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見ると先ほどの店員が両手にハンバーグの乗った鉄板を持ちながら、そそくさと歩いてくるのが見えた。僕たちのテーブルのほうへ迷うことなくまっすぐ向かってきている。テーブルの上に置いてあるナプキンを広げ、膝の上にかけて姿勢を正した。まっすぐ前を向くと彼女も同じようにまっすぐ座って僕を見ていた。僕はなぜかおかしくなり、思わずにやけた。彼女も同じように思ったのか知らないがにやける。
店員はそんな僕たちのにやけた様子を見て、不思議そうな表情をしながら両手に持った鉄板をテーブルの上におろした。
「こちらハンバーグのほうになります。鉄板熱くなっていますのでお気を付けください。」
それだけを言い残して足早に去っていく。いつ見ても忙しそうな店員だ。
「まあ、食べましょうか。」
僕はそう言って、手を合わせてからナイフとフォークを持ち上げる。彼女も無言で同じようにする。
料理を食べ始めるとお互い無言になった。それはハンバーグのおいしさに圧倒されているからでもあり、食事中のマナーでもあり、一旦途切れた会話をどこから始めればいいかわからないからでもあった。実際、出てきたハンバーグはおいしかった。彼女のほうを見ると彼女もハンバーグを食べることに集中していた。僕は再び切り取ったハンバーグの断片を見て、フォークをさし、口の中に押し込んだ。噛めば噛むほど肉汁が出てくる。相変わらず、おいしい。
「実はね…。知ってたの。」
ハンバーグのひとかけらを味わって時間をかけてかみ砕いていると、彼女はそう話しかけてきた。僕は急いで口の中にあるハンバーグを飲み込んだ。
「何を?」
「あなたが北海道に行くのを。あなたの友達が話しているのを聞いたの。信じられなくて、確かめたくて、さっきもう一度聞いたの。」
「そうなんだ。実は僕はあまり言いたくなかった。特に理由はないけど。まあでも北海道に行くのは本当だよ。実感はわかないけどね。」
正直に僕は彼女に伝えた。これが僕の本心だった。
別に心の底から北海道に行きたいだなんてこれっぽっちも思ったことはなかった。気が付いたら、北海道の大学を受験していて、気が付いたら受かっていた。そして、気が付いたら北海道で一人暮らしをせざるを得ない状況に置かれていた。何もかも非現実的すぎて、状況がいまだに全く呑み込めていなかった。一か月後には僕は一人暮らしをして、大学へ通っているのだ。そう思うと寒気がする。それは不安からくるものだった。そして、それをいまだに心のどこかで認めることができずにいて、実感というものが湧いてこなかった。
だから、
「北海道に行くことになってしまったよ。」
ともう一度口にすることで僕自身に自覚させる。そして、切ったハンバーグのかけらをもう一個口の中に押し込んだ。
「なんで?なんで北海道なの?」
彼女はなぜか微笑みながらそう聞いてきた。彼女もそう聞くとハンバーグを口の中に入れる。
なぜ北海道なのだろうか?改めてその問いを突きつけられて僕はたじろいだ。別に北海道である必要はなかった。東京にも同じレベルの大学はいくらでもあったし、それ以上もそれ以下も豊富に存在した。自分でもよくわからなかった。
いや、実は答えを僕は知っていた。僕は今それを彼女の前で言いたくなかっただけだ。
なぜなら、僕は彼女のことをあまりにも愛しすぎてしまったが故に、彼女のことを忘れられなくなる自分が怖かったからだ。
それ以外にいくらでも言い訳は作れる。一人暮らしをすることで自立したかっただとか、誰も知らないところへ行きたかっただとか、その大学に魅力を感じただとか…。しかし、それはうわべの理由でしかない。素直に彼女がいるところにいたら、僕は彼女のことを諦めきれなくなってしまう。それで彼女も僕のほうだけを向いてくれていたらそれは本望だ。しかし、大学に入るということは環境が変わるということであるし、環境が変わったらいくらでも気持ちも変わってくる。それに僕は耐えられるはずがなかった。
だから、遠くへ行って物理的に彼女から離れようと考えたのだ。北海道である必要はなかった。どこでもよかったのだ。東京以外なら。
「なんでだろうね。本当に理由はないよ。ただ、僕の学力でギリギリ行けるラインの大学の一つにその大学があったっていうだけだよ。」
本当の理由は言えないので、そうごまかしておいた。彼女の顔からは先ほどまでの微笑みが消えていた。ただ、さらっとこう言った。
「私は東京から離れたくないな。」
「まあ、まっとうな人間はそう考えるだろうね。他の地方からも東京に憧れて東京の大学を受験する人もいるだろうしね。」
「つまり、あなたは自分がまっとうじゃないと?」
「まあ、少なくとも僕はそう思っているよ。他の人が僕のことをそう思っていなかったら光栄だけどね。」
