その手を握って
湊君と初めて会う約束をした。
私は週末少しお洒落をし、子供を連れ実家に帰った。二人を預かってもらう為だ。
お洒落と言ったら、シフォンワンピースくらいしか思い浮かばず、クロゼットから昔の服を引っ張り出し無難な物を選ぶ。
あまりお洒落過ぎても、女友達と飲みに行くと言ってあるから、怪しまれてはダメだ。
友達には変わりないのだけどね……。
パールのピアスとお揃いのネックレスをし、子供達を連れて家を出た。
「ママ何処行くのぉ?」
「何かいつものママと違う〜」
「ちょっとお友達に会うだけだよ。早く帰るから、 おばあちゃん達の言うことをよく聞いてね」
目ざとい子供達の言葉を流し、母に宜しくねと手を振った。
待ち合わせの場所はこの間、同窓会を開いたカフェバー。
夕方の時間帯なので、店内は薄暗くなっていて、何組かお客さんがお酒を飲んでいた。
私は息を整え、既にカウンターに座っている湊君へと近づき、 「お待たせ」 と声をかけた。
「お疲れ。子供達、 大丈夫だった?」
「うん。大丈夫だよ」
「そっか。あ、 何飲む?」
「あんまりお酒詳しくないからなぁ……」
「甘いのとか色々あるよ」
「じゃあ、 甘い何かで……」
そう言うと、湊君がマスターに何やら注文する。
「ベリーとミルクを使った物です」
暫くたって差し出されたのは、ピンク色したカクテルだった。
「じゃ、 乾杯」
湊君はウィスキーのロックを注文し、二人で乾杯した。
「何に乾杯?」
「うーん……。 再会?」
「こないだ会ったじゃない」
「まぁ改めての再会って事で……」
二人グラスを傾け乾杯をし、一口カクテルを飲んだ。甘酸っぱさが口の中に広がる。
「美味しい……」
「良かった」
変わらない笑顔に胸がドキドキする……。
あの頃は、二人でお酒を飲む日がくるなんて、考えもしなかった。
学校の帰りに図書館に寄ったり、コンビニで何か買ったり。
だけど二人でいる事が嬉しくて、楽しくて。
一緒に居られるだけで幸せだったな。
「高校入っても、 ずっと気になってた……」
突然紡がれた言葉に驚いた。
「そんな事、初めて聞いたよ」
「別れてから連絡取れないよ。何て言っていいか分からないし……」
「そうだね……。でも少し期待してたよ。もしかしたら、 連絡くれるのかなぁ。なんて……」
カクテルをぐっと飲んでカウンターに置いた。
「連絡取ってたら、 やり直してた?」
「……あの頃なら、 ね……」
「別れを言ったのに、 都合よくまた付き合いたいなんて、 言えないよ……」
「優しいから」
カランと湊君のグラス中の氷が音を立てた。
「優しいか……。意気地が無いだけだ。受験の邪魔になりたくなかった。お前、 一生懸命だったし……」
「それでも……。側に居て欲しかったって言ったら、 我儘になる?」
溶けていく氷の様に、戻る事はできないけど……。あの頃の気持ちに戻ってしまう。
「所詮は子供だった……。お互いに」
「真剣に想っていたよ?」
「あーあ……。正直になってれば良かったのか」
「昔の事だけどね……」
「……家庭を持ったから? そんな事言うの」
「それもあるかな……。そうでしょ? 戻れないし、 どうにもならないよ」
口に含んだカクテルは、甘くて酸っぱくて、そして悲しくて……。
お互い今更何を求めてる?
失う物はあっても、得る物は無い……。
引き返すなら、今しかない。
これ以上は引き返せなくなる。
「時々でいい。会えないかな?」
「無理だよ……。そんなに家を空けられないし」
「そうだよな。ごめん……」
「いい思い出にしよ?」
そう言った私の手をぐっと握った。
「湊君……?」
「本当に、 たまにでいいんだ……。俺、 今自営だから時間の都合つけるし。昼間でもいい……」
「奥さんと何かあった、 とか?」
そっと手を離しながら尋ねた。
「いや、 何もない……」
「じゃあ、 何で……」
「理由なんてないよ。この手を離した自分が情けなく思ってた。ずっと」
再び握られた手を振りほどく事ができない。
ダメなのに。今なら引き返せるのに。
やっぱり本気で好きになった人だからだろうか。
ずっと忘れられなかったから。
頭の中で都合の良い言い訳をしてしまう。
一つ。また嘘が積み重なる……。
世に言う良くない関係になってしまうのか。
「結婚って言うのが、 こんなにも苦しいなんて思わなかった」
優しい笑顔は切なくさせる。
この手をあの時離して居なければ、違う未来が待ってたの?
違うかも知れないし、そうかも知れないし。
そんな事は分からない……。
「家庭を壊したくないよ。お互いの……」
「分かってる。だけど……。ごめん、 自分勝手過ぎたよな」
そう言って私の手を離し、ウィスキーを飲み干した。
離された手が、寂しいって思った。
頭ではダメだって思った。
引き返せなくなるって……。
思った。
どうにもならないと分かっている筈なのに……。
「湊君……。やっぱり私も自分勝手な人間だよ……」
彼の手をギュっと握った。離したくないかの様に……。