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「はい、チケット。」
そう言って、僕は彼女にチケットを渡した。
「ありがとう。はい、これお金ね。」
彼女は僕の掌にお金を置き、もう一度確認する。僕も確認した後、それを左手に持った財布にしまった。
「座ってもうちょっと待とう。」
僕がベンチがあるほうを指さし、彼女に促す。
「そうだね。」
そう言うと、彼女はくるりと回って、ベンチのほうへ歩いて行った。僕は財布をズボンのポケットに押し込みながら、彼女についていく。
ポップコーン売り場が視界に入る。グッズ売り場も目に入ってくる。映画館独特のにおいが僕の思い出を呼び起こした。懐かしい。僕と彼女の初めてのデートのとき、この映画館で映画を見たのだった。
「ここでいい?」
彼女がベンチに座って、そう尋ねた。僕は少し驚いた。初めてのデートの時もそのベンチで僕たちは上映時間まで時間をつぶしていたのだ。そして、それを覚えていた僕自身にも驚いた。わざと彼女はそこに座ったのだろうか?いや、そんな小さなこと彼女は忘れているだろう。偶然に違いない。僕は動揺した心を落ち着かせた。
「いいよ。」
僕もそのベンチに荷物を置いて、彼女の隣に座った。もう一度、僕は周りを見回す。
それから、僕たちはこれから観る映画のことについて語り合った。正直、彼女が誘ってくれなければ観なかっただろう、映画だ。彼女は前々から観たかったようで、その映画に関する色々な知識を教えてくれた。
僕はそんな彼女の話の途中で何度も何度も彼女にこう尋ねようか考えた。
「なぜ、この映画館で僕と一緒に映画を観たかったの?」
あるいは
「僕たちの初めてのデートもここだったよね?」
しかし、彼女は無理にこれから観る映画の話をして過去の話を避けているように見えたので聞けなかった。聞けば、過去の僕たちの傷をえぐるようなそんな気がした。彼女を困らせてしまうのではないだろうか、そう恐れた。結局、僕は彼女の本心を聞けずにいた。
「あっ、そろそろ中に入れるんじゃないかな?」
彼女は映画の話をしていると突然そう言った。僕は時計を見る。上映時刻の10分前だ。
「そうだね。そろそろ行こうか。」
僕がそう言うと、彼女は荷物を整理して、立ち上がった。僕も自分の荷物を持って彼女のあとに続く。結局、ベンチのことといい、この映画館のことといい、僕と彼女の過去に関することは聞けずじまいだった。
席はシアターの一番後ろの席だ。彼女の希望だ。後ろに誰かいると覗かれている気がして、嫌なのだそうだ。僕は特にこだわりがないので彼女の希望通りにした。
一番後ろの席からだと、客数がよくわかる。映画館も空いていたが、シアター内はもっと空いていた。カップルと思しき二人組が2組と、男が3人くらいだった。その人たちは前のほうの席で、僕と彼女は隔離されたようだった。
彼女は僕の隣で黙っている。気になったので彼女のほうを見ると、スクリーンに映し出された宣伝を観ていた。僕も彼女に倣い、映画の宣伝を観る。どれも面白そうな映画ばかりだった。まあ、予告編が面白くなければ意味はないのだが。しかし、僕は予告編が終わるたびに映し出される公開日を観ると毎回胸が痛んだ。その公開日には僕は東京にいないのだ。北海道で一人で暮らしているのだろう。妙に北海道での一人暮らしというものが現実味を帯び始めた。少なからず、僕はショックを受けた。
寂しくなり、ぬくもりが恋しくなった。気が付くと僕の手はひじ掛けの下で彼女の手を探しまわっていた。指先が彼女の指先に触れる。お互いに指先がビクッと動き手を少し引く。なぜか僕も彼女も相手のほうを見ようとしない。
そして、僕はもう一度手を彼女の手のほうへ伸ばした。また、彼女の手と僕の手が触れる。今度はお互い手を引くことはなかった。僕の手の指を彼女の指と指の間に通して、軽く握った。彼女も握り返してくる。僕の手は汗でびっしょりだった。彼女は僕の手汗を気にしていないだろうか。我慢できず、僕は彼女のほうを向く。彼女は僕のほうを向いて
「どうしたの?」
と何事もないかのように尋ねてきた。まるで手をつないでいることがものすごく自然でものすごく当たり前のことであるかのように。どう答えればいいのだろう。彼女は意地が悪い。
「いや、別に…。」
僕はそれだけ言って、スクリーンを観た。彼女も
「そう。」
とだけ言ってスクリーンを観る。