そう、僕はまっとうじゃないんだよ。まっとうだったら、先ほどのように考えて大学を選んだりはしない。素直に東京の大学に進学し、素直にそこで新たな好きな人を作り、新たな環境で暮らしていくんだ。まっとうな人間は未来に希望を持って生きているものなんだよ。おそらく。それは不安もあるだろうけどそれと同じぐらい期待を持って生活しているはずだ。だが、僕は違う。この東京という僕の過去が染みついた街から逃げたいだけで北海道に逃げようとしている。弱いんだよ。僕は。
「そう。私はそうは思わないよ。」
彼女はまたそれだけを言って鉄板の上の残りひとかけらのハンバーグを食べた。
僕たちは食事が終わるとグラスに入った水を無言でゆっくりと飲んだ。少しずつ。僕が少し飲むと彼女がグラスを持ち上げ、少し飲み、彼女がグラスを置くと、今度は僕がグラスを持ち上げてまた少し水を飲んだ。一言も発さずに。まるで何かの儀式のようだった。
僕たちはやはりどこかよそよそしかった。お互いに相手のところに踏み込めないでいるようだった。やはり僕たちが互いに会話をしなかった時間が長かった、いや長すぎたのかもしれない。
「そろそろ店を出ようか。」
グラスに入っていた水をすべて飲み干してしまい、やることがなくなってしまったので僕はそう言った。
「そうだね。」
彼女もそう言い、店を出る身支度を始める。僕はテーブルの下に置いていた自分のカバンを持ち上げ、立ち上がった。そして、椅子に掛けていた上着を着終え、彼女のほうを見る。彼女も上着を着て、僕のほうを見て頷いた。僕はテーブルに置いてあった伝票を取り、レジへ向かった。彼女が付いてきているか、もう一度、後ろを振り向く。振り向いた僕に気づいたのか、彼女は視線を上げ、こちらを見る。そして、僕たちはお互いにもう一度頷いた。奥では先ほどの店員が僕らには構わず、相変わらず忙しそうに注文を聞き、料理を運んでいた。
会計を済ませ、店を出て、僕は一周ぐるりと辺りを見回す。彼女は僕の後に店から出てき、そんな僕の姿を不思議そうに見ている。
「どうかした?」
「いや、別にどうもしていないよ。ただ、ここに入った時と全然景色が変わっていないなと思って。」
僕は店の中に長い時間いたような気がしていた。それも途方もなく長く。だから、空の色も建物の影も先ほどとあまり変わっていないことに驚いたのだ。店の中だけ時間の流れが違ったのではないかと思えてきた。
「そりゃあ、一時間かそこらで街が変わっていたら、大変でしょ。」
そういう意味ではないんだが…。だが、彼女にこの気持ちをうまく説明できそうになかった。
「確かにそうだな。なんか変なことを言った。」
僕は当たり障りのないことを言って、そう誤魔化す。彼女は相変わらず、不思議そうな顔を僕に向けている。
「で、どうする?」
彼女が不思議そうな表情を変えて、微笑みながらそう尋ねてきた。
「何を?」
「これからよ。」
「これから?」
「だから、今からどうする?」
彼女は少しイライラしたようにそう説明した。僕の頭はあまり働いておらず、彼女の言いたいことが理解できていなかった。
「どこか行く?」
僕は恐る恐る彼女にそう聞いた。不機嫌にさせないように。今日、僕たちは一緒に食事をしようという約束だった。だから、食事のあと何をするかなんて僕は何一つ考えていなかった。まず、彼女が食事に来てくれるかさえ怪しかったのだから。
「この後、私予定ないから、よければどっか行こうよ。」
「僕も空いているよ。じゃあ、どっか行こうか!行きたいところある?」
正直、僕は嬉しかった。彼女のほうからこんな提案をしてきたからだ。
「そうだね…。スカイツリーとかどう?」
彼女は僕の目の奥を覗き込むようにそう聞いてきた。思わず、ドキッとする。
「いいね。じゃあ、スカイツリー行こうか。」
スカイツリーなんて行ったことがなかった。場所も料金も時間も知らない。
「ちょっと、待ってね。調べるから。」
そう言って僕はケータイを取り出した。
「別に今昼だし、この時間に見に行っても普通でしょ。夕方とか夜に行こうよ。だから、今調べなくて大丈夫だよ。」
また、僕はドキッとした。そして、僕の浅はかさに失望した。ここまで、彼女は考えてくれていたのか。それに対して僕はどうだ。彼女の言葉をその通りにしか行おうとしない…。なんて情けないんだ。僕はケータイをポケットにしまい、
「そうだね。じゃあ、それまで喫茶店とかで時間をつぶすか?」
と言った。喫茶店だったら、時間もつぶせるし、スカイツリーについても調べられるだろうと考えたのだ。
「喫茶店もいいけど、実は行きたいところある…。」
彼女は俯きながら、そう言った。
更新が遅れてごめんなさい。
試験がありまして、なかなか話を書き進めることができませんでした。
また続きますのでぜひ続きも読んでください




