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大便器殺人事件その1

 高校入学初日にして僕は最大の試練を課せられた。憧れていた進学校『私立赤園学園』の大きく威厳ある校門を潜り、まるでチアガールに応援されているかのような、満開の桜に包まれたロータリーを通る。

 なんだろうこの気持ち。齢十五にして夢を叶えてしまったのだろうか。

 緊張と期待感に胸が押し潰されそうになっていた僕は、溢れんばかりの尿意を思い出した。

まずい、いい夢を悪夢に変えたくなはない。

駆け込むように校舎に入り、すぐさま一階の男子トイレに入り、しょんべん小僧などという蔑称を避けるべく小便器の前に立つ。入学できたという達成感に相まった放尿の快感を完膚なく打ち壊すモノが後ろにあることを、十秒後に僕は知る。

 出すものを出した僕は、焦りに焦って入ってきた時より幾分も余裕がある。よって周りがよく見えた。

大便器に頭を突っ込んだ動かぬ人を見ることができてしまったのだ。

 変声期はとうに過ぎたのにも関わらず、僕が上げた悲鳴は女子顔負けの甲高いもので、それは大層校内に響いただろう。

 そのおかげで救世主はすぐに現れた。着崩れたスーツの成人男性が荒々しくドアを開け「どうかした!」と大声を張り上げる。

彼は腰が抜けて座り込んだ僕に近寄り「大丈夫か?」「何があったんだ?」と言葉を絶やさず肩を揺する。

 急に声が出なくなった僕は、震えの止まらぬ指先をその不可思議な物体へ向ける。

 男はそれを見て、少し苛立った表情をした。

 それからの男の対応は驚くほど俊敏で、なんと言うか……とても手馴れていた。

 すぐさま僕は男に応接室に連れられ、そこで待つように。と男から告げられる。

なにもできぬ僕は言われた通りに応接室のソファに座り、次の進展を待つことにする。

 五分もせずに小さなノックが聞こえた。そんなことで肩が跳ねたのは、状況が状況だからだろう。

震える声で「どうぞ」と告げると、「失礼しまぁす」と場にそぐわぬ甘ったるい女の声、そして柔らかい印象の女生徒が入ってきた。

「どうも、宮中朱美です。二年生、貴方の一つ先輩だよ」

 相変わらず伸びた声で自己紹介をした女生徒、宮中先輩は僕と向かい合う位置のソファに腰をかけた。

「僕は白岡祐樹です。その、一年です」

 緊張も加わり僕の声は一層聞き取りづらいものだろう。それでも宮中先輩は「白岡くんね、よろしくねぇ」と微笑んだ。

「それにしても災難だねぇ。初日から事件に巻き込まれるなんてぇ。普通は一ヶ月くらい経ってからなのに」

 宮中先輩は意味のわからないことを言う。僕のそんな気持ちに気付いたのか「あぁ」と手を叩いた。

「この学校ーーと言うかぁ私ね、事件に巻き込まれ易い体質なんだぁ」

 ごめんねぇと可愛らしく謝る。しかし僕の頭のクエスチョンマークは一向に晴れない。

「えっと、ほら、シリーズものの推理小説の主人公って、あり得ないほど殺人事件に巻き込まれるじゃない?私もそうなのよぉ、困っちゃうよねぇ」

 そう言って苦笑いを浮かべて頭を掻いた。

 そんな馬鹿げた話があってたまるか。そう思うものの、実際に殺人現場に出くわしたのだから、強く否定できない。

「そんでもって私は名探偵なのよぉ、だからね?」

 宮中先輩は悪戯っぽく笑いかけ、お茶目なウィンクを飛ばした。

 悲しいかなこんな状況でもオスはオスなのだ。敏感な感受性がドキリと跳ねる。

「今の事件、解きに行こっかぁ」

 入学時の高揚感や緊張よりも上回る好奇心に、僕自身が驚いた。殆ど拒否の気持ちはなく「お供します」と声に出していた。


宮中先輩が言っていた名探偵体質というのは本当の話であることに、僕はようやく信じられた。

事件発覚からまだ十分程度というのに学校内には数十人の警察関係者がおり、一階男子トイレを中心に鑑識が執り行われている。