映画が始まり、場内が暗くなった。スクリーンに映像が映し出され、少し明るくなる。映画が始まってからも僕らはお互いに手をずっと握りしめていた。僕の鼓動と彼女の鼓動が手を通して微かに伝わってくる。今、僕の隣には彼女がいる。ずっとそんな言葉が僕の頭の中をループしていた。
気が付くと映画は話が進み、場面の中で男性と女性がキスをしていた。僕と彼女は初めてのデートで同じような場面になってキスをした。そんなことを思い出した。ふと、彼女のほうを見る。彼女はまっすぐスクリーンを観ている。スクリーンから反射された白い光が彼女の顔に当たり彼女の顔が美しく、光って見えた。僕は思わずそんな彼女の横顔に惹かれ、彼女の横顔に僕の顔を近づけた。見れば見るほど、彼女は間違いなく僕の愛してきた顔立ちをしていた。
「愛しているよ。」
僕は彼女の耳元で囁いた。彼女は予期していなかったのか、ビクンと動いて、首をかしげながら僕のほうを向いた。そして、僕の耳元で
「なんて言ったの?もう一回言って。」
と言ってきた。僕はためらいながらも彼女の耳元に顔を近づけ
「愛しているよ。好きだよ。本気で好きだ。」
と言った。なぜかわからないがするすると言葉が出てきた。前付き合っていたときはあれほど緊張して何も言えなかったのに。彼女は僕が言葉を発するたびに恥ずかしそうに目をつぶり、肩を上げた。そのしぐさが何とも言えずかわいらしかった。
だから、僕はその素直な気持ちを彼女に伝えた。
「かわいいよ。」
彼女はまた恥ずかしそうな表情としぐさをする。僕は自分を止められなくなり、彼女の頬に軽くキスをした。し終えると、彼女は目を開けこちらを向いた。心なしか彼女の目が潤んで見える。そして、彼女は僕のほうに顔を近づけながら静かに目を閉じた。合わせて僕も彼女のほうに顔を近づけ、静かに目を閉じる。唇の先と先が触れあった。やわらかい唇だ。そう思った瞬間、相手の唇はどこかに消えていた。僕は目を閉じていたので、彼女の唇の行方が分からなかった。僕も一旦顔を引き、目を開ける。彼女が不敵の笑みを浮かべながら、こちらを見ていた。場内が暗いせいもあり、彼女の目は相変わらず光って見える。僕は再び目を閉じて、彼女のほうに顔を近づけた。また、彼女の唇と僕の唇が触れあう。彼女が顔を少し引いたので、僕はさらに彼女の顔のほうへ近づけた。しかし、彼女はさらに顔を引く。僕が目を開けると静かに意地悪そうに笑っていた。
「意地悪だな。」
僕が静かに彼女にそう言うと、彼女はまた笑う。彼女がまた目を閉じる。僕も目を閉じる。唇が触れた瞬間、僕は口を少し開き、舌を彼女の口の中に押し込んだ。僕の舌が彼女の舌と遭遇し、触れ合う。ポップコーンのキャラメルとジンジャーエールの味がする。お互いに舌を遊ばせ、何分間もキスをし続けた。
今この世界には僕と彼女しかいない。そんな気がした。逆にこのキスをすることでお互いがお互いを認め合い、求めあい、それを理解しあっているような気がした。
どのくらいキスし続けたのだろうか、僕らがキスを終え、画面のほうへ向くと、もう話の展開が分からなくなっていた。当たり前だが彼女も同じようで僕のほうを向いて首を傾げた。僕も彼女のほうを向き、同じように首を傾げる。そして、二人で小さく笑った。何やら、スクリーンでは感動シーンを迎えているのかどこからかすすり泣きが聞こえてきたが、僕らにはそんなものは関係なかった。そして、もう一度軽く彼女にキスをする。
「もう、内容分からないし、外出ようか。」
僕の耳元で彼女がそう囁いたので、僕は静かに頷いた。
僕らは互いの手を離した。思えば、映画が始まって今まで僕たちはずっと手をつないでいた。そのことに彼女も気づいたらしく、僕の顔をのぞいてくる。そして、また静かに笑った。そして荷物を持って立ち上がり、身をかがめて通路を静かに素早く降りて、シアターの外へ出た。
映画館を出ると、日はだいぶ傾いていた。僕たちは再び手をつないで街の中を歩き始める。
「これからどうする?」
彼女は僕のほうを向いてそう尋ねてきた。
「スカイツリー上るんだったら、今から向かったらちょうど夕焼けが見られていいんじゃないかな。」
「そうだね。じゃあ、そうしようか。」
そう言って、彼女はつないだ手を大きく振る。僕も彼女のテンポに合わせて手を大きく振った。周りの人たちがこちらを不思議そうに見てくる。僕らはそれに気づき、お互いに顔を見合わせて、また笑った。僕たちは幸せだ。今最高に幸せだ。付き合っていた時よりも圧倒的に。そう感じた。




