思いがけない言葉
「ただいま〜。 ごめんね遅くなって。 今ご飯の準備するから」
家に着き、私は夫と子供にそう伝えると、急ぎ着替えて台所へと向かった。
「そんなに慌てなくても大丈夫だよ? 結構遅めに昼食べたから」
ニコニコと笑いながら台所へとやってきた夫がそう声をかけたが、何かをしていないと何となく落ち着かない私。
買ってきた食材をシンクに並べ、今日の献立を考えた。
「今日は何して遊んだの?」
夕食の最中、私は子供達に話しかけた。
「今日はねー、 パパと公園行ったりDVD観たりしてたよ」
楽しそうに話す娘の言葉に胸がチクンと痛む。
この子達を私は裏切っているのではないか?
夫を裏切っているのではないか……。
……人には言えない秘密がある事自体、裏切っているのだろう。
自分に自分でそう言い訳をする。間違っていると分かっていても。言い訳しか頭に浮かんでこなかった。
「久しぶりに出かけたから疲れた?」
夫が優しくそう言ってきた。
「うん……。大丈夫だよ。ありがとう」
「今日は子供と一緒だったからこっちが疲れたよ。でもやっぱりいいな。二人の成長が見られた気がした」
「そっか。本当にありがとう……」
ズキンとする胸に気付かぬふりをして、私は今日の日を終わらせた。
暫く湊君とは連絡もせず、普通に妻として、母として生活していたある日。突然湊君から電話がかかってきた。
『突然で申し訳ない……。明日とか会えないかな? ちょっと話したいことがあるんだ』
『電話ではダメ?』
『できれば会って話したい……』
『分かった……。明日お昼で時間大丈夫?』
『ありがとう。じゃぁ駅前のカフェで』
何となく思い詰めている話し方をしていた湊君。何かあったのだろうか。
洗濯物を畳みながらぼんやり考えた。
次の日。私はお昼に湊君と待ち合わせしたカフェへ向かった。
既に湊君が来ていて、そのまま湊君のいるテーブルに案内された。
「話って、 どうしたの?」
「……実はこないだ出かけた事、あいつに感ずかれたみたいなんだ……」
「奥さん……?」
「前から怪しいと思ってたらしいんだ。それがこないだの事で……」
そんな言葉に私は驚き戸惑ってしまった。
「何も怪しい事はないって何度も説明したよ。それでもやっぱり信じてないらしくて……。だけど俺としては優真が大切だから、 突然だけど本当に真剣に考えてるから……」
「私も……。私も大切に思ってるよ? だけど私達の関係は良くない事なんだよね? 皆んなに言えない関係なんて、いいはずないんだよ……」
ああ。やっぱりこんな時が来てしまったのかと、氷が溶け始め水滴がついたアイスティーをストローでグルグルかき回した。
「俺の事……、真剣に思ってくれてるなら……。無責任にはしたくない。……できれば、いや、俺とのこれからを考えてくれないか?」
唐突に紡がれた言葉の意味が分からなく、じっと湊君を見つめた。
「それってどういう……?」
「一緒になって欲しい。確かに簡単な事じゃないよ。お互い相手もいる。けど、もう二度とお前の手を離したくないんだ。俺と一緒に歩いて欲しい……」
苦しげに、切な気にそう口にした湊君は、本当に真剣な眼差しをしていた。
私もこの人の手を離したくない。でも夫は?子供は?
きっと周りを傷つける。大切な物を失う事になる……。
けれど。この手を離したくない。
確かな思い。理不尽な現実。不確かな未来。
グルグル頭に浮かぶのはそんな身勝手な事ばかりだった。
結局答えなどすぐに出せる訳もなく、湊君と別れたが、頭に浮かんでは消える湊君の言葉と、どうにもできない現実に押し潰されそうになりながら、家路についた。
子供達のお迎えの後、スーパーに寄り買い物をし、いつもの自分を必死に演じた。
そう。私はいつもの自分を演じていたのだ。
そうでなければ今にも崩れてしまいそうだったから。
この平和な日常が……。私の心が。