復讐
お待たせしました。
ちょっと少ないですがキリがよくなかったのでそのまま投稿。
飛びついてきた彼女が、床へ押さえ付けられた僕の首を絞める。
「あ、かぁっ……」
万力のように彼女の手は僕の首を捉えて離さない。息をしようと隙間に手をねじ込もうとしたがそれすらも叶わない。華奢な腕のどこにこんな力があるのだろうか。馬乗りで組み伏せられた状態では身動きも取れない。痛みと苦しさがごちゃ混ぜになって、僕から空気と意識を奪っていく。
「はな、してっ、はっ、ぁあっ、お願い、だから……!」
「嫌! 絶対離さない! ここで殺す、殺すの!」
息絶え絶えに言葉を紡ぐが、彼女には届かない。子供が駄々をこねるように、彼女は頑なに僕の存在を否定し続ける。
彼女の目には、僕はどう映っているのだろう。きっと過去に辛い目に遭ってきたことは想像できる。でもそれを聞こうにもコミュニケーションが取れる状態ではない。下手をすればこっちが死ぬ。打開策がない今、隙が出来るまで耐え続けるしかない。
「楽しいの!? 酒ばっかり飲んで、私達に暴力振るって、遊び歩いてばっかり! お母さんが泣いてるの知ってるくせに! お前なんて生きる価値ない! 早く、早く死んでよ!」
ああ、そういうことか。そんな簡単な事だったんだ。泣き叫ぶ彼女の思いが、少しだけ伝わった気がした。みっともなく生き長らえようとする姿に、怒りが生まれたのだろう。
僕は抵抗していた手を離した。
「なんで? なんで笑ってるの!?」
(なんでだろうね。僕にも分からないや。でも、こうした方が良いと思って。)
口だけ動かして、彼女の問いに答える。声は出ないけど、伝わってくれたかな。
不幸なんてどこにでも溢れている。不幸と幸福は必ずしも平等ではない。僕達が飲み物を落として最悪だと言っている時に、それを上回る不幸が誰かの元に訪れているように。どんな目に遭ったかは知らない。今の僕に出来るのは、彼女を受け入れるだけだ。だがなぜか笑っている僕を見て、困惑した彼女の手が少し緩んだ。
その時閉めていた家の戸が開き、誰かが入ってきた。そのまま目にもとまらぬ速さで彼女を蹴り飛ばした。外部からの闖入者に彼女は為す術もなく、家の壁に叩きつけられる。
首を締め上げていた手が離れ、肺が空気を求めて激しく咳き込む。
「済まない、少年。危険だと判断したため少々手荒にやらせて貰った。声が聞こえてきたから来てみれば、一体何があったのだ?」
彼女を蹴り飛ばしたのはノノさんだった。一体どこに人を蹴り飛ばすほどの脚力があるのかは知らないが、助けに来てくれたのだろう。てか蹴られた彼女はどうなった!? ノノさんの反対方向を見やると、彼女は頭を強く打ったのか手で頭を覆っていた。大丈夫だろうか。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイ…………」
聞こえてきたのはそんな言葉。ぶつぶつと、しかしはっきりと声に出して。
譫言のように彼女は謝り続けている。頭を抱え、視界を閉ざし、誰に向かって言う事もなく。
そこには、明るさとは違う闇が立ち込めていた。
「……僕に、何か出来る事はあるんでしょうか。彼女の力になれるんでしょうか」
「私には分からないな。心とは強靭でありながら、脆さを併せ持つ奇怪なものだ。鋼のように鍛えられた心もあれば陶器のように僅かな衝撃で形を失うものまである。彼女は何度も鎚で叩き上げ、ボロボロになっていたのだろう」
それは僕が知らない世界。平穏な日々を送ることのできた僕では知ることのできない話。理不尽に晒され続けてきた彼女は、この世界でも苦しみ続けるのか? 悲しみと怒りが、僕の中で渦巻いていた。
「救いの手を差し伸べるかは少年の自由だ。少年が発見した魔物を討伐すれば今回の異変は解決するだろう。少年の目的は幼馴染を探す、彼女を助ける事ではない。世話になった村長の家族を助ければここに用は無くなるぞ」
「だからってこんな状態の子を放置しろっていうんですか!?」
思わず声を荒げてしまう。そんな言い方はあんまりだと思った。目的のために何かを切り捨てるなんて、よくない事だ。そんなことをしたら、人は人ではなくなるんだ。
「それは少年の自由だと言った。場所を変えたいのなら移動しよう」
「ここで話します。そっちの方が外に連れ出すよりも話しやすいかもしれません」
「分かった。少女と竜の巫女は私が運んでおこう」
そう言うとノノさんはこんなに騒いでも目を覚ます気配の全くない二人を抱えて外へ出て行った。さて、二人きりになった訳だけど、どうしようか。今の状態じゃ会話が成立しないんじゃないか?