鑑識の姿はドラマやアニメなんかのフィクションとは違い、随分と重装備である。そんな些細なことに新鮮さを覚えた。

「鑑識さんの邪魔は絶対にダメだからねぇ」

覗くようにトイレでの作業を眺めていた僕を宮中先輩は引っ張っていく。肉感のいい柔らかな手のひらの感触に浸る間もなく、取調室となった保健室へ連れられた。

複数人の警察官が教師と思われる人達と話をしている。経験したことのないピリピリと空気の張り詰めた保健室に、僕は再び緊張する。

「どうも宮中さん、毎度大変ですね」

そんな時、熊のような大柄の男が嫌味を一つ、宮中先輩へと向けた。

宮中先輩はそんな嫌味など全く気にせずに柔らかな笑顔を浮かべて「参っちゃいますねぇ」と返した。

その返しに少し苦い顔をした大男は僕を一瞥し「第一発見者はこの子?」と宮中先輩に訊ね、宮中先輩は頷く。

「ご挨拶が遅れました。私は猪原結弦と言います」

猪原さんから名刺を受け取り、僕も挨拶を返す。名刺なんて初めて貰ったもので、賞状を受け取る格好になってしまった。

「では早速お聞きしたいことがあります。お時間はーー」

「先生たちも慣れてるでしょうしぃ、入学式も遅れてやるそうなんで大丈夫ですよぉ」

宮中先輩が横から答える。猪原さんは小さく舌打ちし、「気分が悪くなったら言ってください。あと、仕事柄言葉が強くなってしまうのですが、あなたを疑ってる訳ではないのでお気になさらないでください」

「はい」

既に強い声色に気押され気味だ。

「顔が恐いですよぉ、猪原さん」

一方宮中先輩は余裕のようで、注意というより茶化したような言葉を挟む。

鈍い僕はようやく、この二人の相性が酷く悪いことに気付いた。そして僕の胃を見えない万力が絞め始める。

それからも訊かれたことを素直に答え、わからないことはわからないと返した。

猪原さんは事件の情報が少ないことに苛立っている様子で、所々語尾を強めて言及してきた。

「猪原さん、白岡くんは事後を見ただけですしぃ、得られる情報が少なくても仕方ないですよぉ」

見るに見かねたといった様子で宮中先輩が言葉を挟み、そんな権限ないだろうに取り調べを締めた。

「普通に考えて、犯行は昨日の夜間から本日の深夜、警備員による見回りが七時から十二時まで一時間毎にあるからぁ、日が変わってからの方が濃厚ですねぇ」

「あぁっ!わかってますよ!」

猪原さんは特別声を強めた。そして僕は肩を跳ねさせて驚いた。

「アハハ、猪原さん機嫌悪いし私たちは一旦お邪魔しようかぁ、ね?白岡くん」

「え?ああ、はい」

機嫌を悪くしたのは間違いなく、あなただ。

猪原さんは同意したのか手を払っている。僕はお辞儀してから保健室を後にした。

「猪原さん怖かったでしょ?見た目も雰囲気も」

ほんわりと宮中先輩は言う。僕は頷いて答えた。

「私が入学して三日目に連続殺人があったんだけどね、その時の担当が猪原さんだったのぉ。ややこしい事件でねぇ、解決まで時間がかかって被害者は六名、猪原さん達が来てから五名だからねぇ、結構責任問題が起こって大変だったのよ。それで、そんな事件で女子高生がしゃしゃり出てたんだからぁ、印象も悪くなるよねぇ」

ちなみに今回で猪原さんとは八度目の事件なのぉ。と言い加えた宮中先輩の表情は少し苦笑いであった。

「そもそも猪原さんと宮中先輩は相性悪そうですよ。なんかタイプが間逆って感じで」

「アハハ、わかるかぁ。そうなのよぉ、最悪って言ってもいいねぇ」

宮中先輩も自覚しているのか。メンタルが強い人だ。名探偵に対して思う感想ではないのだろうけど。

「さて、そろそろ鑑識の仕事も終わるかなぁ。トイレに行ってみようか」

宮中先輩の提案に断ることなく、僕たちはトイレへと向かった。女の子が自主的に男子トイレに向かっていくのはどうかと思ったが、場面が場面だし突っ込むのはやめておいた。

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