闇の器(ダークヴェッセル)
アレンが王国を追放されたのは、三日前のことだった。
罪状は「魔王因子の暴走」。
しかし誰よりアレン自身が知っていた。——あれは暴走ではない。ただ、王国が“都合よく失敗として扱った”だけだ。
今は王国の北外れ、崩れかけた見張り塔。
湿った風が石畳をなめるたび、冷たさが骨へと染み込む。
そこが彼の、唯一の寝床だった。
塔の下には小さな集落がある。
奴隷や流民ばかりが押し込められた、王国が存在ごと無視する「外れの地」。
アレンはそこを通り抜けようとした時——小さな気配に足を止めた。
倒れていたのは、痩せた少女だった。
鎖、痣、ぼろ布。奴隷の印。
そして肩口には、王族の紋章に似た、だがまるで別種の“闇”を孕む痕が刻まれていた。
アレンはほんの一瞬だけ迷い、ため息をつくと少女を抱き上げた。
気まぐれではない。ただ、その紋章が気になった。
——あれは、俺の紋章と似ていた。
◇
少女は“リラ”と名乗った。
塔の一室、粗末な布の上で目を覚ました時、怯えながらも礼を言った。
「どうして……助けたの?」
「別に。気になっただけだ」
「わたしの紋章……?」
アレンは肩をすくめた。
「相性が悪かったら、触れた瞬間に焦げて死んでる」
リラは小さく震えた。
しかしアレンにとってそれは事実だった。
魔王因子を抱える自分は、人に触れるだけで相手を傷つけてしまうことがある。
だが、リラには何も起こらなかった。
むしろアレンの闇が静まっていた。
不可解な沈黙が二人の間を流れる。
「……お前、何者なんだ?」
リラはうつむいた。
言いにくそうに、ひとつの言葉を絞り出す。
「……闇の器。そう作られたって……言われた」
その言葉は、塔の空気を一瞬で凍らせた。
アレンはゆっくりと息を吐く。
「闇の器? お前が?」
リラはさらに小さく頭を下げる。
「でも、わたしは……失敗作だって。薬で魔力を封じられて、奴隷として……捨てられた」
アレンの眉がわずかに動いた。
失敗作という言葉の裏に、微かな嫌な予感が走る。
その時だった。
塔の外で、金属の軋む音がした。
砂埃を巻き上げながら、重い足音が近づいてくる。
アレンが窓辺に立ち、目を細める。
「……来たか」
外れの地に似つかわしくない、王国の紋章を掲げた兵士たち。
黒ずんだ鎧に、隠す気もない殺気。
明らかに“追手”だ。
リラが息を呑む。
「どうして……? 死ぬはずだったのに」
「……死んでないからだろ。王国にとって俺達は都合が悪い」
アレンは剣を手に取る。
その刃に宿る闇が、リラの紋章に反応してざわりと揺れた。
「そこにいろ。……俺が片付ける」
「わたしも——」
「動くな」
アレンの声は冷たく、だが震えていた。
恐れではない。
胸の奥で、理解できない焦りが燃えていた。
——リラを失うのが怖い。
そんな感情が、自分のものだとは信じたくなかった。
しかし追手との戦いの最中、アレンは気付く。
兵士たちが叫んでいたのだ。
『闇の器候補No.48が覚醒反応! 絶対に回収しろ!』
覚醒反応——?
アレンが塔の中へ戻った瞬間、空気が歪んだ。
リラの周囲に、黒い霧が渦を巻いている。
さっきまで封じられていたはずの魔力が、悲鳴のように漏れ始めていた。
「っ……いや……違う……! 戻って……!」
リラは涙を流しながら胸を押さえ、必死に抑え込もうとしていた。
しかし闇は形を変え、うねり、アレンの影さえ引きちぎろうとしてくる。
アレンは剣を捨て、リラの肩を掴んだ。
「リラ、落ち着け!」
「アレン……わたし……壊れる……!」
「壊れねぇよ。俺がいる」
アレンの闇が、リラの闇へ触れた。
普通なら激突し爆ぜるはずの二つの力は——
奇妙なほど滑らかに混じり合い、互いを弱め、静かに収束していく。
リラはその腕の中で震えながら、アレンを見上げた。
「どうして……アレンは平気なの……?」
「知らねぇよ。……けど、お前の“失敗”ってやつ、たぶん間違いだ」
リラの紋章が淡く光る。
完成しきらない未熟な紋様が、まるで“成長しよう”と脈打った。
その光景を見ながら、アレンは確信する。
——リラは失敗作なんかじゃない。
王国が“恐れたからこそ捨てた存在”だ。
塔の外では追手の兵が体勢を立て直し、
闇夜に号令が響く。
アレンはリラの手を取った。
「リラ。ここから先、王国はお前を殺しにかかる」
リラは目を伏せる。
「……怖い」
「当たり前だ。だが——」
アレンは、初めてその言葉を口にした。
「一人じゃない」
塔の入り口に影が揺れる。
追手が迫っている。
アレンは剣を握り直した。
「行くぞ。真相を暴く。
お前が“失敗作だった”って嘘も、
俺が“暴走だった”って嘘も、全部だ」
闇の風が吹いた。
二人の紋章が、不気味な共鳴音を立てる。
こうして——
追放された勇者と、闇の器と呼ばれた少女の物語が始まった。