「あの、大丈夫?」
「ひいっ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、お願いだから殴らないで……!」
声を掛けると酷く怯えて部屋の隅へ後退っていく。うーん、警戒されてるな。まだ父親のフィルターが掛かってるのかも。
「大丈夫、殴ったりなんかしないし怒ったりもしない。だから、少しお話してくれないかな」
返事は返ってこない。だけど、隙間から僕の表情を伺っているのが見えた。
「さっきはびっくりしたけど、気にしてないから。君もびっくりしたから僕を倒そうとしたんだよね、驚かせてごめん」
「…………殴らない、の?」
恐る恐るといった感じで問いかけてくる。表情は見せてくれないけども、反応が返ってきた事が嬉しかった。
「そんなことしないよ。ただ昔何があったのか聞かせてくれないかな?」
「……やだ、思い出したくない……」
まあ当然か。こんなになるまで追いつめられたトラウマを蒸し返すなんて嫌がらせ以外の何物でも無い。精神的に疲弊している彼女に聞くのは無理そうだ。
どうしようか考えあぐねていると、家の戸が開きノノさんが戻ってきた。
「彼女はどうだ。何か話してくれたのか?」
「警戒は解いてくれましたけど、元いた世界での事は話してはくれなさそうです。大きな魔物のことを報告しようにも今の状態じゃあ話しようがないですし。アルカネ達はどうしたんですか?」
「彼女たちは大樹の洞へ移動させた。そう簡単には落ちんよ」
洞なんてあの木にあったんだ。力強そうな生え方をしていたからないと思い込んでいた。
「して、どうする? また眠りについてしまったようだが」
「……マジすか?」
「本当だ。見れば良いではないか」
「すー……」
寝ていらっしゃる。泣き疲れたのかな。どっちにしろ続きは朝になりそうだ。僕もさっきからあくびが止まらないしそろそろ休んだ方がいい気がする。
「少年、寝るのであれば彼女の傍にいることを勧める。誰かがいるだけでも、思いのほか安心するものだ」
「僕が、傍にいても大丈夫なんでしょうか」
「それは私には判りかねるな。少年は彼女を救うと決めたのだろう? 覚悟を決めたのなら徹底的に行うべきだ」
ノノさんは何も言わずに出て行く。残されたのは、壁にもたれかかり穏やかな寝息を立てる彼女と、どうすればいいのか判断できない僕だけが残された。
「とりあえず、寝よう……」
一晩経てば頭も整理できる。とりあえず朝まで休息を取ろう。
逃避にも似た思考が働き、眠気が沸き上がってきた。どんな時でも体は正直だ。僕も壁にもたれかかり、目を閉じようとする。
「お母さん……お兄ちゃん……」
ふと、そんな寝言が彼女の口から漏れた。投げ出された小さな手が何かを求めて乾いた木の床を彷徨う。その手を優しく握ると、弱々しくだが握り返してくれた。
何があったかは知らない。でも、彼女の力になりたいと決めたんだ。そのために、出来ることをしよう。
眠るのに、そう時間はかからなかった。
次は彼女の過去をご紹介。だいたい皆さんの想像通りになると思いますが。重たいと思いますので、ご注意下さい。
早ければ火、水辺りにでも投稿します。




