔が瓜二つ、最初は少年ではないのかと疑ってしまうくらいだ」
「その人、動物達を殺した人と一緒だ……!」
ユーリが怒りを交えた声を上げる。あの惨状を作り出したのがそのカズトに似た人なら、何が目的なのだろう。やっていることはただの虐殺だ。そんなことをする意義が見出せない。
奴は去り際に「俺を追いたきゃカルボシルへ来い」と言った。十中八九罠だろうが、当てが無い以上そこへ向かうしかない。最終的な意見は少年も交えて判断したい。それでもいいか?」
「はい。しばらくは疲れを取らないといけませんし、それでいいと思います」
「私も賛成、です……」
「いいよー!」
「満場一致だな。では次回の目的地は少年も交えて決める。竜人の巫女の力も必要となる、直に朝だろうが皆休むことにしよう。正直に言えば私が寝たいだけなのだがな」
「むしろ寝ないとノノさんは危険、です。傷を治すのに体のエネルギーを使ってるはずなので、少しでも休んでおかないと倒れちゃいます」
確かに私もかなり疲れが貯まってきているので少し横になりたい。だけど、気になることも沢山残っている。
「じゃあ私が皆上まで運ぶね! 背中に乗って!」
アキナの背中に乗り、皆は木の洞まで運ばれる。カズトとベッドも移動済みだ。他の皆はすぐに寝てしまったが、私はなかなか寝付けずにいた。
(私の知ってるカズト、私の知らないカズト、カズトにそっくりな誰か、どうなってるのかさっぱりだわ……)
信じ得ない事実だけが目の前にあって、頭の理解だけが追い付いていない。いつかそのそっくりな人のなりすましが起きる可能性だってある。
「私、カズトを信じ続けられるのかな……」
考えたくない。目を固く瞑って呼吸を続けると、すぐに疲れ切った私の体は微睡みに飲まれていった。




