リハビリ
今日はちょっと量が多いです。
「はあっ、はあっ、きっつい!」
「ほら、さっさとやれ!あと200回残っているぞ!」
テンションの上がっている楓さんの声を聞き流して、ひたすら腕立て伏せを続ける。あれから3日、筋肉痛を治し、検査を受け、晴れて僕は治療院から退院した。治療院を出ると楓さんが入り口で待ち構えていて、訓練の続きをすると言い出したのだ。
もうちょっと休ませてほしいけど、言ったら「もう十分治療院で休んだだろう?」と言い返されたのでおとなしくついていくことになった。そしてこの有様だ。しばらくは筋トレをするらしい。今日は腕立て伏せ300回。その後ペースが遅かったからと200回増やされた。文句を言ったけどもちろん無視。酷い王様だよね。
「498、499、500!」
「よし、休め!とりあえず退院したばかりだから今日はこれくらいにしておこう。明日はもっときつくなるから覚悟しておけよ」
「わ、分かりました・・・・・・」
訓練場に寝っ転がると、アルカネが飲み物を持ってきてくれた。
「お疲れさま。明日からは私も一緒にやることになってるから安心してね」
「ありがとう。明日は何するんだろ」
「腕立て伏せとマラソンをするって言ってたわよ」
水を飲みながら聞いていると、まだ戻っていなかった楓さんが近づいてきた。
「おい、和人」
「はい、なんですか」
「アルカネから聞いていると思うが、明日は腕立て500回とマラソンをする。詳しい説明はまた明日させてもらう。迎えを同じ時間に出すから宿で待っているように。以上だ」
「分かりました」
楓さんはそう言うと訓練場を出ていく。と、突然立ち止まってこちらに向き直った。
「一つ言い忘れていた」
「なんですか?」
「よく無事に戻って来た。だがあのような状態ではまだまだだ。訓練量をさらに増やしていくから覚悟しておけよ」
今度こそ楓さんは訓練場を出て行った。
「やっぱり、いろんな人に迷惑をかけてたんだね。もっとしっかりしないと。強くならなきゃ」
「そのための訓練よ。一緒に頑張りましょう、カズト」
「うん。今日はもう戻ろう。さすがにちょっと疲れた」
「分かったわ。宿屋の女の子も心配してたわよ」
「それは悪いことをしたな。戻ったら謝らないと」
「ふふっ、そうね。早く戻って謝りましょ」
訓練場を出て宿屋に向かう途中、串焼きおじさんの露店が見えた。少しお腹も空いたしちょっと買って行こうかな。
「アルカネ、串焼き屋さんに寄って行きたいんだけどいいかな?」
「そうね、お腹も空いてるし行きましょう」
串焼きおじさんの露店に行くと、僕たちを見つけたのかおじさんが手を振ってくれた。
「よお、兄ちゃん。元気にしてたか」
「はい。何とか生きてます。今日は何本くらい残ってますか?」
「兄ちゃんのおかげでだいぶお客さんが増えたからな。今日はもう50本くらいしか残ってないぞ」
「じゃあそれ全部ください」
「毎度あり!中銅貨2枚と小銅貨50枚になるな」
アルカネが持ってきてくれた袋からお金を出して渡す。
「確かに受け取ったな。ちょっと待ってろよ」
そう言うと串に刺した肉をあの時と同じように焼いていく。前と違うところはパフォーマンスが前よりも増え、よりお客さんを楽しませる要素が増したところだ。なんか曲芸みたいになってる。それでいてしっかりと肉を焼けているのだからこのおじさんはほんとにすごい。アルカネも「ほわぁ・・・」と変わった声を出しながら、楽しそうにおじさんの肉焼き芸に見惚れていた。あっという間に焼き上がった50本の串焼き肉を受け取ると僕たちは宿に戻り、残りの午後をゆっくりと過ごした。
次の日。使いの人改めアルトノリアの大臣さんが迎えに来た。この人って本当の大臣なんだろうか。
「お待たせしました。それでは向かいましょう」
「あの、ちょっといいですか?」
「何でしょうか?」
「楓さんからアルトノリアの大臣だと聞いたんですけど、本当なんですか?」
「はい。まあ、大臣なんて肩書ですが、結局はただの雑用係ですよ。我が王は戦術などの知略はできますがそれ以外はさっぱりです。そのため私がそれ以外の政務全てを請け負っています」
あの話本当だったんだ。大臣さんの愚痴を言いながら働く姿が思い浮かんだ。
「あまり話を続けるとただの愚痴になってしまいますので、早く城に向かいましょうか」
荷車に乗り、城へ向かう。中に入ると、入り口の脇で楓さんが待っていた。
