大便器殺人事件その2
宮中先輩は男子トイレに入ってすぐ、不可思議な遺体があった大便器の元に向かって、手を合わせた。
僕も釣られて黙祷を捧げる。
数秒の沈黙、宮中先輩は何を考えているのだろうか?
彼女の信じがたい体質に巻き込んでしまったことを謝っているのか。それとも殺人に巻き込まれたことへ同情しているのか。はたまた犯人を捕まえることを約束しているのか。
「さて、現場検証をしよっかぁ。はい、これ」
宮中先輩は僕に五枚の紙束を手渡す。チラと見てそれが現場の報告書であることがわかった。
「遺体の写真が多々使われているからねぇ、気分悪くなったらポケットにでもしまっちゃって」
「えっと……そうさせていただきます」
僕はその束を折り畳んでポケットにしまう。
正直、遺体の状態を写した写真を眺めるのはキツイものがあった。
そもそも僕がこの書類を見たところで、なんの助言もできないだろう。
「さてとぉ、検死を待たないとなんとも言えないけどぉ……被害者は殺されてからぁここに運び込まれた可能性が高いねぇ」
癖なのか、宮中先輩は柔らかそうな桃色の下唇を指でつまみながら、考えに耽りながら男子トイレを眺める。
「チラと見えたんですけど、死因は溺死って書いてありましたよ?」
「そのようだねぇ。唇の変色や腹部の膨らみかたから見ても、それは断定できるねぇ」
「だったら何故被害者はぁ、犯人と一緒に男子トイレにいたのかなぁ?」
「夜間に一人でトイレに行くのは怖かったから……とか?」
「なるほどぉ、一理あるねぇ」
納得したように頷いてから、宮中先輩は「それでも疑問点はいくつもあるんだぁ」と苦笑いを浮かべた。
「まずは被害者がどうやってぇ、どこでぇ溺死したかだねぇ。あとはぁ……そもそもぉ、何故溺死させたのか」
まるで僕の反論を予期していたかのように、宮中先輩は淀みなく疑問を投げかける。
「水が溜まっている場所で思いついたのが、トイレだったんじゃないんですか?」
「ねぇ、白岡くんは友達と一緒に個室のトイレに入るぅ?」
宮中先輩はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべた。彼女のそんな表情を見て、ようやく疑問の意味が理解できた。
「そっか、だからトイレだと変なのか」
「そうなのよぉ、もし衝動的な殺意に駆られたのならぁ、そもそも溺死にはならないのよねぇ。トイレでそうなったとしても、やっぱり溺死は変だわぁ」
「つまり計画的な殺人なんですね?」
「少なくとも、衝動殺人ではないわねぇ」
そう返した頃には宮中先輩の視線は再び個室の至る所に移っており、床や壁の隅々を見渡す。
僕はそんな様子の宮中先輩を個室の外から眺めて、少しでも役に立とうと事件について考える。
まずは自分が見たことから整理しよう。
ついさっき見た遺体。首から先が大便器に突っ込んでいて、それは肩が入らなかったといった状態だった。
便座の座面に投げ捨てられた腕の先は、生きている人間では再現できない脱力しきったものだった。
足は膝をついていた。被害者はやや前のめりの姿勢で、背丈からそうなったのだろう。
「あはー、なんとなくわかったかもぉ」
「本当ですか?」
突如上がった歓声に僕は思考を放棄して、その声の主を見守る。
「うーん、手口はおおよそわかったよぉ。あとはそれを実行できる人間を見つけて、犯人を当てないとだねぇ」
「それじゃあーー」
「ーー出よっかぁ」
「ーー出ましょっか」
僕たちは宣言通り男子トイレから出て、一番近くの教室で一息吐くことにした。教室には誰もおらず、僕たちは構うことなく出入り口から最も近い前後の席に座る。
宮中先輩が前で僕が後ろ。近い距離で向かい合うと、一層彼女の美しさがわかる。
眉目秀麗なんてズルい人だ。
宮中先輩は下唇をつまみながら視線を泳がしている。きっと事件について考えているはずだ。
「ねぇ白岡くん。会って初日でこんなこと言うのも何なんだけどぉ、頼み事頼まれてくれなぁい?」
宮中先輩は唇から手を離すと、申し訳なさそうに僕を見つめる。
その表情に感じるものがあったのは事実だが、それ以上に彼女の手伝いをしたいという気持ちがあった。
「大丈夫ですよ。何をすればいいんですか?」
すると宮中先輩は席から立ち上がり、早足で黒板まで向かった。そして白いチョークを取り、文字を書く。
書き終えたと同時、宮中先輩はくるりと向き直す。
「名探偵最大の見せ場であり、最大の仕事をするんだよぉ。だからぁ、警察関係者と容疑の掛かっている方々を、ここに集めて欲しいんだぁ」
そう微笑んで言った宮中先輩は、僕がこれまで見てきた誰よりも活き活きとしていて、そして何より楽しそうだった。