秘密の旅行
とある休日。私は家からちょっと遠い駅の改札にいる。
夫に子供達を預けて……。
『今度の休みに、 日帰り温泉行かないかって誘われたんだけど……』
『夢華さん?』
『と、 杏て言う子。こないだの同窓会でまた仲良くなって、 ちょこちょこ会ったりしてるでしょ? 何か気晴らしにどうかなって』
一週間前、帰宅した夫にそれとなく話してみた。
『ふーん……。 また急だね』
『杏て言う子が旦那さんと喧嘩したらしくて、 夢華と慰めようって話になって……』
『……そうなんだ。うーん、 分かった。子供達宜しくって事だろ? 最近かまえなかったからな。引き受けるよ』
『ありがとう。ごめんね、 何か……』
『楽しんでおいで』
そう言って夫は着替え、リビングに向かった。
申し訳ない気持ちが溢れ出す。心臓がうるさいくらいにドキドキした。
それでも。平気で嘘をついてしまう自分がいた。
「お待たせ」
さっそうと現れたのは湊君。
今日は二人で日帰り旅行をする為にここまで来た。
大胆な事をしていると分かっている。けれど自然と嬉しくなって、そっと湊君の手に触れた。
誰も私達の事を知らない。はたから見れば普通のカップルだと思うだろう。
実際は違うのに、自分自身も錯覚してしまう程、私達は自然に接している。
「中々仕事が忙しくて」
「無理したんじゃない?」
「うーん……。お互いなんじゃないかな? 大丈夫だった?」
「うん……。特には聞かれなかったよ」
「そっか。なら大丈夫か」
タクシーに乗り、目的の場所まで向かう。
市街地を少し出た所にある日帰り温泉施設の旅館。
自然に囲まれたそこは、ちょっとした穴場になっているらしい。
「着いたら飯にしようか? 魚の美味い店があるんだ」
「うん。楽しみ。お腹空いたから」
時間はお昼前だったが、旅館に着き、そこからお店まで歩いた。
湊君のおすすめのお店は、道路から少し入った静かな場所にあった。
「ちょっと歩けば海が見えるよ」
「へー。そうなんだ」
「流石に海までは行けないけどね」
何処か寂しげに言った言葉の意味を、敢えて考えなかった。
考えてしまったら、夢から醒めてしまいそうだから……。
美味しいお魚のあるお店の食事は本当に美味しかった。
旅館までの道すがら、そんな話をしながら歩いた。
「部屋、 貸し切りにしてあるから。ゆっくり入ってきなよ」
「うん。ありがとう」
荷物を部屋に置き、温泉の場所まで行った。
女湯の暖簾をくぐって中に入り、素早く吹くを脱ぎ扉を開けると、目の前には大きな露天風呂があった。緑に囲まれた天然温泉。
「贅沢だよな……」
一人呟きながらも、温泉を満喫させてもらう。
「現実を忘れそうだよ、 こんなんじゃ……」
温泉を堪能し部屋に戻ると湊君が既に居て、 「どうだった? 温泉」と聞いてきた。
「凄く気持ち良かったよ」
座布団に座りながらそう答えた。
「それなら良かった。あ、 お茶飲む?」
「うん。頂く」
手際よくお茶を淹れる姿をじっと見入ってしまう。
二人でこうして過ごしているのが不思議で、そして穏やかで。
「あんまり遅くはなれないよな。お茶飲んだら帰ろうか」
「そうだね……」
出されたお茶をゆっくり飲んだ。
夢から醒めて現実に戻る。
当たり前の事なのに、思ってしまう私の本音……。
”離れたくない……”
そんなのは無理な事だし、できる訳もない。
お互い帰る場所は一緒ではない。それが悲しいと思うのは、我が儘なのだ。
そしてそれは望んではいけない事。
「どうした? 具合悪い……?」
優しい手が私の頭を撫でる。
「ううん……。何でもないよ」
離された手が寂しい。もっと触れていたい。
虚しくなるだけなのに、いつも思ってしまう欲張りだから。
「帰ろうか……」
小さく吐いた言葉は魔法の言葉ではない。
お伽話のヒロインだって、夢から現実に戻るのだ。
旅館から駅に行き、お互い同じ電車の、別の車両に乗り込む。
決して見られてはいけないから……。
「またね……」
電車に乗る前に繋いだ手を、そっと離した。
日常へと運ぶ電車に揺られ、今日の事を静かに胸にしまい込んだ。
旅館のお土産でお揃いのキーホルダーを買った。赤い小さな下駄のキーホルダー。
カバンに付けず、内側のポケットに入れた。
後ろめたさがあるからだろう。
止めてしまえば楽になる。何度そう思った事か。
湊君が言わないのなら、私から言えばいい。
けれどやっぱり口にはできなくて。
温もりを求めてしまう、愚か者だ……。
大胆な事をしている癖に、上辺だけは世間体を気にしてる。常識じみた考えなど、頭の隅に置きながら……。
「夕飯、 買い物しなきゃ」
帰りを待つ夫と子供の顔を思い浮かべながら、呟いた。