「今回は学習したようですね。王よ」
「当たり前だ。いちいちお前から説教を貰うのは面倒だ」
「今後は指摘される前に自分でお気づきになってくださいね。それでは」
大臣さんはそのまま荷車に乗って行ってしまった。
「おお怖い怖い。なんであいつと話すと肝が冷えるんだろうな」
「僕には分かりません。早く始めましょう」
長引きそうな会話の種を投げ捨てて訓練を始めるよう促す。ただでさえキツイのだ。早く始めて早く終わりたい。
「そうだな。今日は先に走ってもらう。とりあえず城の周りを50周走ってこい。1周4kmだから、お前が走る距離は200kmだ。制限時間は昼まで。門の前から見える広場の柱の影がちょうど真ん中に来たときだ。分かったらさっさと行ってこい。俺が監視しているからごまかしは効かんぞ」
いつものようにこっちの反応を無視して歩き出す楓さん。一瞬ポカンとしていたけど、聞こえてきたトンデモ内容に異議を唱える。
「今9時くらいですよね!?3時間弱で200km走って来いって無理ですよ!」
「ここは日本じゃない。全く違う世界だ。俺からのヒントは以上だ。外に出るぞ」
あっさりとスルー。アルカネと外に出ると、門の前に線が引かれてある。あそこからスタートするのだろう。僕たちが揃ったのを見ると楓さんが大きな声で話し始めた。
「恐らく気付いていないと思ったからもう答えを言っておく。身体強化を使え。大体時速70kmくらいで走れば間に合うぞ。あとアルカネは半分の100km走れ。城を25周だ」
「はーい」
「では始めろ」
時速70とか無理があるよね。愚痴を言いながら体中に魔力を循環させる。本当に時速70kmで走るなら足以外も補強しておかないと死ぬかもしれない。魔力で体が満たされたのを確認すると、高速道路の車をイメージして走り出した。
「っ、速っ!」
一歩踏み出したらかなり進んだ。ものの5秒で1kmを走り切ってしまう。そこで1つ、問題が発生した。
「曲がれねえええええ!」
速すぎてカーブが出来ず、そのまま脇にある土手に突っ込んだ。頭はやばいと思って足から突っ込んだのはいいのだけど、地面の中に全身がすっぽりとはまってしまった。どう出ようか。
身体強化で上の土をどかそうと試みる。なんかミシミシと音が聞こえる。落盤しそうで怖い。大人しく這い出るか。周りが崩れないよう、慎重に掘りながら光の方へ進む。3分くらい続け、何とか地中からの脱出を果たした。無駄な時間を使ってしまった。急がないと。再び体に魔力を満たして走る。今度は曲がり角に防壁を張って、それを蹴ることで勢いを殺さずに走ることにした。実際に試したところ、数回蹴ると防壁が壊れてしまうが地面に突っ込むことは無くなった。
「慣れると結構楽だな」
走り続けて2時間、あと残すところ10周となった。アルカネはもう終わったらしく、
「カズト―!頑張れー!」
と座りながら応援してくれている。ああ、幸せだ。こうして可愛い子に応援されることなんてなかったしなあ。この世界に来てから、出来なかった体験をたくさんしている。楽しい体験も、辛い体験も。これからどうなるんだろう。ほんとにこの世界に永遠はいるのだろうか。元の世界に戻ることはできるのだろうか。考えれば考える程疑問は尽きない。
「止めた、時間の無駄だ」
嫌気がさしてきたので考えるのをやめて、走ることに集中しよう。そう思った時だ。突然走る速度が落ちた。体がついていかず、そのまま転んだ。時速70kmで走っていたので派手に転がる。ごろごろと転がり、やっぱり近くの土手にぶつかる。大きな怪我はなかったけど、このままでは時間内に走り切れない。原因は魔力切れだろう。
「とにかく走んないと・・・・・・」
体を起こして走るが少し足が痛む。捻挫したかな。それほど痛いわけでもないので走り続ける。門の前あたりにくると、僕の怪我を見たのかアルカネが何か渡してきた。
「カズト、これ使って。飲むだけで軽い傷は治るから」
渡されたものは、ガラス瓶に入った薄い水色の物だ。栓を取って飲む。ほのかに甘味が広がる。少しすると、体の擦り傷が塞がってきた。何の薬かは分からないが、さっきよりは走りやすくなった。
「アルカネ、ありがとう!」
「急いだ方がいいわよ!あと少しで影が真ん中に来ちゃう!」
人が集まる広場の柱を見ると、あと少しで影は広場の中心に達しようとしていた。これ間に合わなくない?
