働き方革命
「真知子くんっ!」部長が大声を上げた。部屋中に響く声で、「ちょっと来なさいっ」と命じた。
命じられた真知子は、
「何かしら」と言った。けれど、心配そうに真知子を見やる同僚たちに、
「行ってくるね」と明るく言うと、
「はあ~い」と楽しげに返し、スキップして部長のデスクに向かった。
デスクの前に立つと、真知子は部長の肩をちょんちょんとつついた。
「来たよ」
「来たよ、じゃないだろ」部長は仏頂面で言った。けれど、すぐに小声で、「人前では馴れ馴れしくしちゃダメっ」と叱った。
「はあ~い」真知子は答えた。部長の言っていることが理解できないのか、なおも、
「部長ちゃんの怒ってる顔って、かわいい~っ」と茶化し、その挙句、
「今さあ、おやつ食べてたんだよ。何か言いたいことがあるなら、早く済ませてね」
そう言ってから、「ぷんぷん」と呟いた。
部長は、はあと、溜息をついた。諦めたのか、真知子の態度にはもう触れず、本題に入った。
「君の勤務報告書、これは、何かね」部長は重々しく言った。
「何かね? それ、勤務報告書です」
「そうじゃなくて、この内容だよ。異様に残業時間が多いじゃないか」
「仕方ないじゃないですか。会社のために働いちゃ、ダメなの?」
「そうは言ってないが……」コホンと咳払いしてから、「タイムカードと照合すると、君は会社にいない時間にも仕事をしていることになってるぞ」
「だって、そうなんだもん」
真知子はふくれっ面をしてみせた。おさなごが駄々をこねるように体を揺すり、「ほんとに、仕事をしたもん」と言った。
そんな真知子の様子を見て、部長はうっとりした。なんてかわいい娘なんだと思った。そして、真知子を毎晩のように美味しくいただいている自分の幸福に、改めて気づいた。
けれど、そうして惚けているわけにもいかないと思った。部長としての務めを果たさなくてはならないと考え直し、部長らしく険しい表情をつくった。
「それなら」部長は、また、重々しく言った。「この、早朝六時から七時の時間、どんな仕事をしたのかね」
部長に問われ、真知子はけろりと答えた。
「体中を清めて、そうしてから、ヘアーセットとお化粧をしてました」
「それ、仕事なの?」
「仕事ですよ。だって、お休みの日なら、そんなことしないでお昼まで寝てますもん。早朝から自分を磨くのは、会社のためですよ。視聴者の皆様に最高の笑顔をお見せしなくちゃいけないでしょ? だからそのために、私、早朝から一所懸命なんです。……それって、仕事ですよね」
真知子は言い切った。自分の考えに少しも疑いを持っていない様子だった。
部長はまた、はあと、溜息をついた。大方、そんな答えを予想していたが、思った通りの真知子のハチャメチャぶりに、もう何も言いたくなくなった。
とはいえ、このまま引き下がるわけにもいかなかった。部長としての面目もあった。それで部長は、あらゆる残業内容やその理由について、問いただした。
部長の追及に、真知子は淡々と答え続けた。会社の同僚との宴会はもとより、読書、映画鑑賞、はてはマニキュアの手入れまでもが、真知子にとっては「仕事」であった。そうであると、本気で信じ込んでいるようであった。
疲れたので、部長はもうやめようと思った。このまま追及していたら、真知子はそのくりくりとした目を輝かせて、「あ、そうだ。睡眠時間だって、労働時間じゃん」などと言いだしそうであった。他の部下たちに示しがつかないが、真知子の機嫌を損ねて、夜の楽しみがなくなってしまうのも馬鹿らしいと、そんなことも考えた。
部長は、出鱈目な勤務報告書を、デスクの上に放ろうとした。
ところが、ふと、あることに気がついた。
「あれ?」部長はもう一度、勤務報告書をしげしげと眺めた。「この時間は確か……」そこまで言ってから、囁き声に変え、「この時間は、私と真知子くんが……」
言いかけた部長の言葉を、真知子が引き継いだ。
「そうそう。この時間、私と部長がヒルトンホテルで、追いかけっこをしてた時間です」
真知子は大声で言った。慌てて、部長は「しっ」と言って人差し指を立てた。そして、「大きな声で言うんじゃないっ」囁き声で真知子を叱った。
「はあ~い」
悪びれずに真知子が返した。
真知子の顔を睨み、部長はなおも囁いた。
「君は、社内での自分の立場を守るために、私と関係を……」
「違うよ」真知子が珍しく真剣な表情をした。「私、そんな卑怯な女じゃありません」きっぱりと言った。
きっぱりと否定され、部長は少しだけ安堵した。けれど、疑問が消えたわけではないので、
「じゃあ、どうして時間外労働にしてるんだ」と訊いた。
「だって」真知子が答えた。ほんのりと頬を赤らめ、「部長さんの寝技って、すごいんだもん。私、いつも落ちちゃうじゃないですか。でもね、あれって美容にいいみたい。次の日はお肌がつるつるになるの。……あ、それと、寝技をかけられると私、思わず歌っちゃうじゃないですか。あれもね、声を使うお仕事にはとってもプラスになるんだよん」
真知子は生き生きとした表情で説明した。ね、お仕事にプラスになるんだから、労働でしょ、と付け加えた。
その説明を聞き、
「ああ、そういうことか」
部長は初め、納得してしまった。俺のテクニックも捨てたもんじゃないなと、嬉しくなった。真知子の言葉に「うんうん」と頷いた。
が、真知子が付け足した言葉を頭の中で反芻した。その途端、
「な、なんだと~っ?」
部屋中がぶったまげるような大声を上げた。




