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そんなふうに音楽を聴いていると、肩をたたかれた。目を開けても暗くて顔が見えなかったが、誰かが僕のことを覗き込んでいるのがわかった。おそらく体格からして彼だろう。僕は曲を止め、イヤホンを耳から外す。
「戻ったぞ。」
思った通り、彼の声だった。僕はどう反応すればいいかわからなかった。彼は話を聞いてどう思っているのだろうか。
「あいつ、結局教えてくれなかったんだ。約束が違うじゃねえか。」
彼はぶっきらぼうにそう言って彼の足元にあった枕を蹴飛ばした。僕はその話を聞いて、驚くと同時に少し安心した。
「そうか。」
「そうかじゃねえよ。教えろよ。」
彼は怒っていた。僕が無言でいると、彼は蹴飛ばした枕を持ち上げ、布団の上に落とした。そして大きな音を立てながら布団に入って、
「なんだよ。俺なんか悪い事でもしたかよ。」
とだけつぶやいた。彼は悪いことなど一切していなかった。思い返してみれば、彼はむしろ僕のことをからかいながらも応援してくれていた。相談にも乗ってくれたし、励ましてもくれた。悪いのは僕のほうだった。勝手に彼のことを疑い、彼を憎んでいたのだ。
「ごめんな。」
素直に言葉が出てきた。彼は僕を向いて
「どうしたんだよ。急に。」
と言った。
「いや、本当にごめん。」
彼は何も言ってこなかった。もしかすると僕にかける言葉を考えているのかもしれなかった。僕は彼がかけてくるだろう言葉を待った。
「で、なんで彼女と別れたんだよ。」
彼は静かにそう言葉を発した。今の彼なら許してくれるだろうか。そう思いかけたが、自制が働いた。
「やっぱり、それは教えられない。」
「じゃあ、彼女とヤったのか?」
彼は唐突にそう質問してきた。いきなり何を言い出すのだろうか。僕は思わず彼のほうを振り向いた。部屋は暗く彼の表情ははっきりとは見えなかった。
「ヤってないよ。当たり前だろ。」
「本当にか?」
「本当だ。第一本当に好きな人に対しては僕の中に性欲というものが生まれないんだ。」
彼はしつこく質問してきた。彼が何を根拠に疑っているのか僕には理解できなかった。僕が答えると彼はしばらく黙った。頭の中で情報の整理をしているようだった。
「で、しつこいがなんで彼女と別れたんだ?」
また、不意に彼は僕にそう尋ねてきた。僕は眠気に襲われつつあり、答えることさえ面倒くさくなっていた。
「君は本当にしつこいなあ。」
「君と同じさ。君だって何でも知らなきゃおさまらない性分だろ。」
「そうだよ。じゃあ、一回ヒントを教えてやる。それに対して君がどう考えてもらっても構わない。」
もうやけくそだった。僕の妄想が正しければ、彼女が少なくとも僕と付き合ってくれたという事実だけで僕は幸せだった。また、その妄想が間違っていたとしても受験のために諦めなければならない恋だったと思えば少しでも気が楽になった。
「僕と君って似ているところがあるだろ。まず、これが前提条件だ。だから、君と同じだと思うけど、僕はものすごく心配症なんだ。だから、彼女が好きと言ってくれたとしてもその裏を考えちゃうわけ。その不安に耐えられなかったんだよ。笑えるだろ。」
言ってはみたものの、僕の考えが彼にばれてしまうことを考えると内心ひやひやしていた。彼は僕が何を言いたいのか理解できなかったようだ。何もわからないといったような顔をしていた。であるから、僕は少し安心した。
「どういう意味だ?」
彼は僕にそう尋ねてきたが、何も答えたくなかった。正直、今さらながら彼にさっきのヒントを告げてしまったことを後悔していた。それは彼に対する嫉妬の大きさに自分で改めて気づき、あきれてしまったからだ。
「もうどうでもいいや、興味ないわ。しかし、あんな女子とよく付き合っていたな?」
唐突に彼は部屋の天井を見ながらそう言った。僕は何も言わなかった。というより、怒りで言葉を発することができなかった。僕の本気で愛する女性を侮辱する彼のことが許せなかったのである。
しかし、一瞬安心してしまう僕もいた。それは僕の妄想が全くの誤りであったということが示されたから。
…いや、違う。妄想はすべてが嘘になったわけではない。彼女の思いがどうなっているか、わかってはいなかった。彼女のほうが彼を向いているかもしれない。その考えが再び僕の頭の中を覆い尽くした。彼に対する嫉妬心が膨れ上がっていく。先ほど蔑んだはずの嫉妬心が。
もう抑えられなかった。妄想が真実のように僕には思えてきた。彼女は彼に恋している。そのうえ、さっきの彼の言葉。僕は彼女のことを愛するがゆえに彼のことが憎く憎く仕方がなかった。
彼は何も言い返してこない僕のほうを向いた。
彼女は彼のことが好きなのか…。
彼の顔を見て改めてそんな考えが浮かんだ。しかし、彼にはそんな僕の気持ちが伝わらなかったようだった。彼は不意に僕の腰をくすぐってきた。おそらく、僕の気を紛らわせようとしたかったのだろう。
彼女はこんな奴が好きなのか…。
僕は何も考えず、布団から両手を出して、掛布団をめくった。そして、彼のほうを向く。彼は何も反応しない。ただ、こちらを見ているだけだった。一旦、僕も彼の眼を見る。お互いに視線が釘付けになったように離れない。僕の頭の中は空っぽだった。何も考えていなかった。ただ、目が彼の存在だけを認識していた。
しばらく時間がたった。先に動いたのは彼だった。彼はまた僕の腰をくすぐってきた。この不自然な空気を壊したかったのだろうか。僕は我に返る。そして、不意に彼女のことをまた思い出した。彼女ともこのように無言のまま見つめ合ったことがあった。あれは映画館だっただろうか。場所はどうでもよかった。あの時僕は彼女をそのまま抱きしめた。それは確かに覚えている。寂しさがこみ上げてくる。人のぬくもりが恋しく感じられた。寂しさを人のぬくもりで包んでほしかった。そうすれば、今深く負っている傷がいやされるような気がした。
言い訳はしない。気がついたら僕は彼を抱きしめていた。強くただ彼を抱きしめていた。彼女のような優しい感触ではなかったが、それでもどこか僕を受け止めてくれるような感じがした。彼の固く重たい体が僕と一体になる。彼も抵抗はしなかった。何も言葉も発さずに、僕の背中に彼はその重い手をまわした。僕は今彼と言葉にできないものを共有している。そんな気がした。
しばらくその状態でいた。一〇分くらい経ったのだろうか。いや、それよりも長くその状態でいたのだろうか。ふと、僕は我に返り、彼から離れ自分の布団に戻った。僕は何も言わなかった。彼も何も言わなかった。お互い決して相手のほうを向こうとしなかった。結局、僕はその夜一睡もできなかった。彼にしてしまったことを激しく後悔していた。それだけで、夜が明けた。