「そうだ、時間までに走れなかった時は腕立て伏せの回数2倍な」
「はあ!?」
楓さんの急な付け足しが耳に届く。不満だらけの顔で振り向くと、楓さんはニヤニヤしながらこちらを見てきた。絶対楽しんでるよあの人。それから死に物狂いで走ったものの、間に合うわけもなく2時間遅れで走り終わった。
「くっそおぉぉぉ・・・」
「お疲れさま。衛生兵から薬貰ってるから、飲んで。塗り薬は私が塗っておくから」
「ごめん、ありがとう」
渡されたさっきと色の違う飲み物を飲む。うわ、苦い。薬っぽい苦さじゃなくて、ゴーヤみたいな苦さだ。
しかし良薬は口に苦しとよく言う。少しすれば効果が出るはずだ。僕が味に顔を歪めているうちに、アルカネは目に見える傷のところに薬を塗っておいてくれた。本当に助かる。聞いたところ、塗り薬は傷を守るためのもので、飲んだ薬は治癒力を急激に高めるものらしい。効果は1日。さっきの傷なら数分で治るらしい。治癒力を高めるのでちゃんと食べないとエネルギー不足で死ぬと言われた。よく食べるアルカネには持って来いの薬かもしれない。
次は訓練場で腕立て伏せ。時間内に走り切ることが出来なかったので1000回だ。
「よし、これを背中に置いてもらう」
そう言って見せられたのは大きな金属の容器に入った水。あれ、湯気が見える気がするけど気のせいかな。うん、気のせいだ。透明だし、きっと水だ。なんかぶくぶくと泡が立ってるけど僕は何も見ていない。さっさと1000回やって宿に戻ろう。今度こそお風呂に入るんだ。
僕は金属の容器に入った中身から目を逸らしつつ腕立て伏せの準備をする。
「中身をこぼしたらその都度俺が継ぎ足していくからな。重さは容器を除いて10kg。容器を合わせて14kgだ。じゃあ置くぞ」
その声を合図に、僕の背中に金属の容器が置かれた。
「熱い!熱い!熱い!熱い!熱い!熱い!やっぱり熱湯だよなにしてくれるんですかこんちくしょう熱い!」
やっぱり熱湯。きっとこの人は僕を殺す気なんだ。そうでもなきゃこんなことをするわけない。熱さに苦しみ、腕立て伏せもままならないのを見かねたのか、楓さんがアドバイスしてきた。
「魔力を使って熱を防げ。さっきもらった薬でほとんどの魔力は回復しているはずだ」
「魔力!?」
訳が分からないけどとにかく背中に魔力を集めた。熱を防ぐってどうすればいいんだ!?氷の壁をイメージしてみると、少し熱さが和らいだ。ぬるいお風呂のような温度だ。でもすぐに温かさは消え、再び火傷するレベルの熱さが襲い掛かる。
「そのイメージを維持して魔力を操作し続けろ。その上で腕立て伏せを1000回!魔力はさっきの薬で黙っていても補給される。2つの事を同時にこなせ!」
楓さんの言わんとしたことは分かるが、この方法はどうにかならなかったのだろうか。背中が大ピンチです。薬のせいで火傷も治るので、一種の生き地獄のような気がしてならない。あと熱湯を支えるために身体強化も使っているので3つ同時にこなすことになる。
「さっさとやれ!動かなければ終わらないぞ!」
「分かってますって!やりますよ!!」
愚痴を撒き散らしたいがそんな余裕はない。腕立て伏せを始めよう。
「よし、やってやんよ!」
腕を曲げる。重たいけど身体強化で無理やり体を持ち上げる。あと999回。
「1!」
気合を入れて、僕は途方もない地獄の腕立て伏せに挑んだ。




